第9話 付きまとう父のミステリー
伯父の家を去って帰りに着く頃には肩の荷が下りて気軽になった。
山林の名義変更や権利書の作成その他もろもろはこの長い連休明けになる。それまでの登記簿は故人のままで何も変わらない。でも実態はこれからドンドン変わってゆく。
帰り道にそのような説明を波多野から受けたが、父に関する源流の一滴にはきな臭さがほろ苦く残り彼の説明を聞き流していた。
朝はぼんやり見ていた同じ周りの景色も帰りは新鮮に見えた。これで加納は最初の要件は済みあとはゆっくり出来ると、心が浮き出してやっと旅人の気分になってきた。
そうだ俺は旅行者なのだこれで解放されて本来の旅ができる。社会人一年生になってリフレッシュする、これが旅に出る本当の目的だったのだ。
「これで加納さんもくつろげるでしょう」
「そうですね丹後半島を一回りの旅も良いでしょうけれどそこまでは片瀬さんには頼めないでしょう」
「いやお望みでしたら
実はもう頼んであり加納の返事待ちだった。
「母と照美さんはあれ以後も会ってるンですね。披露宴まで来たなんてその辺の心境には大いに関心があるので、出来ればお母さんとももう一度お願いできますか」
波多野はちょっと戸惑ったが連絡を入れた。
「いやあ、娘だけでなくなんであたしもなのって、お母さんが泡喰ってましたよ」
ーー結婚式の二次会に出た話を伯父さんから聞かされてそれを本人に伝えると是非今一度会いたいそうです、……ええだから
これでお母さんの都合も聞いて、いとこに観光案内の了解を取った。
満足いく結果にこの人はどこまでもサービス精神が旺盛なんだろう。これは今度の事業に対する熱意の裏返しなのか。まあ暫くはのんびり出来そうだ。
波多野はこれから忙しくなると張り切って宿まで送ってくれた。
宿と言っても民宿と旅館の間くらいだ。規模は民宿だけれど内装や部屋の設備は旅館だから玄関横には小さなロビーがあった。そこで片瀬親子は主人と話し込んでいた。照美さんはここの奥さんとも学校時代からの友達だった。それほどこの町には常に誰かと接点があった。見通しの利く集落とこの身近な繋がりでこの町をここまで守って来た。
そこへ二人が着き小さなロビーは一杯になった。主人と奥さんはそこでサッサと席を外した。
「伯父さんどうだったの」
成美は顔色の良い加納を見てそれ以上は聞かないから、波多野が代わって伯父とのやり取りを手短に説明した。いとこの手際よさで伯父さんとの交渉は順調だと成美はひと息着いた。
役所勤めの波多野にはこの方面に多くの
加納は山林に関する名義変更や権利書の下書きに目を通して作成された委任状に判を押した。これは連休明けに出しますからそれまでに変更があれば報せて欲しいと言われた。
傍で黙って見ていた成美が今一度「これでいいのね」と念を押した。これに波多野は今更何を言い出すか、といやな顔をした。役所で苦情処理に当たってこれ以上は引き受けかねると云ういつもの妥協案を示す波多野の顔だった。その顔を読み取った成美は矛を収めて加納に何処か行きたいところを尋ねた。これには直ぐに波多野も勧めた。
「それはさっき車の中から電話した通り加納さんが望むのなら何処でも観光できますから決して突然誘ったわけではありませんから気兼ねなく楽しんでください」
お節介な上に一言多い男だと成美は波多野を一瞥した。
「いとこの話だとうちのお母さんにまた聞きたい事が出来たって、そうなの」
「きのう波多野さんの家へわざわざ伯父がやって来て結婚式の話をしたそうですそれでまたちょっと気になって……」
屹度した成美に波多野は近所だからわざわざと言うほど大層なものではないと補足した。
照美もなんであの人がそんな話を持ち出したのかと首を傾げた。
「せっかくここまでやって来られて大事な用件も済ませてまた内輪話より丹後半島の旅を堪能してもらいましょう」
と波多野は加納を気疲れから解放させ丹後半島の旅に誘った。
片瀬親子と昼から三人で丹後半島の旅に出た。これからこの事業に専念しないとこの夏休みには、あの山林を関西一円から来た子供たちが楽しめる楽園にしますよ。そう言って波多野は破顔で三人を見送った。
「
「本家のおじいさんでだいぶ手こずって居たからでしよう。そもそも本家の伯父さんも今までその話はなかったから反対なのかしらと思っていたけどそうでもないのね」
この車はいとこの波多野さんより一回り小さい軽自動車だ。成美さんは狭い道が多い半島では走りやすいと言っていた。お母さんは最初から後ろに乗り込んだから加納は助手席だった。
「じゃあ伯父さんは関わりたくなかったのですか」
ーー訊けばあの山林は途中まで車で上がれるのに一度も行ってい無いらしい。この話は今まで熱心でなかったからきっと関心がないのよ。だから分家の波多野さんにあなたを調べさして見つけたのよ。捜すのは役所勤めだから簡単らしかった。あとは任されて出来れば来てくれないかと頼んだの。
「どうして」
「それはズッと会えない甥っ子だったからでしょう。それに再婚して籍を抜いたのは伯父さんも知ってるから
「それがおじいさんが亡くなってどうしてもあなたの承諾が必要になったから会えるように頼んだのよ。相続放棄の紙に判を押して送り返せば済むけれどそれではもう会えないと。だからいとこの波多野は京都まであなたに会いに行ったってわけなの」
直接本人が頼みにわざわざ行くと、なんかこの相続に訳ありと思われてこじらせたくもなく、かといって二十年振りに自然と会える機会なのに何とかしたい思いもあった。
「それで分家でもある波多野がうってつけだったのよ」
それはどう言う意味だろう。少し沈み込んで陰り懸けた加納を見て成美は慌てた。
「不安なの ?」
そう言って直ぐにハンドル操作をして返事を待ったが道が複雑で運転に専念した。
「不安なんて誰でも持つものよ、まして社会へ出たばっかりで、あの冒険家の植村直己さんもそうでしょう」
道は単調になりじっくり加納を見てなにを考えているのと、ここで冒険家の大御所を出してひと先ずは励ました。
この気持ちのおおらかさに彼女が少しお姉さんに見えて、同じぐらいと思っていたのが幾つだろと思い直した。
片瀬成美はこの不安の塊の加納を何とかしたいと思い始めた。
「何を思ってるのか知らないけれどそこで諦めたら懸けてる情熱はそこで終わりよ」
なるほど何もないから子供から大人まで一日中夢中になれる物がここには必要なんだ。
「ここには綺麗な自然があるからそこで子供たちが楽しめる楽園があれば良いと思ったんですけど……」
ーー役人であるいとこの波多野にどれだけの責任感があるかそれを見極めないと、あの山林を相続しない方が良い。相続しても貸すのは考えもの。言えることは多くの人に働き掛けても常にあなただけだと盛り立てる、最後にはそんな人は責任を他人に転嫁するのが落ち。身分が保障されている役人ほどその傾向が強いもの。
「一般社会は学生時代とはひと味違うだから甘い! あなたが提供したからこの事業が始められたとなると加納さんあなたも追究されます」
「でも成功すればこの町では大変な名声で父も浮かばれる」
『父も浮かばれる』父の復活。それを考えていたのかしら。
「実はあなたのお父さんは結婚してもこの町に残ったのは何とかしたいと云う気持ちで一致したの、それでは古い因習から抜け出さない。この町に未来は見えて来ないと耀子さん言われて残った。生まれる子に将来を託せなければ意味がない。と燃え上がらせた。励まされた」と後ろから母が急に割り込んだ。
最初はそれほど切羽詰まっているとは思わなかった。別な世界から来た耀子には
「別にお父さんのことでみんなはあなたを避けてるつもりはないのよ。ただそう簡単に説明出来ないから気を揉んでるの、でタイヤチェーンの話だけどお母さんは何か知ってるの」
「それが離れの納屋みたい所に今も置いて有るの」
「それは冬まで要らないからでしょう」
「今はタイヤチェーンなんて雪のない都会の人ぐらいで、雪の多いここではほとんどつけない、ちゃんとしたスノータイヤに冬には付け替えるからちょっと不思議なの」車を使う成美には気掛かりだった。
「それって本当に家のものなんですか」加納が訊いた。
「傷み具合が似ているって耀子さんが言っていた。でも事故現場にないものがなんでここにあるのかって追究したけれどダメだったの」母が言った。
「それって警察にも言ったのですか」
「それが
「だから事実を知っているのは亡くなった夫だけ、耀子さんもキチッとあの日は見送るべきだったと悔やんでいた」
「お母さんはそれを信じてあげたの」
ーーもちろん。でも実家の人はどちらとも取れる話しかしないので、それで耀子さんは呪われているって言ってこの町からあなたを連れて出て行った。
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