第4話 祖父の遺した山林

 海辺から昇る朝日に照らし出されて目が覚めた。学生時代からバイトに明け暮れていた加納には旅行などは無縁だった。朝日はいつもあの自宅の二階を叩くように照りつける物だと云う概念が今、崩れ去った。「ここで朝日はこんなに綺麗にやって来るんだ」と彼は地球上なら極地意外はどこでも均等にやって来るものに原始人のようにこの日は太陽崇拝をした。

 階段を伝って成瀬が朝食の知らせにやって来た。てっきりこの部屋でするものと思いきや。彼女はあれから二組のお泊まりがあっていちいち部屋に運べないから下の大広間に来てくれと催促した。ハテ、下にそんな大広間があったのかと首を傾げた。とりあえず彼女の案内で下へ降りた。

 大は余計だがそこそこの広さの和室があった。既に四人連れで二家族八人が食事をしていた。座卓の流しテーブルの端に一人分の食事が用意されていた。食事が終わると片瀬は波多野が来るまで部屋で待つように言われた。

 部屋で待つ彼は座卓から座椅子を窓辺まで運んで開けた窓越しに頬杖をした。湾の一方をほぼ埋め尽くす大きな島の両端をすり抜けてゆく漁船が一望できた。半島の中程に点々と立ち並ぶ集落に家族連れで来て遊ぶところがあるのだろうか。と先ほど下に居た二組の家族に思いを寄せた。若狭まで行けば海水浴場が有って夏はいつも賑わっているのをニュース番組で何度か見た。ここは素朴すぎて家族連れには向かないだろうなあ。大方は天橋立で散策して一寸足を伸ばしてここらあたりで一泊して大阪方面へ戻るのだろう。そこへ見覚えのある車が宿の空き地に入ってきた。迎えが来たらしいと座椅子をテーブルに戻して待機した。階段を上がる音に続く波多野遼次の声を招き入れた。

「どうですかここのお宿はよく眠れました」

「一人旅は初めてなんで」

「じゃあ寝付かれなかったのですね」

「それが実によく眠れました。このあたりで産まれたと思っているとなんかこう母親の子守歌みたいに穏やかな空気に包まれたせいでしょうか僕はここで何歳まで居たんでしょうね」

「あたしが小学校二年生の時に本家の息子さんが亡くなられたのは覚えていますが葬儀に行ってませんからそれは解りませんが伯父さんの話だと二つぐらいらしいですよ波多野井久治はたのいくじさんの葬儀には奥さんの耀子ようこさんの横で何も解らずあなたは立って弔問客を迎えていたらしいですから葬儀は井久治さんのお父さんがすべて取り仕切ってましたね耀子さんは西陣から嫁いだばかりでこの町のしきたりはご存じなかったから」

 母はここへ来てそんなに間がなかったのか。でもなんで父は亡くなったのだろう。それは伯父さんから聞いて欲しいと彼は云っていた。そう言えば片瀬さんもはっきり言わなかった。なんだか伯父さんに会うのが怖くなって来るのは何だろう。

「伯父さんに会う前に加納さんに見てもらいたい物が有るのでそこへ案内します」と宿を出た。 

 片瀬がいない。それを聞くと彼女は昼間は宮津まで服飾デザインの専門学校へ行っていた。

 この学校の設立は古く戦前から有った。地元の丹後ちりめんが発展するために設立した学校で、アパレルメーカーの肝煎りもあって大きく飛躍させていた。だが最近は最初の趣旨に反して卒業生は地元に残らず大阪や神戸方面へ活躍の場を伸ばしていた。片瀬もその考えの持ち主の一人だった。

 だから片瀬は加納さんから京都のアパレル業界の様子を聞きたいらしい、それで彼女はあなたに関心を寄せているだけですからと素っ気なく言った。

 それとは別に分家の波多野はその片瀬のお母さんと亡くなった父の井久治さんとは幼なじみで仲が良かった。だから成美から加納のお母さんである耀子さんの話をしてやれと言っていた。だが成美はどこなく戸惑っていた。 

 片瀬をそんな風に説明してから波多野はまず相続する山林を案内すると宿を出た。

 山林と云っても植林もしないから山は広葉樹に覆われた自然の山ですから、ただそこからの景色が絶景なのですと車を走らせた。

 だが都会育ちの加納には山林を相続しても持て余すだけだから彼の案内には消極的だった。彼が伯父さんに会う前にどうしても祖父の山林を見せたいらしく不祥ながら逆らわずに同行した。

 宿の前に続く府道を走る車は、入り江を囲む小さな湾に沿って外側に出ると拓けた若狭の海側を走った。やがて道路から逸れた林道を走り始めると、ここからはもう祖父の土地だと説明した。

「じゃあこの山道は祖父が作らせたのですか」

「いや町が整備したんですよ」

 その答えに怪訝な顔つきをした加納の不信はごもっともとすぐに説明を始めた。

 この山はあまり手を加えていない自然林の中にあって杉などの僅かに針葉樹も開けた場所にはあります。しかし主に広葉樹ですから結構四季の変化を味わえる数少ないアウトドア派にはもってこいの山だと言った尻から道は中途で途切れていた。そこからは幅の狭い山道になっていた。二人はそこで車から降りて山道を登り始めた。山道と云っても勾配は緩く木の丸太を置いて段になっておりさらに勾配を緩くして普通の靴であれば登れた。

「あの右側の低い尾根の向こうには海が見えますから。まあ頂上からは若狭湾がよく見えますよ」

 ふと前を見ると頭上でなく目線の高さに青空が見えてきた。頂上は開けていた。そこからは波多野が言うように眺望がよく若狭湾が一望できた。

「この若狭湾を取り囲む向こうの端が越前岬でこちらの端の経ヶ岬はこの裏山の向こうで見えませんがもっとも経ヶ岬からだと若狭湾は一望出来ず一部しか見えませんからおじいさんの持つこの山林は景観がいいんです。これでこの町に京阪神から多くの観光客を集めれば町が豊かになると思いませんか」

 なるほど役所勤めのこの人の狙いが少し読めて来た。確かに都会育ちからでは丹後半島の一部の山林なんか相続してもどうしょうもないが、こうして現地に立って見なければ分からない物であった。

 山陰から北陸地方に掛けて続くなだらかな海岸線が、途中でコの字型に五十キロに渡って大きく湾曲し陥没してえぐられた湾が見えた。山陰からせり出した丹後半島の突端の経ヶ岬と右側に五十キロにわったて大きく湾曲した果てに越前岬が突き出ていた。この右側に大きく湾曲した海岸線の硬い岩場の所々は切り立った崖になり、その間は長い砂州が続き、陥没した隙間には幾つかの喫水の湖が点在していた。そこに天橋立もあり、海岸からそびえる若狭富士と呼ばれる山もあった。

 この展望から思い浮かぶのは、そんな紙切れの相続権なんかサッサと放棄して判を押して突っ返せばよいと乱暴な、いや投げやりな片瀬の忠告だった。

 片瀬の気乗りなさを指摘すると、彼女は専門学校を出るとここを離れるからだと言い張った。本当にそうなのか彼女なりにこの地への思いがある気がしてならなかった。

「波多野さんはここを何かに利用されるのですか」

「今朝のお泊まりの家族連れはもうさっさと我が家へと車を走らせているでしょう。惜しいとは思いませんか。城崎の温泉に泊まったお客さんは天橋立を見て帰ってしまう。この眺望の利くここにもしアスレチックのようなアウトドア派が飛びつく設備を作れば橋立や城崎なんて目じゃないようなリゾート地になれる気がするんですが……」

「なれば良いですね」

「それで今は頑張ってるんですよ。ここに多くの人を呼び込めれば町は発展しますと思うでしょう」 

「でも失敗すれば町ではまかなえない借金が残りますよ」

「座して死を待つ訳にはいきませんから」

「この地形をそのまま利用するだけならそう資金は要らないでしょうでも途中で疲れればお腹も空けばまた町まで行くのは面倒でしょうね」

「ごもっとも近くに何もなければこの山だけの施設では長い時間に多くの人に来てもらって滞在してもらうには道路も宿泊も食事の出来るレストランも居るでしょうね」

 波多野は避けていた負の連鎖を咄嗟に取って付けた様に慌てて口裏を合わして来た。

 何もない所にただ楽しめる施設だけを提供してもこの景色だけでは寄り付かないでしょうと加納が更に突き詰めると波多野はまあそれは追々とお客さんの利用状況を見て広げられるとトーンダウンして付け加えた。

「これは伯父さんもご存知なんですねそれで私の同意を取り付けるその為に身勝手な印象を与えないように下手にごてられたくないように根回しをされ気づかってる訳だ」

 一方的な押しつけで悪い印象を与えないようにここまで気を遣った。しかしなんでそんな話を。でも林道は既に整備し始めてると言うことは。

「ひょっとしてその話は私の祖父が反対していたのですか ?」

「反対はされませんでしたが賛成もされませんでした」

 それがこの山の途中まで作った林道だとも言った。

 ーー私はあなたのおじいさんにこの景色を見てもらうために作りかけた林道ですし、そこから先は間伐材で階段にしました。おじいさんはこの景色に見とれました。そこで私は天橋立からの股覗きにも劣らぬぐらいこの景色に人が集まると助言しました。

「二束三文の山林が大化けするか」と言われてこの町の為に無償でお借りできませんかとことわりを入れた。勿論その間は自宅も無税に致しますと云うと残りの所得税も免税をと仰っていたので難航して今日まで来てしまったのです。

「そこでおじいさんが亡くなられて今度はその話は息子さんに委ねることになりましたが息子さんが二人おられた。長男の波多野道幸はたのみちゆきさんともう亡くなられた次男の井久治さん、ここまでお話しすればわたしが加納さんに寄せる気持ちを察して頂けると思うのですが」

「それは解りましたが僕がもっと知りたいのは母の青春なんですが」

「ごもっともこんな丹後の僻地へ都会の人が訪れるのは夏の海水浴と冬の蟹ですね、後は人気のスポットで天橋立と城崎だけですから。だけれど加納さんはここで生まれた人ですから、嗚呼、話が長くなりましたが、お母さんに関しては片瀬成美から伺った方が確かと思って伝えてあるんですがまだなんですね、今一度催促しておきます。何しろ亡くなられた井久治さんと片瀬さんのお母さんは幼なじみですから」

 と波多野は ”幼なじみ“をまた意味ありげに持ち出した。この持ち出しで加納は母へのトーンが上がった。

「じゃあ伯父さんに会うのは母の事を聞いてからでもいいですか ?」

 遺産と言ってもあなたの人生を大きく左右するほどのもんじゃないですからね、それよりお母さんの方があなたにとっては今は大事でしょうねと波多野はちよっと難しい笑いを浮かべながらも承諾した。  

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