第26話 母の横顔

 急発進させてから車は単調な海岸線を走る。同じように車内も会話が途絶えて、単調になっても別に気分を害してない。と云うことは出だし以外は、丁寧な運転になって判った。さっきの側道での一時停止で、彼女は彼の心の億底を覗いたのだ。母と似ている成美なら、おそらく受付嬢の母と亡父も、さっきみたいに荒っぽい動作で、相手の気持ちを確かめたに違いない。そう思いながらハンドルを持つ成美の横顔をつくづく眺めて声を掛けた。

「バイトは休んだの?」

「そうよ何か文句ある!」

 荒い口調でも目は笑ってる。この言葉に何の意味もないと知ると、彼女にさっきの同意を求めるように話掛けた。

「僕のために」

「冗談じゃないわよお母さんのためよ。あなたの」

「そうか、でも君も回りくどい。交際宣言でなくデートの誘いなのに」

「内の村ではそう言うの!」

 村と来たか、そんな照れ隠しの言い回しに「それで都会へ出て行くのか」と揶揄からかった。

「五月蠅! 何ならここで降りてもいいのよ」

「それじゃあお袋に会えない、君がせっかく迎えに来てくれたのもおじゃんになるなあ」

「なら無駄口は慎むように」

 こんな遣り取りが続く内に、彼女は照れを口の悪さで誤魔化している。それが解るとちょっと優位になった気分だった。やがて片瀬の家が近づいてきた。

「まだ寝ているのかしら?」

「それは僕の家ではあり得ない、起きて準備万端で待ってるだろうなあ……」 

 先ほどまでのるんるん気分が、憂鬱になって落ち込んできた。

「あなたが来てることは言ってないから知るわけないでしょう」

「そうか、でも驚くだろうな」

「驚いても追い返しはしないわ」

「そやろか? 」

「さっきは似ていると言ってあたしを引っ掛けたのはあなたでしょう」

「引っ掛けた? もうちょっとロマチックな言い方になりませんか」

「うるさい、だからあたしを見ていたら解るでしょう」

 ここで彼女はまた乱暴に大きくハンドルを切って、母が居る片瀬の家に横付けした。

「さあ着いたわよ覚悟を決めなさい。お母さんは笑って迎えてくれるはずよ」

「引っ掛けられた君が言うのなら間違いないだろう」

「ひと言多い、今更、男らしくない」

 成美はジタバタするなと暗に戒めているが、あれから気さくなぐらいに笑顔を返してくれる。車から先に降りた成美は、急かすように勢いよくドアを閉めた。


 二人は寝た振りをしていた様だ。それが証拠に娘二人が食事を済まして出払うと見計らったように起き出して、居間兼食堂代わりのテーブルで軽い食事を済ませてテレビを見ながらお茶を飲み出した。昨日は娘がいる手前バカ騒ぎしたが二人きりになると二十年前に突然タイムスリップしたように話題が入れ代わった。

「きのうは突然の電話でびっくりしたんじゃないの」

「いや娘から例の物を手土産にしたと聞いてから耀子ようこなら、なんか言って来ると思ったから驚かない」

 娘は持ち帰る英一さんを引き留めたが、一本気過ぎて周りを見ない唐変木だと言っていた。それで感傷に耽っている息子さんだから、耀子にはどう説明しても飛んでくるから掛け値なしに娘は話した。

「この前に会った息子さんから今のあんたの話を聞いてどうしたんだろうと思ってたから、でも駅で重そうな手提げ袋を見てからあんたは昔と変わらんなあと思ったよ」

 手ぶらじゃあ来ない、なんか厄介な物を持って来ると思ったら案の定当たっていた。

「じゃあどうしてあんな物を持って帰る息子を真剣に止めなかったのよ」

「それを言うなら委任状だけで済むのに、じゃあどうして息子を丹後へ行かせたの」

 なるほどと耀子は笑ったが決して納得していない。夕べと違って素面しらふの耀子は容赦なく衝いてくる。

「まず井久治だけどあなたアッサリ諦めたわね」

「仕方ないでしょう」

 その一言で片付けられたから今の旦那さんと一緒になったんだろう。

「あの事件の時は成美ちゃんは生まれていたっけ。生まれる前なのにあたしに励ましの電話をくれたのよね」

「あなたに託した人ですものでもそれが間違いだったと云いたいの ?」

「ううん、あたし達でなくあの人にとって余りにも短すぎた人生だったから一粒種の行く末も知らずに逝ったから不憫なのよ」

 ーーでも想えば幾らあの人の身になって考えても人間死んだら一緒だと思う。亡くなった人が何を望んで何を望まなかったかは生きてる者のエゴでしょう。

 ーーそれを父の顔も知らずに何の面影すら持たない人に言うのは酷だと思う。息子さんがそこまで卓越した人になるにはそれなりの修行と悟りが必要でしょう。

 ーー照美の言う通りね。息子は人いち倍に苦労しているのは解るが身に着いてない。目標を立てるとそこから日々に振り分け、今日はこれだけはと日々追われて、豊富な経験が頭を素通りして、仕事の内容は憶えてもそこにたずさわる人の義理人情や感情が染み込んでない。要するに仕事と学業を四年間みっちり詰め込み過ぎて経歴は立派だが中身が伴ってなかった。

 ーーだから無理もない。想い出のない人には形見が要るのに耀子は写真すら残していない。息子さんには唯一の父に繋がる物はあの鎖しかない。それを捨てろと言うのは酷な話しだ。あたしは井久治とは高校まで一緒に駆けっこもしたし、宿題やクラブ活動も一緒で男女と友達の区別もあの頃はなかった。今も天国で暮らして居ても敷居がないはずよ。

 ーー天国なんてそう云う仮説を立てるから息子が後生大事に持ち帰って来るのよ。

 完全な現実論者は完全な唯物論者になり得る。彼女にはそんな難しことは不要だが彼女の生き方が加納には必要になっていた。

 そこへ過去を引き摺る無神論者の息子がやって来た。まずキッチンに成美が顔を見せた。

「あんたバイトじゃなかったの?」

「ううん、お母さん、加納さんを迎えに行って連れてきたわよ」

 息子が来ても耀子はどっしりと座っていた。照美は娘の後ろにいる加納を認めると小走りに近づき表の車で待ってると言い残して加納親子を残して外へ出た。

「お母さんさっき車の中で加納さんが瞳に星を浮かべてデートの催促されちゃった」

「それでなんて応えたの」

「そんなの知るもんかって言ったけどそれからやけに馴れ馴れしいからあたし悟られちゃったのかなあ」

「バカねぇ女は本性を見せたら終わり、だけど耀子はそこからが凄かったけど……」

 ーー普通は惚れたら女は弱いと、相手に取り込まれるけど彼女は取り込んだ。だからそれ以上に、この人にはひと花咲かせるのはあたしの責任だと、我武者羅がむしゃらに盛り立てた。道半ばで、これほど支えた人が無念に打ちひしがれた。それを思い起こさせる物を加納さんは持ち帰ったのよ。そこをあんたはしっかり見極められるのなら母は何にも言う事はない。自分のことは自分で決めなさい

 これはエールなのかそれとも戒めなのか、その見極めを母は自分で見付けるように云っていた。


片瀬親子が抜けた部屋に残された加納は「母さん」と言ったきり、次の言葉を忘れて仕舞うほど、初めて見る毅然とした母がそこに居た。

 それを察するように立ってないで座りなさい、と母に勧められて加納は対座した。面と向かえば確かに母親は、成美から聞かされた亡父が恋した母だった。そんな母に加納は何を言ったら良いのか、思案に暮れるうちに、母はゆっくりと語り出した。

「麻子が親子三人で小さな食堂を切り盛りしているのは知ってる?」

 加納が頷くと、行ったことはと訊かれて否定した。それどころか分家の波多野遼次さんから聞いて一度会ったきりだった。それも照美さんに口添えしてもらって会えた。

 それが母の語る麻子の住まいは、築何十年の古い店を譲り受けてそのまま使っていた。その麻子は子供が出来なくて里親制度に登録してから、育てられない事情のある赤ちゃんを引き受けた、ともらった年賀状に書かれていた。それを隠すどころか自慢にして、来ないかとも書かれていた。

母の言葉に、あの日の麻子の華やかなワンピース姿の裏側を知った。今まで普通の小綺麗な店だと思ったがあれは一張羅だったのか。 

「今の人と一緒になってあなたの弟の謹治きんじが生まれた頃にハガキで麻子が幸せだと言うから一度行ったのよ」

 ーー狭い家で下がお店で二階で三人が暮らしているの。昔は同じ受付嬢として張り合ってお洒落を着飾った者同士が、今でも何の取り柄もないただ突っ立ってるだけの人やけど『お父ちゃん、お父ちゃんと麻子が呼んでる旦那さんが自慢のラーメンを作ってくれたの』で夫婦仲は好かった。けどこんな暮らしをして楽しいの、と訊くと楽しくはないけど、しあわせって言った。

「この一言で今までの輪郭がぼやけてしまいそれが胸に応えた。だから上を向いたら切りがないから、幸せは自分で決める物だと思って黙々と今の家庭を築いたのに英一、あんたが可怪おかしな物を持ち帰ってからぐらついてしまった。それをこれから供養に行くからあんたも一緒に来なさい」 

 ここまで諭されると、加納も捨てる決意をするしかなかった。

 





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