第29話
「いいですね〜。師匠、似合ってますよ」
「そうか?」
「はい! かっこいいです」
演奏会の当日になり、俺は公の場で着る服を持っていなかったので、ランペードさんに着付けて貰った。
流石に、本番もいつもの服はこの会場の全員に喧嘩を売りかねない。
黒いスーツに白いシャツ、そしてネクタイ。
蝶ネクタイにしようかと考えはしたが、俺には似合わないし普通のネクタイを選んだ。なんか、俺が使うと気取って調子乗ってるような雰囲気になるし。
対してエルは元々貴族出身だし、服とかは全て親が用意したみたいだ。可愛らしいフリルの付いた服。いやぁ、桃源郷はここにあったかぁ……。
エルの父親は不安の顔が常に滲んでいた。ピアニストと呼べるかも分からない存在からピアノを教えて貰って、本当にこんな大きな場所であピアノを弾けるのか、晒しものにならないか気が気出ないのだろう。
そんなに心配になるなら変な条件にしなければいいのに。
俺も心配はあるが、そこはもうエルのメンタルを信じるしかない。本番は結局のところ、萎縮しないように自信満々で弾けるかどうかってところと、集中力を最後までで持てるかどうか。
あとは俺の場合、約束通り弾けるかどうかだな。
「ランペードさん。何から何まで申し訳ないです」
「気にしなくてもいいよ。君の演奏は、そうまでしてここで弾いてもらう価値がある」
「よく、俺なんかを高く買えますね」
「なに、何度も言うが君が自身を過小評価しているだけに過ぎないよ。君は紛れもなく立派な演奏家で、そしてお嬢さんはその立派な弟子だ」
「師匠、素直にそう言われるとなんかこそばゆいですね」
「確かに」
未だに高く買う理由は納得できないがな。
「まあ、楽しみにしているから、のびのびと弾いてくれたまえ。私はじっくり、君たちの演奏を聴くとしよう。今日は、昨日のアルムガルトへの答えを聴けるんだろう?」
やっぱり、あの時のやり取りに気づいていたんだな。
「まさかやり取りを見ていたとは。おはずかしいですね。まあ……聴くに絶えないような演奏にならないように、頑張りますよ」
「ああ、楽しみにしているよ」
エルに対しては心配はあると言った。
でも俺に関しては特に問題に感じることは無い。緊張はもちろんある。でも、俺のできることをやるまでだ。いや、今日に限ってはそれ以上を求められるのか……。
エルは、昨日はガチガチになりかけて懸念はあるけど、それでもリハーサルでは危なげなく弾けていた。後はそこから自分なりの演奏が出来るかどうかだ。
「あ、そうだ。演奏者は別にずっと裏で待っている必要は無いよ。こういう経験は早々ないからね。楽しんでいくといい」
「ありがとうございます」
心臓が音を立てているのが聞こえる。それを聞くと、呼吸も段々と荒くなっていく。
俺は深呼吸をしてから緊張感をそのままに待機室へと向かった。
まもなくすると、オーケストラの演奏が聞こえてきた。昨日聞いていた曲とは打って変わって柔らかな曲だった。
それでも、それを上手く弾きこなしていく。やっぱりプロは凄い。
「緊張しますね」
「ああ。でも、昨日みたいなガッチガチでは無さそうだな」
「はい。もう取り乱したりはしません。自分を信じて弾くだけです」
残り少ない時間を、指をひたすら動かして曲を確かめた。大丈夫。指はしっかり動く。譜面もちゃんと覚えてる。
耳を塞いで、ただひたすら集中した。脳内から楽譜を引っ張り出して、ひたすら指を動かして、確認した。
エルもずっと楽譜とにらめっこをしながら指でトントンと楽譜を叩き指を動かしていた。
レーナの演奏が終われば、次は俺の番だ。
曲の確認は十分にできた。あとは弾くだけ。あとは弾くだけ。
深呼吸をゆっくりとして、俺はステージへ出る準備を始めた。
そこでやっと、レーナの演奏が聴こえてきた。圧倒的な演奏技術だ。繊細で、美しい。流石天才と言ったところだな。
その演奏に、思わず心を乱されそうになる。やばい、この演奏の次に弾くのか……とか、あの演奏に見合う演奏をしなきゃとか、余計な考えが頭によぎる。
でも、俺は直ぐにその考えを振り払って、また自分の世界に潜った。
そして、レーナの演奏が終わり、ステージからゆっくりと戻ってきた。
どれだけ思いを込めて弾いていたのだろう、荒い息をしていた。
「――エルの為に」
師匠らしくとか、そういうのは一旦抜きにしよう。単純に誰の為に弾きたいのか、それだけでいい。
俺は呟いて、ピアノに目を向けた。休憩扱いの時間に関わらず、席を立つ人は少ない。それだけ、面白がって見てくれるということだろう。
一礼して、椅子の高さを調整して座った。
懐かしい感覚だ。
これだけの観客の前で弾くのは初めてだが、俺が今感じているこの感覚は、中学の頃と何も変わらない。
観客は静かに注目している。
そして、俺は最初の音に全てを預けた。
――自信満々に!!
体重をかけて最初の和音を放つ。そして、一気に崩れ落ちるように細かく弾いた。
左手が激しく左右に揺れ動き、波のように音を奏でた。
練習曲作品10-12ハ短調。
これは、ショパンの故郷であるワルシャワに、ロシア軍が侵入したと聞いて、その時の気持ちをぶつけた曲らしい。
革命のエチュードなんて言うと、多分すぐに分かってしまうだろう。サスペンスに出てくるピアニストとかで、誰もが1度は耳にしたことのあるような有名な曲だ。
この曲は左手がとにかく動く。そこが大変な曲だ。
そして、俺がその曲に込めるのは別に悲しみとか、嘆きとか、そういうのでは無い。
ただ、単純に自由を叫ぶ。
それは自分の為ではなく、エルのためにだ。
父から才を否定され、天才には音楽そのものを否定される。
そんな、忘れたくなるような苦難があっても絶対に折れちゃダメだ。
――自分の信念を貫き通せ。
どんなに苦しくても、目標を見失うな。辛くても、進め。
俺たちに必要なのはそれだけだ。
難しいことかもしれない。でも、得るなら絶対に出来る。だって、エルは音楽に愛されるべき存在で――それに、ピアノが好きで好きで堪らないんだしな。
俺はエルに繋げるための演奏をするだけだ。俺で目を惹いて、そしてエルが全てを魅了させる。前までの俺ならそうやって弾いてた。でも、今日に関してはそれは許されない。俺の演奏を、強烈に印象づけさせる。
波打つように流れるようにピアノを弾き、最後は全体重をかけるぐらい力を込めて締めた。
天を見上げて、俺は安堵感に包まれた。そして、割れんばかりの拍手が訪れた。
――今日は、マジで上手くいった。
よくやった。素晴らしい演奏だ。聴衆からは様々な声が溢れた。俺は、その様々な声を一つ一つ噛み締めるように聞き入った。
エルにちゃんと伝わっただろうか。そうだとしたら、自分らしく、堂々と弾いてくれよ。今のエルならレーナとも引けを取らないはずだ。
俺はゆっくりと立ち上がって、そのままステージ袖へ戻った。
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