第11話 帰京

 夕べは遅く帰ってきた。みんなの手前特別扱いはしませんと「帰ってくるなら電話しなさい」と真っ先に母に言われた。奥で新聞を読んでいた父が「いいじゃないかもう社会人なんだから」と少し頬を緩めて言ってくれた。

 二人とも旅立つ前と何ら変わらなかった。なによりいつも通りなのは父親だった。何処まで受け止めているのかそれとも無関心なはずがないが一番堪えるのは義父親だった。

 加納英一は両親を見て、母はこれは特別な旅行と受け止めたが父は単に遊びだったと捉えているようだった。

 穏やかなの父を見て「どうだった」と母が様子を訊いてきた。出掛けのあのツンとしていたのは何だったのかと英一は母の気持ちを掴みかねた。

 ここはそう云うことはおくびにも出さず説明する。先ずはライバル相手だった照美との仲を追求する。

「可笑しなことを聞くのね」と子供の頃はそんな質問をしょうとすればパンチのような蔑む視線に肌が貫かれた。それからは自然とこれは母との禁句になっていた。今度の旅ではそんなものがスッカリ取り払われていた。だから自然と言葉が出ても母は口元を緩めていた。

「だってあの人は結婚式の二次会に招待されて出たと言ってたよ。普通はお呼びが掛からないのに招待したのはどう言う意味?」

 照美と母との友情の芽生えはこの古い因習に立ち向かうところにあった。照美が会ったばかりの英一にそこまで話したのなら息子は好意を持って受け容れられた。当時と比べ変わった町の変化を知った母に更に追究した。

「あたしがそうさせたの。向こうが何でもありならこっちも何でもありでいきましょうと井久治さんと相談して照美さんを誘ったわけ。彼女は地元だけあって尻込みしたがそんな道理が通るのはやはり可怪おかしいと言った」

 そこまで信頼関係を築いたお母さんは凄いとその経緯いきさつを尋ねた。義父も関心を寄せると満更でもないと母は愁眉を解いた。

 あの人は女性はこういうものなんだと摺込められて育った。ふつうはこう言う人も都会へ行けば色んな人が居るのだと受け容れるけれど、あの人はそういう新しい女性像を求めた。それが今までの得意先の人と違った。目立たないだけに奥に秘めてるもの凄いものを感じた。そこが気になるともうどんどんはまり込んでしまった。

 そしてあたしが付き合ってから彼は幼馴染みの彼女とはこれまで築いたものをどうするかで将来を悩んでいた。その原因があたしだと報された。それで照美さんに会うと彼女とはざっくばらんに話が出来た。井久治さんからこの町の人はある考えに凝り固まっていると聞かされていたから照美さんは別格だった。この人はまったく拘りがなかった。それは井久治さん自身もあたしを知るまでは解らなかった。照美さんも井久治さんもそれがこの町では普通だと疑わなかった。でもあたしを知ってからは変わった。いえ本当の愛に目覚めた。流れに棹さして自分が進むべき道に舳先を動かした。 

「それでお母ちゃんと一緒になった」  

「そうあの人の嫌がるものをことごとく言ってやったの」

「例えば」

「この町の人はこの町の仕来りさえ犯さなければ何をやっても大目に見てくれ警察だって丸く収める。でもそれはこの町だけよ。それって可怪しいと思わないの、と言うと『これが当たり前だと思っていた』と言うから呆れてそれじゃあとてもあなたと一緒にはやっていけないって言うと『どうしたらいいんだろ』って実に寂しい顔をするの。分かったわでも誰も何もしないそんな無関心な世界を優しさと思わないでよ『それじゃこの町で困るようなことが出来るとどうするの』と聞くからこの町が決めたものが気に喰わないのなら自分の信念を貫き通す。それであの人が頷くと、逃げちゃだめよこの町でやらなけゃあ意味がないからと約束させたの」

「それで一緒になったのか」

「あの人はそれを照美さんに話すと井久治さんはあたしだと小さく纏まってしまうから耀子ようこさんの尻に敷かれた方が良いと笑ってくれたそうなの」

 片隅で新聞を読みながら耳はしっかり捉えていた父が「英一も長旅で疲れているだろうその辺でまた次にしたらどうだ」と息子の慣れぬ丹後での気苦労を心配していた。しかし母は懐かしい昔の香りを息子に求めていた。それを察したのか父は先に寝ると隣の部屋へサッサと引き上げてしまった。

「伯父さんと遺産の取り分を決めたけどお母ちゃんはそれでいいの?」

「気を遣ってくれてるのよ伯父さんもそんな感じじゃあなかったの。あたしは二、三年同じ屋根の下で暮らしたからね」

「でもちょっとしか会ってないんだ」

「まあ、でも三、四日は居たんでしょう」

 一時間ちょっとしか会っていないと聴いて驚いた。

「じゃあほとんどはその分家の波多野遼次さんっていう人と一緒だったの」

「それと片瀬さん親子」

「娘さんは二人居たっけ」

「お姉さんの方」

「ならお前より年下だ」

「え! 見えないけど、幾つ下なの」

「照美さんが結婚したのはあたしの一年あとだからその年にお前が生まれたから二つほど下になるんじゃないの、それがどうかしたの」

 と言いながらも片瀬の娘はどんな子になったのかしらと気にしていた。

「年下には見えなかったでもしっかりとした目的を持っていてぼくは何もなかったから気後れした」

 そうなのと言い掛けたら早く寝ろよと隣の声に母は立ち去りそのまま二階へ上がった。

 妹の沙織さおりが「兄さんがいないなんて考えられない」と明るく迎えてくれた。その後ろからピョコンと弟の謹治きんじが顔を見せてくれた。沙織は今年高校を出て大学に行かず専門学校に行っている。弟は今年高校三年生だがまだ来年の進路を決めていない。どうも二人とも兄の英一の影響が強かった。兄は大学生と言っても半分以上は働いていた。それでも大卒の肩書きは役に立つと言ってもピンとこないらしい。それ以上の干渉はやらないのは義父の影響が強かった。


 翌日、目を覚ますと窓を叩く朝日は海からでなく東山三十六峰からやって来た。随分と近い所から昇る朝陽に溜め息が出た。遙か彼方の水平線から射し込む光に生命の躍動感を憶えたのはやはりこの旅のせいだろうか、新社会人として新緑を迎えたせいだろうか。

 下から弟の喧騒が伝わるといつもの我が家だった。甲高く呼び起こす母の声がしないのはまだ休みが残ってる証拠だった。昨夜は連絡もなしに遅い帰宅にいつも早く寝る義父は起きていてくれた。母と語る丹後の様子に干渉しないのは昔のままだった。だから社会人として最初に受けた荒波を今は静かに自宅でいでいた。

 朝、階下に行くと喧騒の元だった弟は部活で早々と学校へ行ったらしく平穏の中でみんな早々に食事をしていた。今日は一人遅れて食卓に着いた。

 不満そうな英一の顔を見て母が「お父さんが寝かしといてやれ」って言うからと義父を見た。休みは残り少ないんだ気楽にさしてやれっと味噌汁をかけ込んでいた。義父から相続について訊かれ、山林だけ相続するとそれは税金対策で押し付けられると危惧した。相続した物は地元の町役場が借り上げて利用すると話すと義父はいい社会勉強が出来て良かったなあで終わった。

 義父は奥で新聞を読み出し、母は食器を洗い始めた。沙織が旅行っていいなあっと丹後半島の様子を訊いてきた。手短な説明に。

「あれだけ長いこと行って半島を一回りしただけ」

「伯父さんに話が有って行ったからさ」

「ああ、さっきの相続の話しねえ」

「所でこの春から専門学校だけどそんなものを身に付けて行く当てはあるのか目的は何なんだ」

 いつも関心がなかったが片瀬成美と同じ様にハッキリとした将来性が有るのか気になった。

「へぇー珍しいのね急に訊いて来るなんて、丹後で何かあったの」

「何がー」

「知らないから聞いてるのよ」 

「何もあるわけないよただ沙織と同じように専門学校へ行ってるから聞いただけだよ」

「そうね昨日の話だと照美さんと一緒に回ってた娘さんなのね、それだけよ」

 テーブルを拭きに来た母が親子だと言ってくれた。沙織は変なお兄さんと二階へ上がった。

「その照美さんの話だと父は母さんを日輪に例えていた」

 と説明しても気乗りなさそうだった。実の父とはもう冷めて仕舞ったのか、それとも今の父に遠慮があるのか、まさか母の恋は使い捨てなのか。夕べにもっと訊くべきだったかと思案しながら、菊地麻子さんの名前を出しても「麻子さんも照美さんから聞いたの」とさりげなく躱されてしまった。

「分家の波多野さんから聞いたけど彼も詳しくは知らないんだ」

「そんなことよりサッサと食事済ましてくれない、テーブル片付かなくて」

「なるほど一つだけ訊いていいかなあ」

「いいけどその味噌汁で残ったご飯平らげてくれる」

 ウっ! 英一は一気に掛け込んだ。

 で何なの? と前に座り込まれた。

「母さん昔の恋を余り話したくないようだから麻子さんから聞いてもいいか」

「良くないわよ!」

 このままうやむやには出来ないからとどうしてもと詰め寄ってもはぐらかされた。どんな人だったか判らなければ割り切れずいつまでも付きまとう。

「母さんには過去の人と割り切れても、まったく記憶のない実の息子の僕には何も知らないでは済まないでしょう」

 母は眉間に皺を寄せ刹那に瞳を合わすと、食事は済んだのねと後片付けして食器をサッサと流しへ持って行ってしまった。

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