第8話

 今日のおっさんの店は何時もより圧倒的に人が多い。店の中がうるさくて、思わず耳を塞いで外に出たくなる。

 これが、俺の宣伝の効果のわけだ。

 その代償は、俺にとって大きいものになったが。


「お前、外で何してきたんだ?」


「ちょっと宣伝してきただけですよ。それが意外と効果があっただけです。おっさんはこれを求めてたんでしょ?」


「まあな。ちょっと変わった食べ物でも、ピアノの有る無しで大分変わるな。やっぱり、買って正解だ」


「ま、早めに採算取らないと潰れますからね。こっちも頑張らないと」


「潰れる潰れる言うんじゃねぇ。客に聞かれるだろうが」


「そうですね。珍しく客がいますもんね」


「てめぇなぁ……」


 おっさんは完全に呆れているが、これくらい言わせて欲しい。

 ほんと、遂にのんびりまったりと異世界ライフは消滅してしまった。グッバイ自堕落。グッバイニート。

 あれ? それって結構良いんじゃね?


 それにしても、繁盛する店で働くのも案外悪くないかもしれないな。

 うるさいのには慣れないけど、笑顔で溢れて色んな人が集まる。

 そして、おっさんの料理に口を揃えて上手いと言ってくれる。

 これは、俺も気合い入れてピアノを弾かないとな。

 来てくれたお客さんの為に。

 それに、俺を師匠と呼んでくれるエルの為に。

 

「師匠、そろそろですか?」


「そうだな……もう来る頃ってお前その服装なんだよ」


「エプロンですか? ジョセフさんのお手伝いです。今日は人が多いので手が回りませんから、私もお仕事してるんです」


 緊張で外の空気を数時間吸いに行ってたら、そんなことになってたんだな。

 すまんな。でも、エルのエプロンプラス三角巾姿を見れたのは最高すぎる。たから、反省なんてしてやらん。


「師匠。来ましたよ」


「……あれ?」


 時間通りにユーリが店にやってきた。

 やってきたのだが、雰囲気がいつもと全然違うから別の人かと思った。

 真っ直ぐで、一切淀みのない黒髪をサイドテールで束ねるのがいつもの彼女だ。

 しかし今日は髪を結っておらず、サラサラの髪をストレートに下ろしていた。

 それに服装もいつものラフな格好ではない。クエスト前の格好とはまるで違って、大和撫子と言っても差し支えない雰囲気だ。

 さて、一言言うとしよう。


 ――お前誰だよ。


「こんにちは、今日は人が多いのね」


「お蔭さまでな。どうせユーリが呼んできたんだろ? 分かってんだよ」


「そうね。このくらいプレッシャーがないと、あんたの覚悟が分からないからね」


「覚悟ねぇ……」


 俺なんてろくな覚悟してないけど。


「何その言い方、気に触るわね。言っておくけど、あんたが心配だからこそこんな回りくどいやり方したんだからね? 別に、悪いことしようとしたわけじゃないわ」


「え? そうだったの?」


 これが、いわゆる逆ツンデレってやつか。いや、それってデレてるだけだよな。


「なんだと思ってたのよ」


「いや、俺の事ロリコンの変態野郎だと思ってたのかと」


「なんでよ!? 私はその子を弟子にとって、後悔しないだけの覚悟があるのか確かめたかっただけよ。案外生意気だからちょっと熱が入っただけ。別にあんたのことは嫌いじゃないわ。寧ろ……いや、なんでもないわ」


 でも、好きも嫌いもどちらにせよ厳しい目を向けられるのは確かなんだよな。


「もし、俺がそうでなければどうなるんだ?」


「エル、だっけ? その子を何としてでも家に返しなさい。聞いたところ貴族の娘でしょう? 中途半端なことしてたら後々痛い目見るわよ」


「なるほど。じゃあ、ますます頑張らないとな」


 首はねはご勘弁って感じだし。


「……ふん」


 ユーリは机に座ると、エルに注文を頼んだ。

 ここのメニューは特殊だが、ユーリは迷うことは無く注文を決めていた。

 せめて、客と店員って関係の時はそのトゲトゲとした感情を隠して欲しいんだけどな……。店の空気が死にかねないからやめて欲しいんだけど。


「感じ悪いですね」


「少しくらいは許してやってくれよ。ああ見えて結構可愛いとこもあるし」


 とか言って顔を赤くしてちらちら見てきたりするとことか、反応面白いし。

 ってか今の聞こえてたのかよ。


「なんでそんなに肩をもつんですかぁ!」


 エルは本当にプンスカと聞こえそうなくらい、頬を膨らませていた。

 

「あはは。そんじゃ、ちょっと行ってくるよ」


 エルを適当にスルーして、ピアノの方へ向かった。

 ホールで行うコンサートと違って、別にお辞儀をすることは無い。

 メインは食事であって、演奏ではないからだ。演奏はあくまでも雰囲気を出すための引き立て役だ。

 でも、今日はお客さん全員が俺の事を注視してるし、流石にお辞儀した。うん、完全に演奏メインになっちゃってるね。

 

 普段のコンサートはオシャレなスーツとかきちんとした服を着てる人が見に来ていた。だが、筋肉質な男とか、圧倒的アウトドアな人が並んでいる。はっきり言おう、マジで怖い。

 控えめに言っても、視線が殺しにかかってきてる。もう一度言うけどマジで怖い。


「師匠……っ」


 祈るようにして呟かれた声。大袈裟な。でも、ちゃんと弟子の願いには答えないとな。

 俺は任せろと拳を突き出す。

 これからクラシックを弾くとは思えないやり取りだな。いや、実は野球漫画の世界線なのかもしれない。

 なんでだよ。


「……」


 ゆっくりと息を吐いて、そっと鍵盤に手を乗せた。手にツルツルとした感触を感じた。

 自分がどれだけ弾けるのか見せたいだけなら、選ぶ曲は簡単だ。

 自分の弾ける中で1番難しい曲を弾いてしまえばいい。

 まあ、難しい曲とは言っても、気色悪い指の動きするのは無理だけど。

 俺は息をふっと吐き、流れるように指を動かした。最初からエンジンは前回だ。

 エチュード第4番嬰ハ短調。ショパンのエチュード集の中ではドラマとかアニメで良く耳にする有名な曲だ。

 指の動きが速く、ショパンのエチュード集の中でもかなりの難易度で、かつ芸術性も非常に高く人気のある曲だ。俺の弾ける曲の中で結構ミスタッチが多くなる曲だ。

 中学の頃ミスタッチを減らすために、ゆっくりのテンポで何度も何度も弾いて覚え込ませた記憶がある。それだけ練習しても完璧に弾くのはかなり根気がいる。

 激しく心を揺さぶられる曲だからこそ、表現も難しい。特に、俺はシンガーソングライターになってからはピアノでは無茶な早弾きはしなかったし、ギターをかき鳴らすだけの時もあるから音とテンポの強弱とかはからっきしだ。

 だから、何とか自分の出来る範囲で音を工夫するしかない。


 ブランクがウザったらしい。こういう曲を弾くと直ぐに腕が疲れて、指の動きが鈍くなってくる。


 動け、動け、動け! 腕が熱くなり動きが鈍りそうになるが、それでも気合いで無理やり動かした。

 テンポを落とすな。強弱を忘れるな。滑るように、粒を細かく!!

 ここにいるやつに見せつけろ。俺がどれだけ苦労していたのかその耳に叩きつけてやる。

 特にユーリだ。俺がクエスト受けなくなったのを根に持ってるんだろ。前まで親切だったのにトゲトゲしやがって。

 おっさんの店に出会って久しぶりに平穏を得たんだ。少しくらいは楽させろよ!!

 覚悟を見るとか言って偉そうにしてるお前より、俺の方が絶対に苦労してたからな!! お前は俺の何を聞いてたんだ!

 不満が募りに募った八つ当たりに近い何か。それを、ピアノを通して表現をしていく。

 それがどう伝わるかは聞き手次第だけど、多分しっかりと受け取ってくれるはずだ。

 そう信じながら、最後の和音をきっちりと締めて、弾ききった。

 やりきったと思う。でも、何故か満足出来なかった。所々無機質な音。あの時の音だ。


 テーブルを見ると、誰もが食事の手を止めて、俺の事を見ている。

 エルも、拍手をするべきなのか迷っているのか、周りを気にしながら混乱していた。

 別に、なにか反応する必要は無いんだよな。ただ、ご飯片手にちょっと聞いてくれればそれで。

 それにしても、誰も演奏に違和感は抱いていない。ならこの違和感ははなんなんだ……?

 俺は別に拍手を求めている訳では無いし、特に観客には反応せずにそのまま次の曲へ取り掛かった。

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