第27話

 リハーサル当日。緊張感は本番と変わらないくらい上がっている。

 あれだけ無理するなとか色々言ってたエルだが、最終的にはプレッシャーを感じてめっちゃくちゃピアノ弾くことになった。

 それによって俺と共に若干燃え尽き症候群にかかってしまい、モチベーションを上げるのに四苦八苦した。


『師匠、私たちってなんでピアノを弾くんですかね。あと、この音のなる良くわからないやつってなんなんですかね』


『馬鹿なこといってんじゃねぇぇぇ!! 流石にその一線は超えちゃダメだ。戻れ!! 戻ってこぉぉぉい!!』


 なんてやり取りがあったのが昨日の話だ。

 ぐっすり寝たらエルの調子も戻ったし、大丈夫だと信じたいけど。

 会場の雰囲気はピリピリしている。見た目は貴賓漂う映画館のような感じ。だが、温度感は甲子園にも劣らないレベル。リハーサルとはいえ、誰もが真剣なんだ。初め軽く挨拶をしたが、あの真っ直ぐな目は流石音楽家だなと思った。


「ちゃんと弾かなきゃ。ちゃんと弾かなきゃ。ちゃんと弾かなきゃ」


 壊れたレコードのように言葉を続けている。これを見たら誰だってこう思う、このままでは不味いと。

 何か話題を変えれないものか。


 ちょうどオーケストラの人達が出てきたし、取り敢えずそれで話題を振ってみるか。


「エル、この会場広いよな。そろそろ始まるけど、どんな演奏するんだろう」


 その問に、エルの表情は相変わらず危機迫った表情だった。


「……すごい演奏ですよ。だって今日は――」


 ――その瞬間、圧倒的な演奏が俺の体全身を押さえつけに来た。

 勿論リハーサル。本番前の調整だが、それでも伝わってくる。

 正直、オーケストラの演奏はそこまで聞いたことがない。暇な時になんとなく聴きに行く程度で、そこまでよく聴き入るようなことがなかったし。

 でも今ならわかる。音楽を武器にして食べていく者の、圧倒的な演奏が。

 お前はまだ未熟者だ。半端者だと突っぱねられるような力強さだ。


「こんなとこで弾かなきゃいけないのか……。流石に、ちょっと辛いな」


 こりゃリハーサルでも下手なことは出来ないな……。いや、そもそも下手なことする気はさらさらないけど。

 

「エル、大丈夫か?」


「! は、はい。大丈夫です」


 エルは明らかに緊張している。こんなガチガチになってたら弾けるわけが無い。

 何とかして緊張を解さないと……なんて声をかければいいんだよ。

 

「――ローレンス交響楽団」


 突然、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 振り返ると、どこかで見覚えのある少女がオーケストラを見つめていた。


「この国で1番の演奏家集団。力強い演奏が特徴で、指揮者がものすごく負けず嫌い」


「……誰、だ?」


「忘れちゃった? レーナ。レーナ・クレスツェンツ・アルムガルト」


 レーナ? レーナ……。


「まさかお前、あの時の紅茶好きか。なんでこんな所に?」


「そんなの、決まってるでしょ? 楽器を演奏しに来た」


 そういえば、そんな名前の人をランペードさんに紹介してもらった気がする。

 確か、ピアノの天才なんだよな。そんなやつと、俺は知らない間に会ってたのかよ。


「2人もピアノを弾くんでしょ? 話は聞いてる」

 

「ああ。そうなんだ。ていうことは、俺らはレーナの後にピアノを弾くんだな」


「うん。そういうこと。だから、私が見せてあげる。――あなた達2人がどれだけ甘い考えをして、この場に来ているのか」


 思わず、俺は息を飲んだ。俺は、レーナの穏やかな表情と、少しムスッとするような可愛らしい表情しか知らなかった。

 だから、今見せられた獲物を睨むような表情を見て、思わず腰が引けてしまった。


「まず、その服装がありえない」


 あ、めっちゃいつも通りの服装で来ちゃったけどダメだったか。まあそりゃ、当たり前だよな。


「私は、毎日毎日練習して、寝る間も惜しんで弾いて、ここに立ってる。それは、折角貰った才能を腐らせないため。ここに来てくれる人を少しでも喜ばせるため。そして、より音楽の神に近づくため。それを、突然今まで何もしてこなかった人と同じ場所に立たされるなんて、ありえない」


「音楽の神?」


 ああ、あれか? バッハ的な? 音楽の父みたいな?


 レーナは拳をぎゅっと握った。

 なんか、あいつと初めて会った時を思い出すな。あいつ、あったばっかりの時はそんなトゲトゲとした言葉しか出てこなくて、新人でぽっと出てきては抜け出てく人をいつも悔しそうに見ていた。

 まあ、立場としては天才と雑草で全然違う訳だが。

 まあ、要はプライドが高いってことだな。


「そっか。なら、ぜひ聞かせて欲しいね。天才ピアニストなんでしょ? 言葉で言っても面白くない」


「そう……。分かった」


 拳で語ろうぜ理論で一時しのぎだ。取り敢えずは誤魔化せた。

 このままグチグチ言われ続けるのは、流石にウザかったし。

 まあ、そんな悪いやつじゃないってのは分かってるんだけどな。


 エルに、手を握られた。明らかに震えていて緊張しているようだ。いや、緊張だけじゃない。これは恐怖だ。

 失敗の恐怖に心臓が締め付けられそうになる。

 くそ、やっぱなんとしてもあの条件は変えてもらうべきだったかもしれない。


「師匠……わたし……わたし……」


「エル……落ち着け。エルはエルに出来ることだけをやればいい」


「……」


 駄目だ。聞こえてない。完全に、今のレーナの言葉に圧倒されてる。

 オーケストラは一通り確認が終わったのか、次々引きあげていく。そして、レーナがゆっくりと壇上に向かう。

 オーケストラと入れ替わるようにして用意された大きなピアノ。

 エルが演奏を聴いてしまったら……。でも、もはや聴かないなんて選択肢はなかった。


 そして演奏が始まる。リハーサルとか、そういうのは全く関係ないとばかりの全力の演奏だった。

 この場所に居られるのは私だ。お前らなんかふさわしくないと、口数の少ないレーナとは思えないような、鬼気迫る訴えだった。

 正確性、表現力、共に流石の完成度だ。もし、ショパンの演奏を生で聴けたのなら、恐らくこのくらい衝撃を受けたのだろう。

 そのくらい勢いがあり、才能に溢れている。

 だけど、良かった。俺達の技術が負けてるのは当たり前だが、それでも勝負にならないほどじゃない。

 だからまあ、この挑発。受けてみても悪くはないな。


「問題は……」


 完全に萎縮してしまってるエルの方だ。このままじゃ、ピアノを弾くどころじゃない。

 マジで、あいつ容赦ないな。エルを潰すつもりだ。

 華奢な細い体から、ここまで力強い音って出るものなんだな。本当に、さすがの演奏力だ。


 そして、その激しくぶつかるような演奏は、最後も力強い和音で締め括られた。

 会場は全くざわつくことは無い。多分、レーナが誰かに喧嘩を売りに行くのはいつも通りのことなのだろう。

 誰もが平然としていて――そして、会場に来ていたランペードさんを偶然目が合うと、俺の事を見てニヤリと笑った。


 俺に何を求めるって言うんだ?

 相手は天才。こっちはただの雑草。こんな挑発受けたところで、結果はわかってるだろうに。

 まあ、この挑発受けるんだけどな。


「エル――俺の事見てろよ。あの演奏と比べたら、全然及ばないだろうけど、でも何かは絶対に届けられる」


「……師匠」


 良かった。この話は聞いてくれたみたいだ。


「そんなガチガチになるなよ。俺の為に弾いてくれるんだろ? それに、まだリハーサルだ」


「――! は、はい!」


 良かった。どうやら持ち直してくれたみたいだ。後はいつも通り弾けば良いだけ。

 良し……。じゃあ、挑発を受けて立とう。


「まあ、今日受けるわけじゃないけどね」


 俺はそそくさとステージに立ち、手短に礼をして椅子に座った。

 そして、俺は音を一つ一つ確認するように弾いた。音の反響。肌に感じる雰囲気と、目線。

 指から伝わる感覚に全てを集中させて、本番をイメージする。あくまで余裕を持って。

 レーナは明らかに顔を曇らせている。めっちゃくちゃムッとしてる。

 そりゃそうだろ。音楽で伝えろって言った挙句、勝負は明日だからねなんて、バカにしてるにも程がある。

 まあでも、これでいい。今一番大切なのは、得るの緊張を解すことと、明日にピークを持ってくること。

 俺はほとんどアマチュアだ。そのくらいあれこれ策を凝らさないと、まともに戦えない。

 ――だからエル。今日はしっかり今の調子を知ること。この空間、雰囲気に慣らすこと。

 そして、レーナ。本当の勝負は明日だ。

 それが俺たちに出来る最大限だ。

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