第7話 父の死のミステリー
翌朝さっそく役所の波多野がやって来た。加納はこれから伯父さんに会いに行くと思ったが。彼は車を置いて加納を宿から連れ出し別な場所へ案内された。そこはこの前に行ったスナックだが昼間は喫茶店になっていた。
彼は席に着くなりコーヒーをふたついきなり注文して昼から伯父さんに会う約束を取り付けたと言った。
「急にですか」
「伯父さんが夕べ俺の家にやって来て亡くなった弟さんの話をしたんだ」
「なぜそれを波多野さんに」
どうやら彼は伯父さんから亡くなった父の話を聞かされたらしい。昨日は加納が宿に帰ってから照美は幼馴染みだった井久治の兄に電話した。そこで兄は埒があかないと弟(あなたのお父さん)の生前の情報を伝えにやって来た。
「いゃーどうも、いとこの片瀬成美に頼んだのが失敗でした」
彼の話では片瀬のお母さんとあなたのお父さんとは幼馴染みから発展があったと解釈した。それは発展と云うか感情が芽生えないままに周りの人たちの雰囲気に半ば押された成り行きだった。その井久治さんの人生を目覚めさせてくれたのが
照美は幼なじみとして一緒に居ながらあたしよりも強い思いを寄せている人には勝てなかった。しかも耀子さんは僅か数年で彼の心の奥底を見抜いてしまった。見抜けなかった私はあの人に負けたと悟った。でもこの町には個人の生き方よりも大事なものがあった。それが世間体だった。これに真正面から二人だけで立ち向かった。それにあたしは感動した。人を思う心は曲げてはならないと。
「それで本家の波多野道幸が弟のことを甥に伝えてくれと俺のところへやって来たのです。直接に話せばいいとお考えでしょうが、呼んだ甥を前にして飾り立てするよりお前から話せとわざわざ家に立ち寄ったのでした」
朝一番に来たのは照美さんからの強い要望が見え隠れした。
「照美さんだが加納さんと話してみて幼馴染みの古い付き合いなのに知らなかったことが多すぎたと悔やんでました。それで伯父さんに慌てて連絡したのが彼女の偽らざる気持ちらしいんですよ」
加納は昨日の雰囲気からしてもこれは実感が籠もっていた。
「伯父さんは直接会うのが億劫なのかなあ」
「いやそれはないです、会うのを楽しみにしてますよ」
ーー伯父さんは会ってすぐに相続に関する実利の話をしたいから弟の話はもっと親近感を持って話したい。それには今回は無理だけれど甥はお父さんをもっと知りたい一心で来たのをそれでは無下には出来ない。
「身内の話を急にやって来た甥にはただ亡くなったと大雑把にしか言えない雰囲気になれば困る。でもきちっと伝えたいから説明にやって来たんですね」
「よほど伯父は波多野さんを買ってるんですね」
彼は満更でもないと云う顔をした。
「まあ家は近所だしね、分家と言ってもそれほどたいそうなもんじゃないしこの町はとにかく横の繋がりを大事にしてましたからね。今は昔ほど気にしなくなりましたが特に結婚なんてものは好き同士であればそう目くじらを立てなくなってますから……」
波多野はそこからひと昔までの因習を呪い始めた。いつまでも親同士で結婚を決めるのが
前置きが長すぎましたと反省の弁を入れて加納の実の父を語った。
ーーまずはどっから話すか。二人のなり染めは聞いているから式は神社で挙げました。もちろんこの町でなく京都の神社で挙げました。親戚は誰も来なくて波多野の祖母と両親と兄夫婦とその子供の全部で六人。あなたのお母さんの水口家からは親戚筋まで来られて先方とのバランスを考えて絞ったが倍以上になったらしいです。近くの料亭で披露宴をしたのだがこれまたお母さんの友人が来られて、井久治さんの方も披露宴は来てくれるだろうと町の何人かは招待したけれど一人だけ来られたのがなんとあの幼馴染みの照美さんだった。彼女だけが拘りを捨てて来てくれたのですよ。
「それは照美さんの口からは聞かれなかった。初耳ですけれど……」
「あなたには言いにくかったのでしょうそれは当事者の息子さんですから男女の微妙な胸の内を
そう云われても恋の経験がない加納には恋の駆け引きを耳で知るのは難しい。それでも目は口ほどに言うものなのか、昨日のあの照美さんの
料亭での両家の限られた親類同士の顔見せ(セレモニー)が終わると親戚筋は帰った。この後に設定されていた二次会は親戚を排除した友人たちと言っても新婦側が三人、この中にはデートの仲介をしたあのニキビ面の女の子もいた。新郎側は照美さん一人だけだったが彼女は結構盛り上げてくれた。
新郎は地元の友人にも案内状を出したがほとんどの者が親から出席を止められた。照美さんはそれに反発して限られた友人を誘ったが「あんたが行けば座がしらける町のもんはそれを期待してるが、あたし達には期待されるもんがないさかい
幼馴染みとして友情を
それってどこの国の話って
「そんなとこに住めないわね」ニキビ面の女の子、麻子が言った。
「いっそうこっちに新居を構えたらどうせ工場はお兄さんならこっちで営業して丹後に仕事を回せば良いじゃん」別の子が言った
「丹後ちりめんはそうもいかんよ地場産業だからねぇ人脈がない畑違いでは育たないだろう」
新郎の井久治は兄からは気にするなと言われたが、この町の実力者を束ねる長老の機嫌を損ねた以上はジリ貧になる。それを避けるには市場を新規開拓すれば良い、品さえ良ければ負けはしない。こう言い張った井久治を照美は此の人の何処にそんなもんが湧いて来たのかと新婦の耀子をつくづく眺めた。あたしが諦めていたものを耀子さんを思う心だけでこの人はこれほど変わらはった。
「どう生きていくかは自分次第でしょう」
戸惑う照美に耀子はズバリこう言って
「感心する照美に耀子さんが言われた言葉が今も新鮮に強烈に残っていると夕べは言われました」
今の母の何処にそんな人を動かす力があったのか、加納は半信半疑で分家の波多野の話を聞いた。
この二次会ではそんな狭い了見の古い町に留まるのをみんなは止めた。それでも新郎新婦は立ち向かうために丹後に戻った。耀子にすればこの人は世間の目を気にしすぎているそれを鍛えるには良いチャンスだと捉えていた。
ーー本家の波多野家の名指しこそ避けたが数人が集まるとひそひそ話が絶えなかった。やがて子供が生まれたそれが加納さんですが、この頃は活路を町の外に求めて井久治さんはしょっちゅう外販で走り回っていました。初冬の丹波越えでは山間部で必要なタイヤチェーンを積んでいたはずなのにそれが抜き取られていました。町の者は積み忘れたと言い張った。車はスリップして三十メートルの崖を滑り落ちて大木に激突して亡くなった。
「警察には連絡したのですか」
「地元の警察は騒ぎ立てないで仲良くやって欲しいと関わりを避けられた。それで
「追い出されたようなもんじゃないですか、それにタイヤチェーンは間違いなく積んであったんですね」
「この話を聞かされて伯父さんにも同じ質問をしました。弟はきめ細かい所があるやつだったと念を押されましたよ。いくら身内の甥でも初対面からこんな突っ込んだやり取りは難しいですから伯父さんのこのやり方はある程度は的を射てましたね」
役所の波多野はこの二人がどれだけの恋愛かはあなたのお母さんの耀子さんに聞くしかないと結論付けた。
「ちなみにあのニキビ面の女の子、麻子さんとは一番仲が良かったからお父さんについて色々と相談されていたそうですから情報は豊富です」
「例えば」
この人の調子の良さには呆れてもつい訊いてしまった。
まず耀子さんに声を掛けて親しくなったところで麻子さんに近づいて取り持ってくれるように頼まれた。そのとき麻子さんはこの人は耀子に本気で惚れていると直感して話を繋いだ。それを聞いた耀子さんは意気地なしと笑ったけれどそこが可愛いと誘いに乗った。なぜ乗ったか、それはこの人はあたし次第では機関車のように突っ走しってくれると。麻子さんもそれは認めて「あたしだと井久治さんは駆け落ち同然に流されてひっそりと卑屈になったかもしれない」と言ってました。だからあの人は耀子さんによって磨かれていく途中の原石のままで亡くなられたとも言ってました。
「父は何かを成し遂げずにその最初の一歩で
「だから彼女は麻子さんに。こんな町なんてもうどうなってもいい呪ってやるとも言ってたそうです。あの人に燃えかけた魂まで持って行かれたとも呟いたそうです」
「その残り火を拾ったのが今の父、加納さんなのだろう」
この独り言を波多野は黙って聞き流した。
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