第10話 丹後半島への旅
丹後半島の西側は山が海に迫り平地が少なく、昔ながらの古い民家が軒を連ねる町並みだった。三人は鳴き砂で有名な琴引浜で車を駐めて散策した。駐車場には連休らしくいつもより遙かに多くの他府県ナンバーの車が駐車していた。
「 夏ならともかくまだ水の冷たいこの季節にわざわざここまで来るなんて」
どうかしてると成美はぼやいた。そのどうかしている男をここまで連れて来たのだ。
浜辺には都会の香りをプンプンさせたカップルがこれでもかとばかりに浜辺の砂を何度も踏みしめていた。そのたびに砂浜は悲鳴に近い叫び声を出していた。
「都会の人は靴のままだと汚れる、浜が綺麗でないと砂は鳴かないのよだからこうして裸足になるの」
成美は両手に靴を引っ掛けて砂浜を歩き出した。
あなたのお父さんもあたしと耀子さんの三人でここへ来た。もちろん二人が一緒なるのは知っていた。だから結婚式の二次会にも呼んでくれたと当時を語って照美もサンダルを脱いで後に続いた。加納も観念して靴と靴下を脱いで駆け出した。ここではしゃぐうちに昔の父と母もこうしていた。そう思うと親近感が湧いてきた。暫く砂浜で
いつもああして遊んだのですかと恐る恐る訊いて見た
ばっかあ~場所にもよるわよとハンドルを持ったまま成美がけだるく言い寄った。
クスクスと照美も後ろでも笑っている。なんか可笑しなことを訊いてしまったかと気が引けた。
ここはそんな男女の格式張った付き合いはしない。すべてがざっくばらんだった。それでも昔からの言い伝えはだけは格別だった。それが知らない人ばかりの寄り合いの都会とは違っていた。何世代も変わらない付き合いがあるこの町の違いだった。そこさえ抑えて虎の尾さえ踏まなければ良い。馴れ合いで伴侶を見付けて周りも親もそれを認め合う。古老の意見に逆らわなければみんなもたれ合いの精神でやっていけた。
ーーあたしの場合は幼馴染みで小さい頃から親もみんな公認されていた。だからそれを
ーー都会でもちょっとした切っ掛けだけの馴れ初めですから似たようなものです。束縛がない馴れ合いで想いを貫けなければ本当の愛は語れない。
ーー相手も応えてくれない片思いほど辛いからいっそ冷静な立場で見られる人に決めてもらった方が楽でしょうね。
ーー恋は一瞬の煌めき、それだけで一生添え遂げられるのか。それとも尻込みして後悔するのか。恋は盲目ですから、それが演目ならお涙頂戴で美しく見ていられるでしょう。
ーー一生マインドコントロールされ続けたカップルは生涯の幸福を帳消しにする辛い死が待ってるのね。
「そうね」
黙って運転していた成美が二人の会話にここで相づちを打った。
ーーこの町でも恋愛は自由だが限られた地域では限られた男女が結ばれていた。自己主張は自由だったが果たしてそれは本当なのか。井久治さんはそれを試そうとした。一度決まった暗黙の了解をこの町に土着するこびりついたものを覆せるのか。それを覆すのは言葉でなく寄せる思いで、貫く行動力が愛であった。その大切さと貫く勇気を耀子さんは教えた。
「そんな力を秘めていたなんて」
ーー木曽の
「
「面白いことを言う人ね」
二人のやり取りに照美は笑った。
三人を乗せた小さな漁船の後ろにおじさんが乗って片手で船外機を操りながら、地殻変動で裂けた洞窟や奇岩が連なる山陰海岸のジオパークを案内していた。その割れ目に船を近づけた。見とれているとおじさんは船は裂けた洞窟の中へ入った。辺りは暗くなった。小さな船だが割れ目は更に小さく見えたから正直不安だった。案の定、船は洞窟の岩場ギリギリに幽かな明かりの中を進んだ。前方から光が射し込むと透き通った海面が青く輝く。
心をも見透かすこの青さがあの人の正義を映し出す。古老たちの言う「町の秩序を守るのも正義」と言い張れば、あの人も自分の正義を貫かせた。その耀子さんに今一度脱帽しましたからお祝いに駆け付けた。
「母が父に伝えた正義とは何なのです」
「人を思う情熱だったんでしょう。冷めた心で何が出来ます」
当時の母を代弁する照美の強い口調が加納の心にも伝わって来る。
ーー丹後半島の寒村で、しかもほとんど親戚が寄り集まっていた。井久治さんは一緒になると決めるとこの町を出ようと言った。でもあなたのお母さんは「逃げちゃダメ、ここで逃げちゃああなたは一生何かから逃げる人になっちゃう」と踏みとどまらせた。どんな人生の荒海にも耐えられる人にする。それが彼女の優しさだった。ダメな人間にしたくないと云う優しさだった。
ここは今でこそ国道沿いにはスーパーや小綺麗な店が出来たけれど、昔は農家をやるか土地がなければ海に出るしかなかった。漁師は傍から見ると屈強な男に見えるが冬の日本海は荒れるから事故も多い。
スナックの片隅で酔い潰れる中年男をたまに見掛ける。屈強な漁師は荒波を乗り越えても、人生の荒海には戸惑う。怪我とか大病を患うと途端に酒に溺れる。
「いま気付くと切なくなるけど……」
母はそこまで父に将来を託していたのだ。だから父は正義と云う戦場で倒れた兵士の一人なのだ。加納は弔い合戦をするべきなのか、でもこの町にはそんな古い正義を押し立てて戦う古い習慣も
丹後半島の突端に日本海に突き出た孤高の岬がある経ヶ岬だ。岬を歩いて巡る遊歩道入り口に車を止めて三百メートルで山頂展望台に着く。その二百ほど先を下った所に灯台があった。ここが突端じゃない。さらに二百メートル先の崖を数十メートル下が海岸線だった。
日本海に出た船はこの灯台を頼りに帰ってくる。それでもここまで来る人は少なかった。訊けば平日はほとんどいないらしい。さっき通過した国道沿いの駐車場も十数台分しかなかった。
それほど丹後の人には大切な目印なのにここを訪れる人が少ないのはどうしてだろう。
「常に闇夜を照らしてくれる灯台より、不変な日輪は没しても翌朝には昇ってくるその安心感からでしょう。わたしが井久治さんから離れられたのは」
「じゃあお母さんが灯台で耀子さんが日輪なの?」
それが照美さんと耀子さんの違いなんだと父は何処かで気付いた。それがこの場所のような気がしたが……。
「あの人は白日の下を堂々と歩かせてこそ有望な未来が拓けるそんな気がして」
と照美さんに言われて何故か理由を聞きそびれた。
夜には遙か遠くまで届く灯りでもあなたの意志はこの白日の下では点いているのかさえ解らない。今は本当の幸せは日輪の下で見つけ出すと決めると父はこの町でがむしゃらに働き出した。
「加納さんなら お父さんの気持ちをどう見るの?」
「成美、まったく記憶にない人だから解るわけないでしょう」
「月よりも太陽に憧れるだろうなあ」成美の問いにすかさず反応した。
「月はぼんやりと照らすけどお
「これは親父の話だけど……。お母さんを差し置いて話は推測の粋を越えているけれど肩入れする根拠が何処にあるのだろう」
「でもその遺伝子を受け継いだのはあなた一人」
だからあなたを見れば解ると彼女は灯台の下でそう言って笑った。
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