第24話 照美と耀子
陽の高い内に要件を片付けようとして
「この迫力有る車のスタートダッシュは昔の新生活を想い起こせて堪能出来そう」
照美は此のひと言でニンマリして井久治の未来を耀子に託した昔を想いだしていた。
「耀子、そんな事があったっけ」と照美は惚けた。
「三人でドライブした日を憶えている? 照美が珍しく運転した日だったけど」
「憶えてる、耀子が助手席であの人が後ろの席にいた、あたしのハンドル捌きを見詰めてあの人が感心して何処で上手くなったんだと言われて耀子に取られてやけくそになってるのよって云って急にぶっ飛ばしたらあの人を気落ちさせてしまった」
なんて気弱な人なのこれじゃ此の先の人生はお先真っ暗、と照美は耀子に鋭い視線を向けた。あの時、照美の強いこのメッセージを快く耀子は引き受けた。ここに二人の友情は完遂したと思った。
「あの時はそう云う冗談の利かない堅物だからって耀子が言ったから本当か鎌を掛けたのは正解だったわね」
「あれであの人に言い安くなったのは照美のお陰で今でも感謝しているわ」
今更エールの交換もないがあの時は助かったと耀子は礼を言った。
「あれから彼に説明した『何を言われてもされてもどんと構えていなけゃあ、あなたは彼女に悪いと本当に思っちゃっても、もっと相手を見抜けて自分を見透かされ無いように。これを教訓にするように照美があなたを試したのよ。こんなことで泡食って尻込みしてる場合じゃないわよ』って言って発破を掛けてからあの人は新しい人生の扉に向かって歩いてくれた。本当の奥底を見抜いたのはあなたかも知れないわね」
「違う、お膳立てをしただけ。奮い立たせたのは耀子だからあたしでは無理。だからあなたはこの町で思い切った。あのやり方にあたしは負けたわ。井久治さんは古い人だと思っていたのにあの人が本当に求めていた物を都会育ちの耀子は見抜いた。だからあなたがあたしを上回った」
「何を今更そんな古い物語を聞かす気になったの」
「昔と変わらない耀子が居るからよ」
そうか照美は今のあたしを知らない昔のあたししか知らない。麻子はすっかりおばさんめいてがっかりしたけれど照美は違っていた。夫の留守勝ちなので生き生きしているのだろうか。
「照美は子供が二人だっけ」
「女の子が二人でほっといても勝手にやってくれるから楽だったけどそう言えば聞こえがいいけど結局は手抜きの多かった家庭を娘たちがしっかりやってくれたのよ」
「それで照美は昔のままなのか」
「耀子はその点はちゃんとやってるみたいねだからちょっとひ弱そうな息子さんが出来るのね」
だからあんな物を後生大事に持って帰ったのよと耀子は嘆いていた。昔の婚家に到着後車をそのまま横付けした。まず照美が道幸を呼び出して耀子を玄関に招いた。道幸はまさか甥の後に招かざる彼女が来るとは青天の霹靂と云う顔をして迎えた。後々まで照美はこの時の道幸を鳩が豆鉄砲を喰らった顔だと
応接間に三人はテーブルを挟んで向かい合うソファーに分かれて座った。
「懐かしいですねまた会えるなんて」
まず社交辞令でそう云いながらも道幸の声は上擦っている。息子を呼び出しておいてそれはないだろうと耀子は呆れる。
「その前に
「それは甥にも弟の代襲として相続の権利がありますから当然会って話さない訳にはいかないでしょう、まあ彼には相続問題では大変に感謝して弟同様に出来る限りの便宜を図って対処した」
「そんなみみっちい了見であたしが
照美とともにその件では無いと頷き合って応えていた。相続には無関心と知って波多野は安心したように気を持ち直した。
「じゃあ一体何しにこんな丹後の奥までやって来たんだ」
今更あんな物を後生大事に持ち出して何のつもりかと切り出した。まず義父がなぜあの時に醜い弁明を避けてくれればあたしは納得できた物を今更そんな取って付けた誤魔化しのようにあのタイヤチェーンを呪ったそうだがそれで愛した人が
「息子への手土産の礼を言いに来たのよ。誤解の無いようにあれは
耀子の探りの言葉をどう真に受けていいのか隣の照美の顔色を窺いながら聞いていたが途中から匙を投げ出した。
「言ってることがよく分からんが」
照美がその話はそれぐらいにと釘を刺した。耀子も言いたいことはすべて吐き出しさっぱりした清々しさを覚えて照美の要求に応えて話題を変えた。
「奥さんが急に体調を崩されたそうですね、そのうちに解るでしょう」
「片瀬さんから聞かれたのですか」
「奥さんが倒れてから機械を一台止めてるそうなと聞いてますけどよほど悪いのですか」
照美の問いに波多野は真面に向き合ってきた。背後で流れていた自動織機の単調な音だけが響くともう済んだのか耀子も単純に頷き暇乞いをした。
波多野が言いにくそうなので表へ出てから照美に奥さんの容態を訊いた。前から調子は良くなかったが、放射線治療を受けているから癌らしい。それでこの家だけはキッチリ相続したかったらしい。まあこれで奥さんの治療に専念出来てタイヤチェーンも処分できて一件落着の所に耀子が乗り込んできたから、穏便に済ませたくて低姿勢で迎えたのが本音だった。そこまで訊いた頃には車は片瀬の家に向かっていた。切り離して残った鎖の入った箱は車に置いたままとうとうそのまま婚家を離れた。
「あの義父の血糊が付いた形見分けはどうするの」
車を出した照美が気怠そうに訊いて来る。
「もうどっちでも良くなった。あのぼんくらの頑固頭に輪廻の鎖を置いてきたからあと七回彷徨って四十九日には成仏するそうよ、だから波多野にはあの人の墓守だけをしっかり頼むことにしたの」
「そうね、もう何度も来て貰いたくない雰囲気だからしっかり守ってくれそうね」
さてあの残った鎖をどうするかと呟いてから彼女を呼んだ。
「照美、あんた漁師仲間に声かけて沖まで舟を出してくれないかしら」
ーーこのまま道端に棄てるとばあちゃんが言ってたように
「その言葉って前にも聞いたけどそんなときに使うのかしら」
「生きとし生ける物には魂があるから粗末にするなと云うばあちゃんの戒めなのよ。だからあの鎖にもそれに似た怨念が居着いているからそれを鎮めたい」
本当は波多野家に乗り込んで叩き付ける気でいたが、照美の提案でその気が失せて若狭の海に水葬にすることに決めたらしい。重かった人生の鎖を断ち切り、七つだけ切り取った鎖の一部の軽さで、昔のけりが付いてもう全てに
判ったと照美は漁協に寄って組合長と掛け合った。組合長は出漁中の漁船に引き受けてくれる相手を無線で流して募集した。
照美の知人の漁師が舟を出す用件を聞いてきた。照美がその漁師に掛け合って漁船は翌朝の漁を済ませて昼から舟を出す話になり耀子もそれで了解して
「耀子日帰りは無理になったね」
ハンドル操作をしながら照美は困惑している耀子に話しかけた。
二十年積もり積もった思いを
「照美、今晩止めてくれる?」
「それを今、思案してたの? てなこと無いわね昔の耀子なら」
「そんな不良みたいなこと言わないでよ、よそへ転がり込んでまでして遊んだことはないわよ」
「そんな生易しいもんじゃないでしょう。型破りなところがあるって云うことよ」
照美にそう言われるまで耀子は思ったことが無かった。ただあの頃は言い寄る男が多くて面白可笑しく生きてきたが、みんな中途半端に生きてる人ばかりだった。その中で波多野井久治は全く印象が違った。あたしが今まで知ったどの男にも当てはまらない絶滅危惧種と云えば、あの人は目を剥くかも知れないが貴種なのは間違いない。外見や育ちでなくあの人の考えの違いをそのまま生き様に繁栄させたい。きっとこの人は日輪のように耀く、いえ輝かして見せると意気込んだのもつかの間だった。今朝、家を飛び出したあたしのように……。
「ごめん今の言い直す向こう見ずだった」
「時は金なり、考える前に行動を起こさないとチャンスは逃げて仕舞うのよ」
良く言うよ。それじゃあ何であれから二十年間もフリーズ状態だったのと照美に馬鹿笑いされた。
「だからあんな物だけど一日遅らせてもしっかり供養したいのよ」
なるほどと照美は変な所で納得していた。
帰り着くと玄関で迎えた成美は木下さんの言っていた女性と今、目の前に居る女性を頭の中で照らし合わせていた。じっと見られた耀子は後で照美に「初対面の人をジロジロ見るなんてなんて云う躾なの」と言われ「娘も初対面で同じじゃないの、それに挨拶もちゃんとやってる」と言い返された。
夕食にはすっかり馴れて賑やかな会話が飛び交った。食後に娘たちが引き揚げると「これじゃあ旦那さんは海の上の方が楽そう」そして耀子は「下の娘が言ってた何処が矢絣の目なのよって言ってたけどあれ何なの ? 成美ちゃんに上手く誤魔化されたけど」これには照美も笑って適当に生返事していた。
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