第13話 両家の狭間
母はもう父とは別の家族、加納家と云う家族を築いている人なんだ。籍を抜いて再婚した以上は波多野の家系とは無縁なんだ。それを今更蒸し返したところで……。
ーーあなたは加納さんと養子縁組みされても(まあ実際はお母さんがされたのですが)波多野井久治さんの実子で有ることに間違いない。だから両家に権利が有ります。
じゃあどっちの家にも権利が残ってる俺は何なんだろう。
加納はその足で弟が通う学校へ行った。来年卒業だと言うのに連休も部活に精を出し進学を考えていないのが気になり様子を見に行った。
校門を
「加納、珍しいなあここを出て四年になるか。それよりお前は弟のことはほったらかしか」
「先生、人聞きが悪いですよ相談を受けるまでは好きにやらせてるだけですよ」
「それだけどなあ、兄はあれだけバイトに明け暮れて大学なんて卒業出来るのかとお前の弟から相談されたよ」
訊けば先生は進路指導の担当者だそうだ。
「なるほどそれで進路を決めかねているのか」
「まあ後二ヶ月ですよ泣いても笑っても」
「地区大会ですか」
「彼の場合はねぇ、国立大学を目指す人はもっと前から受験勉強モードに切り替えてますよ」
そこが大学の肩書きを狙った自分と似てるが、弟にはまだそこまでの見極めはしていないだろう。
今は進路どころじゃないからそんな相談を持って来たのだろう。弟とキャッチボールをした日々が蘇った。あの時はただ無心で楽しんだ今もその延長で部活にいそしんでいるのだろう。
二人はグランドが見える場所まで歩き「ここから彼の練習が見えますよ」と先生に傍のベンチを勧められた。
座ってグランドを見るとレギュラーではなくフェンスの極で外野手が逃した球を拾い集めていた。遠目に見ても弟は腐らず無心で白球を追っていた。
弟は甲子園とは無縁の野球部だけど彼はただ好きなだけで出られれば儲けものだからその一躍を買って出られれば球拾いも苦にならなかった。下積みを愉しむ精神は何処から養われたのか黙って見続けた兄の背中なら申し訳ない気がした。もっと個性を出せと云いたい。
「ところであいつはレギュラーにはなれないからいつでも受験勉強モードに切り替えられるがみんなを置いて無理だろうあいつはそう云う男だからなあ」
そう言い掛けて先生は教え子の顔を見た。
「そう云えば加納、お前もあいつに似ているなあ」とグランドの方に顎をしゃくり「同じ道を進むかもしれんな」
加納は眉間に皺を寄せて難しそうに口を一文字に閉じた。
「なら大学はそんな中途半端な物じゃないと突き放すのが親心、いや兄としての務めだと俺は教師としてお前に忠告するぞ」
バイトと学業を両立させるのは並の神経では持たない今の謹治にそれだけの覚悟があるとは思えない。
「先生はどうすれば良いと思います」
「突き放すんだ、それが本当の優しさだ。まああいつが所帯を持てばそのありがたみが解るがそれまでは恨まれるかもしれんぞ、だから加納、よく考えてやれ。もう練習が終わる時間だここで待っていれば通るから一緒に帰ってやれ」
先生は職員室に戻った。グランドはスッカリ片づいて三々五々部員がベンチの前を通り過ぎた。彼を呼ぶ声にふと顔を起こすと謹治が目の前に居た。
「どうしたの」
「朝起きたらもういないからなあ」
「地区大会が始まるからねもっとも見ての通りの球拾いだけと」と屈託無く白い歯を見せて笑った。
「いやお前の事がちょっと気になってなあ、まあ、とりあえず一緒に帰るか」
加納は立ち上がると弟を促して歩き出した。
「進路指導を受けたそうだなあさっき聞いた」
弟は妙な顔をした。
「誤解するな俺はただお前の顔を見に来ただけだったが偶然に昔の担任だった先生にバッタリ会った。それが今は進路指導を担当しているから相談した」
「何て云ってたの」
「俺を参考にしてるようだが俺のやり方は中途半端過ぎるんだ両立するのなら夜間の大学へ行き昼間もバイトでなく正規の社員として雇ってもらえ」とどっちつかずでなく両方生かせる手堅い道を勧めた。
「それって今の兄さんとどう違うの」
「ゴールは一緒だけどバイトと正社員では大きな開きができてる。俺は今から正社員として社会人になったけど夜学を出る頃にはある程度仕事を任される中継社員になってるからしかも大卒の肩書きも付く」
「じゃあ兄さんはどうしてそんな中途半端の道を選んだの」
「自分の存在に悩んでいた、考え続ける時間が欲しかっただからそうした。真っ当な仕事どころじゃなかったんだ」
弟は曖昧な目をしてフーンと頷いた。ちょっと間が空いたから立場を変えた。
「謹治、お前は何に迷っているんだ」
「解んない飛んでくるボールに飛び付く、来なければ待てば良いそれと同じ人生を今は描いていてそれで先生に尋ねただけ」
「それで先生は何て言ったんだ」
「考えすぎは恐怖を招くから自分の能力の限界を悟りそれを越えないように、目標を目の前にして無理なら引き返す勇気を養えなさいと言われました。これが失敗を招かない唯一の方法でこれ以外には道はない。たとえ登頂に成功しても帰ってこれなければ意味がないそれは無謀に過ぎない」
弟自身が今から必要な考えや言葉ばかりだった。それだけ弟は無垢そのままだった。
「急がば回れ、か」
と要約すると、これに弟は直ぐに反応した。
「急ぎたくないし遠回りはもっといやなんだけど、とにかく何も考えずにノンビリ生きたい」
なるほど、勝利は掴むものでなく転がり込んで来るものか、それはさっきまでベンチから見続けた弟の部活で導けた結論だった。
家に帰り着いた。母は台所で夕食の準備をしていた。義父は茶の間でテレビを見ていた。この二人にどんな恋があったのかまったく想像が付かなかった。その象徴が弟のような気がする。弟はユニホームを着替えるとサッサと二階へ上がった。彼も続いて自室に入った。暫くして沙織がノックして入って来た。
「兄さん、あたし、この家出たいの協力してくれる」
余りにも唐突過ぎて変な言葉が出て仕舞った。
「好きな人が出来たのか」
それしかないのと云う顔をして彼女は首を振った。
「デザインの学校はどうするんだ」
「続ける。だって来年卒業だから」
「自立するのならもう一年延ばせないのか」
「シェアハウスなの」
「なんだそれは」
「学校の友達同士で一軒借りるの」
「じゃあ卒業すればバラバラになるんだろうその先はどうするんだ」
「とにかくこの話一口乗りたいので協力して欲しいの」
「どうすれば良いんだ」
「お金が要るンだけど当てが無いかしら」
「ないことはないけど例の遺産相続で丹後の伯父さんから現金を分けてもらえるから都合してやるよ」
新たな悩みが出来そうだったが黙って聞いた。
どうも一年先を見越しているようだった。卒業と同時にそこを事務所にして小さな会社を作るらしい。いやその前に相当準備が進んでいるようだった。どうも卒業生が投稿したデザインが採用されて独立を考えているらしい。沙織も来年といってもあと十ヶ月だった。
どうも寝食を共にしてみんなでデザインを考えるらしい。その方が切磋琢磨されて良いデザインが生まれるらしい。
「それは両親に言ったのか」
「お兄さんが援助してくれたらそれで決まりだからそうなれば言うつもり」
「順序、間違えてないか」
「間違えてない」
ハッキリ言い切ったのには驚いた。
「お前ひょっとしたら遺産相続代襲の通知が来てこの一口に乗ったんじゃないだろうなあ」
どうやら図星のようだった。好きなように出来る兄が羨ましいらしい。思い切った時にはそれだけ血の繋が厄介だった。
親は子供を自分の一部のように思ってるから厄介だと沙織は言い切った。兄が何度否定しても浮き草のように弟の謹治はそれを悟りきっていると指摘した。
「弟は今は進路どころじゃないんだ、もうすぐ始まる地区大会で頭が一杯なだけだ」
沙織はちゃんちゃらおかしいと云う顔をした。
下から夕食を報せる母の声に弟が反応して階段を下りた。沙織は一度振り向いたが続けた。
「お兄さんは何も解ってないのねあの子は諦めてるのよ自分の人生を」
「バカ! まだ高校生だお前と一つ違いだろう」
「家にまったく負担を掛けないお兄さんのやり方があの子には負担なのよ」
兄の背中が眩しすぎると云うのか、そんなひ弱でどうやって此の先やっていくつもりなのか……。
母は更に大声で催促した。まだ高校生だ今は白球を追えばよしとしょう。沙織には伯父からの振り込みがあるまで保留にしてもらった。
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