第4話

 今日は、ちょこちょこ来る客にピアノを聴かせて、それを延々と続けるだけで一日が終わった。

 その時も、エルはずっとピアノに一番近いテーブルを確保して曲を聴いていた。まだうろ覚えの曲ばかりなせいでレパートリーが少なく、同じ曲を何度も弾いてる。

 それでも俺の弾くピアノを、ずーっと楽しそうに聴いてくれる。この2人の空間は、中学校の頃を思い出す。

 小学校からピアノを通して知り合った女の子。俺が最終的にシンガーソングライターを目指そうと思ったのも、その子が発端だった。

 そして、良く中学校の頃は音楽室に居座っては2人でピアノを弾いて遊んでいた。

 あの頃が1番純粋に音楽を楽しんでいた。


「おい、飯作ったけど食べるか?」

 

「お、サンキューおっさん」


「……おっさん、さんですか?」


「ぶっ!!」


 お……おっさん、さん。ぷっ。


「クッ……いやぁ、エル。傑作だけど違う、おっさんって言うのはだな……」


「おい、そういう言葉教えるのは師匠としてどうなんだ?」


 やべ、珍しく若干切れてやがる。


「ああ、そうっすね。やめておきます。エル。あれだ、おっさんは若干汚い言葉だから、ちゃんと名前で呼んでやってよ。ジョセフ・ジョー○ターさんだ」


「誰が○ョースターだ。ジョセフ・イノーアだ。ジョセフだけでいい」


 そっか。おっさんは○タンド使いじゃなかったんだな。


「ジョセフさんですね。分かりました。では私も、ご飯を注文しても良いですか?」


 うん。くれぐれもおっさんなんて言葉は使わないようにね。教えようとした俺が言える言葉じゃないけど。


「いや、お嬢ちゃんも次いでにご飯作ってやるよ。金入らねぇ」


「え……でも」


「エル。こういう時は、おっさんの顔を立たせてやるのが後輩である俺達の仕事だ。これが大人の世界っていうんた」


「な、なるほど……!?」


「おい、嬢ちゃんに変なホラを吹くな」


「ホラじゃない。だいたい合ってるだろ。な、エル」


「そう……ですか……? ありがとうございます。なら、お言葉に甘えて」


「おう! 腕によりをかけて作ってやるぜ」


 賄いに腕によりをかけるのかよ。手間のかかる賄いだな。

 おっさんはスパゲティー用の鍋を用意してパスタを茹で始めた。

 そして手際良く野菜を切って、フライパンでパスタと共に炒める。

 少しすると、仄かなニンニクの香りを包むトマトソースの香りが漂ってきた。

 

「いい匂いですね」


「当たり前だ。今が旬の野菜を使ってるからな」


 ここは、客足こそ無いものの、いい素材を揃えていて尚且つおっさんの腕がいい。

 知る人ぞ知る穴場となっていて、中には貴族が変装をしてまで足を運ぶ時もある。

 ただ、俺がここに働きに来てから、今のところはまだ見ていない。まあ、そんなに頻繁に来れるほど、貴族も暇ではないしな。

 それこそ、これがおっさんの吹いたホラって可能性もある。


「そういえば、エル。宿はどうするんだ? お金とか、あまり持ってないだろ」


「宿は1週間は持つかなと、師匠の家に泊まれればと思っていたので」


「……え? ちょっと待て。もう1回言って欲しいんだけど」


「えっと、師匠の家に泊まろうかと」


 ……聞き間違えじゃなかったぁぁぁ!!

 待て待て待て、マジでちょっと待て。

 ひとつ屋根の下で? 俺のパーソナルスペースはどこに行くの? 

 そんな事したら、風呂も気を抜けねぇよ!

 なんなら夜眠れねぇよ!


「う、お、落ち着いた方がいいと思うよ。いきなり他所の家住むとか……どうかしてね? それ多分馬鹿だよ?」


「ば、馬鹿……うぅっ、なんでそんなこと言うんですかぁ……」


 ごめん、馬鹿は言いすぎたわ。だから泣かないで。


「ご、ごめん。でも、男の家にいきなり飛び込むとは正直どうかと思うよ?」


「でも、私一人で宿は心細くて」


 そうだよな……。そもそも、この歳で一人旅っていうのが危険すぎるし、おっさんに預けて負担を増やすのは嫌だしな……。


「うーん、じゃあ……しょうがないな。来るか。俺ん家」


「本当ですか? ありがとうございます。お世話になりますね」


 その笑顔いいね。ロリコンじゃないけど素敵だと思うよ。あとそのお世話になるっていう言い方もなんか良いな。ロリコンじゃないけど。


「出来たぞ。トマトソーススパゲティだ」


 フライパンからもくもくと湯気がたち、美味しそうな匂いに思わずお腹が鳴った。じんわりとヨダレも出てしまい、今すぐがっつきたいくらいだ。


「わぁ……すごく美味しそうです」


「だろ? 人は来ないけど、飯は美味いからな」


「人は来ないは余計だ。んなこと言ってるとこのスパゲッティ食わせねぇぞ」

 

「なんだよ本当のこと……分かった分かったからごめんなさい分かったから!」


 くっそ、すっとスパゲッティを引きやがった。ひでぇ!!


 何度も謝ってようやく出されたスパゲッティ。

 エルがそのスパゲティーに見とれている間に、俺は皿が出されるなりズルズルと啜っていく。

 今はね、無心でいることが何より大事なんだ。煩悩退散煩悩退散。この味をダイレクトに感じるんだ。

 エルはそれを見て、音を立てないように丁寧にパスタを食べていった。

 やっぱり、エルは貴族なんだな。食事の所作1つとっても貴賓が漂っている。

 

「世界って広いんですね。師匠の曲を初めて聞きましたし、この料理も初めて食べました。初めて尽くしです」


 間違ってはないが、正確に言えば世界が広いのではなく世界そのものが違うんだ。俺の弾いた曲は存在しないし、おっさんの作ってる料理は……何かどっかにはありそうだな。

 この街でもパンとか普通に売ってるし、トマトとか野菜もあるって考えたら飯も似たようなのはあるよな。多分。


「まあ、見たことないからこそ売れないんだよな」


「こんなに美味しいのにですか?」


「誰も得体の知れない料理しか無かったら食べたくないだろ」


 初めは怪しい料理屋が出来たと噂になったらしいからな。

 レストラン作って、現地の料理をほとんど入れなくていきなり逆風に立たされたわけだ。よくそれで今まで続けてられたな。


「ごちゃごちゃ言うな。そんな事情も全て、ピアノが解決してくれるんだよ」


「あまり俺を高く買わないでくださいよ」


「お前は信じちゃいねぇ。ピアノを置くっていうアイデアそのものを信じてるだけだ」


「マジかよ。ひっでえ話だな」


 嫌味なやつだ。確かに、俺はプロになれなかった半端者だけどな。それでもシンガーソングライターとしてなら後ちょっとだったんだからな?

 

「師匠にそんなこと言わないでください」


「ありがとうエル。神だわ。ほれみろ。エルが味方してくれてっぞ。つまりおっさんが悪だよーしよし。よくやったエル」


「えへへ……」


「こうやってロリコンが生まれるわけだな」


「やめろ泣きたくなる」


 違うからな。俺はロリコンじゃ断じてない。俺は属性でいえば幼いより幼馴染の方が良い。

 幼馴染属性は最強だからな! 長い時間過ごしてきたからこその信頼。

 そしてその信頼がいずれ……うん、何話してるんだろうね。


「師匠」


「なんだ?」


「えへへ、なんでもないです」


 やばい、流石にこれは可愛い。鼻血が出て昇天しそう。

 え、何? 天使なの? 天使が舞い降りてくるの? そっか、俺は死んだんだな。


「お前なぁ……」


 今まで見た事のなかったおっさんのジト目を拝むことになった。

 おっさん! 違う、マジでロリコンじゃないから!

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