第12話

 

 買い物はあらかた終え、緑の多い公園に足を運んだ。

 コーヒーを作るために店で話を聞いて色々揃えた。フライパンなど料理器具も揃えて、料理をする準備も万端だ。

 ベッドはふたつも置けないので、大きめのクッションを買って誤魔化すことにした。それでも硬い床に寝るよりよっぽどマシだ。

 他にも服を買ったり、兎に角ボーナスが一瞬ですり減るほどの買い物をした。でも、衝動買いとかではなく、充実した買い物だったと思う。

 

「部屋の内装、大分変わるんじゃないですか?」


「そうだな。何より、クッションを買ったのがでかい。これで硬い地面とはおさらばだ」


「ベッド、私と使えばいいのに」


「嫌だよ。狭いだろ。俺は1人で広々使いたい」


「むぅ……」


 久しぶりのまともに買い物で疲れたのもあり、公園のベンチで一休みした。

 この公園は、町の中でも1番広く、休日は仕事休みのおっちゃん達が何やら球技で遊んでいる。俺も混ざりたい。

 サッカーに似た何かだ。というか、サッカーそのものだった。

 スポーツねぇ……苦手じゃなきゃ混じりたいんだけどな。

 異世界とは言っても、文化的にはそこまで変わらないものらしい。なんとなく海外旅行にでも来た気分になる。ただ、モンスターとかいるし、そう言うには少し過酷な世界だが。


「大分、エルのいる日常も馴染んできたな」


「そうですか? えへへ、嬉しいです」


 ここ数日、俺の周りは目まぐるしい早さで時間が進んでいく。

 ピアノを弾いて、弟子ができて、おっさんの店が儲かった。

 そして、真っ白のキャンバスのような。何も無かった俺の部屋がみるみる彩られていく。


「このままの日常が続けばいいのにな」


 思わず、ポロッと漏れてしまった。


「――大丈夫ですよ。続きます」


 それを聞き逃さず、人懐っこい笑顔を向けてエルが言った。


「だって、私はまだ未熟者ですから」


 そう言ってくれるのは、素直に俺も嬉しい。単純に、俺の事を元気づけようとしてくれたからだ。まあ、気を使わせてしまったのは反省するか。

 でもそうじゃないんだ。この時間は、あくまで元の世界へ帰る待ち時間に過ぎない。しかも、いつまでまたなくてはいけないのかも分からない。

 何十年後なのかもしれないし、明日突然訪れるのかもしれない。

 もしも、突然元の世界に戻れる方法が見つかったとしたら、俺はすぐにでも元の世界へ戻るだろう。

 やり残したことがある。まだ、あの時交した約束が果たせていない。だから、なるたけ早く元の世界へ帰らなくてはいけない。ここで足踏みをしているわけにはいかないんだ。

 でも……今はエルがいる。

 こうやって、俺の日常を全く新しく作り替えてくれた彼女は、俺にとって特別な存在だ。だからこそ、俺は迷ってしまっている。

 どっちかなんて選びたくはない。選択を少しでも先送りしたい。

 どっちも同じくらい大切なんだと思っていたい。

 だから、こんな幸せな日常が、ずっと続いて欲しいなんて思ってしまう。

 

「そうだな。だから、さっさと上達させて追い出さないとな」


 若干、ほんの少しだけ――俺は本音を含みつつエルに言った。


「酷い! 酷いですよ師匠!」


「あはは、冗談だよ冗談」


 涙目で抗議をするエル。どうやら、本気だとは思われて無さそうだが、少し怒らせてしまったようだ。

 それを見て、俺は胸が痛くなった。

 さっさと上達させないといけないのは、当たり前のことだ。

 でも、俺のは後ろめたい理由から出てきた言葉だった。早く上手くなって追い出して、それで元の世界へ帰るという目標に集中したい。

 やっぱり弟子なんて取るべきじゃなかった。弟子なんか二つ返事で取ってしまったから、これだけ苦悩することになったんだ。


「むぅー……。もう知りません」


「あ、ごめん。怒っちゃったよな」


 ぷいと顔を背けてしまった。でも、肩に寄りかかってきた。怒ってるくせにベタベタするとは、一体どんな気持ちなんだろう。

 

「すぅ……」


「えぇ……。そんな急に寝るの?」


 ふくれっ面で騒いでいたと思ったら、静かになり、ぼーっとしているうちにエルが眠ってしまった。

 俺は吸い込まれるように、エルのあどけない寝顔を見ていた。

 今日は一日中はしゃぎっぱなしだったし、疲れてしまったのだろう。今日はまだ時間がたっぷりあるし、少しくらいは寝かせてあげてもいいかもしれない。

 じーっと寝顔をを見ていると、さっきの馬鹿みたいな考えが全て吹き飛んでしまった。


 あー、なんでだろう。風が気持ちいいなー。そしてなんか、頭もいい感じにぼーっとして瞼が重たくなって……。

 ……って危ない危ない。俺も寝たら流石に不味い。

 駄目だ。今日の天気だと絶対寝る。やっぱりエルを起こそう。


「エルー……起きろー」


「ん……んっ!」


 肩を少し揺すったら、手で払われた。

 めっちゃ嫌がられたんだけど。泣きたい。

 いつ起きるんだろう。このままずっと寝られても困るんだよな。でも、無理やり起こすのも……。

 ぎゅっ。


「ってうぇぇ!?」


 俺の体に寄りかかるようにして寝ていたのが、今度は腕に抱きついてきた。

 人が居なくてよかった。これを見られたら最期。犯罪者扱いされ、一生ロリコンのレッテルを貼られることになる。

 それよりエルはど……どうしたんだ? 


「エル、起きたのか?」


 そう思ってつんつんと肩をつついてみたが、嫌がることすらなかった。どうやらまだ寝ているみたいだ。

 そして、その問いに答えることはなく――。


「……美味しそー。あむっ」


 俺の腕に噛み付いてきた。


「――痛ってええええええぇぇぇ!! 痛、痛い痛い痛いから! やめろ! あ、腕がもげる!!」


「あむあむあむあむ」


 クソ野郎! お前一体なんの夢を見てるんだ。

 何が起きたのかは知らねぇがさっさと起きてくれ。ちょっと流石にこれは……あ、涙が出てきた。

 ギャーギャーと俺が騒いでいるのに、エルは一向に起きる気配がない。

 寝ているとなれば、無理やり起こすのは可哀想だし、どうすれば……。


「……あんた何やってるのよ」


「ジャストタイミング! ユーリ助けてくれぇ……!」


 偶然通り掛かったユーリ。

 それを見て俺の口から出てきたのは、震えるなっさけない声だった。


「何がしたいの?」


「そんなの知るかよ! 早く助けてくれ! 死ぬ! これ死ぬから!」


「はぁ……」


 ユーリは呆れたようにため息を吐いて、エルを引き剥がして投げ捨てた。


「おい、エルが可哀想だろ」


「そのロリコンぶり、どうにかならないかしらね。師匠に噛み付くとかありえないでしょ。このくらい、別になんともないと思うけど。私だったらこの後に叱るまであるわ」


「なんて酷いやつだ」


「あんたが馬鹿なだけよ」


 言っておくけどなんともなくないから。引き剥がすのはともかく、お前投げ飛ばしただろ。


「痛た……。あ、師匠。すみません、眠ってしまいました」


「ああ、俺は構わないけど。エル、突然で申し訳ないんだが、変な夢見てなかったか?」


「夢? なんのことですか?」


「いや、なんでもない」


 本人も全く記憶にないのか。なんだ、一体俺はなんのために噛まれたんだ?


「うーん。あ、空を飛ぶ夢なら見ましたよ?」


「ごめんな」


「ふぇ?」


 それは多分、大体そこにいるやつのせいだ。


「あ……ユ……こんにちは」


「いや、せめて名前くらい呼びなさいよ」


 あいっ変わらず馬が合わないんだな。


「はぁ……しょうもない。私はもう行くわね」


「ああ。またな」

 

 エルを引き剥がすためだけに来た存在か……。憐れだな。

 俺はヒリヒリと痛む腕をさすりながら立ち上がった。うわ、跡ついてんじゃん。結構マジで噛んでたな、ひでぇ。


「よし、じゃあ食材買って帰るか」

 

「はい!」


 くれぐれも、エルの寝相には気をつけることにしよう。


 

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