第39話 お爺のお仕事・弐

 表参道に行くに連れ、クライスの場違い感が悪化してくる。


今は昼前、既に歩道には、フリフリレースが付いた実用性皆無な服を着たご婦人や、貴金属をたんまり身に着け、口髭を捻り上げた貴族が闊歩していた。

 この地でヤるのは得策では無い。

 高級な土地は、防犯も頑強だ。

 駐在所の数も多く、恐らく犯罪事が起きれば、速攻で鎮圧しに警吏が飛んでくる。

 クライスは、表参道の中央に立てられた、市民会館に入る、直ぐ脇に設置された、手洗いに滑り込む。

 誰も居ないのを確認して、外套の襟元の紐を解く。ばさりと裏地が落ちる。


 シルクだ……


 そしてフードを外し外套を裏返す。

 テーラードカラーのシルクのコートに変わる。

 コートには、レザーの革靴がぶら下がっていた。

 外したフードの表地と裏地の間に手を入れる。

 しわくちゃの純白のシャツと折り畳まれたキャスケットが出てくる。


 クライスは慣れた手付きで着替え始める。


 シャツを着て、上からコートを羽織る。

 そしてキャスケットを被る。

 レザーの革靴を履く。

 そして、鉄線編み込の草履をコート内に収納した。


 そして、ボソボソと唱える。

 シャツとキャスケットの皺が消えた。

 同時に、パンツにセンタープレスが現れる。

 腕がない方の袖をコートのポケットに差し込む。


 杖を脇に挟んで取っ手を、片手で器用にクルクル回して外す。

 代わりにポケットから高級そうな象牙の持ち手を取り出し付ける。それを片手に持ち、市民会館から出てきた。


 先程までの、よたよた歩きは影を潜め、背筋を伸ばして、すたすた歩く。

 それだけで身長がかなり高くなった様に観える。

 いや、違う……革靴が嵩上げに成っている。


 これでクライスは細身のスラリとした、何処から観ても立派な老紳士に成っていた。


 表参道に出て、歩道を歩く。

 高級そうな店舗が連なる。

 その中心にシェファーのブティックが在った。

 一際大きい店舗で、紳士淑女が出入りしている。


 クライスは道向かいの書店に滑り込む。

 店先に並べられた本を見ながら、ブティックを観察する。

 先ずは情報収集に徹する。


 多くの店舗が、所謂、住居兼店舗であるのに対して、シェファーブティックは店舗のみだ。

 シェファー家族は、郊外に、小さな城の如き邸宅に住んでいた。

 毎度、そこから馬車を走らせ、ご出勤である。

 マクシミリアーノ一家は昼からご出勤の筈だった。

午前中は、主に従業員が店を切り盛りしている。


 そろそろ昼も近づいてきた。


 予定通り、豪奢な馬車が往来を進む。

 馬車の四方に精緻な彫刻が施された金細工。


 あれを少し引っ剥がすだけでも親不孝通りで豪遊出来るだろう。


 中から、立派な髭を蓄えた老紳士が出てきて、手を差し出す。

 その手に涼し気な白い手袋が置かれる。

 次いで、グレイヘアの老婦人が現れた。

 シェファー夫妻だった。


 二人が出た後、膝まで有る拍車付きのロングブーツが階段を使わずに飛び降りた。

 ブーツは遠目でも良い革を使っているのが判る。

 マクシミリアーノだった。

『お前、馬車通勤だろうか……』クライスは思う。拍車の意味が無い。


 身長180センチ

 体重55〜60キロ程度

 痩せ型でヤーンより少し低く、かなり細い。

 少しかぎ鼻の優男、モテそうな顔ではある。

 膝から下の寸法が長すぎる……身長はブーツで偽装している可能性有。

 薄っすらと、化粧品を顔に塗っているのも判る。

 細身の外套を身に纏い、立ち襟にしている。

 時期的に生地は薄めだった。

 金糸の刺繍が目に痛い。

 派手を通り越して、ステージ歌手の衣装かと勘違いする。日常で着る服装ではない。

 その薄い外套が風に揺れる。

 身体の存在が明白になる。

 腰に長剣、腰は細く女性の様。

 ハンカチで自慢のブーツの汚れを拭く。

 腿は腕かと見間違える程細い。

 彼は、颯爽と店内に入っていった。

 馬車はブティックの前でUターンして帰っていく……クライスの居る書店の前を通り過ぎる。


 その後もクライスは書店で待つ、書籍を手に取りペラペラとページを捲る。


 大丈夫……『来る筈だ』……下僕共が……連絡のつかない3名を危惧して……


 表参道を似つかわしく無い靴音、全速力で走ってくる人影達……4人……

 チェストメイル、片手長剣、ブーツの出で立ち。

 あの3人と同じ風体……運動不足だから、鎧の重さに「はぁ、はぁ、ぜぇ、ぜぇ……」まともに走れてもいない。

 ドタバタと、歩く人々を押し退けながら、ブティックへ入っていく。

 ブティックから、「店内で騒ぐな!ボケッ!」と怒声が表参道まで響き渡る。

 その怒声が一番喧しい。


 マクシミリアーノが若者達の尻を蹴りつつ、ブティックから出てくる。

 隣の庭園で5人が円になって立ち話をしているのが見える。

 恐らく、3人が行方不明になった?或いは、病院にでも担ぎ込まれたか?そんなトコだろう。

 今後の対策を立てているのだろう……


 ……


 ……


 ……遠方ゆえ、判読しにくい箇所は有るが、クライスは読唇術で5人の会話を観ている。


『……で、俺らが恨みを買いそうなのは?』

『あいつらだ……あの娼婦と下足人、あいつらの復讐?』

『だが、目撃者等居なかったとの警吏の発表だぜ、何故勘付かれた?』

『もしかしたら、あのババァなら、俺達がヤッたと知っているのかも……』

『いや、もしかしたら、あの居酒屋かも……』

『……確かに、あの店主も、相当痛め付けたからな……』

『……アイツら喋れないんだ、って言うか顔の表情が無いんだ、オマケに指も麻痺してる……木偶みたいだ……』


 この言葉を最後に5人は静かになる……

 結論も出ていないのに……

 言葉に成らない……

 皆、震える……



 ……そして恐らく、マリアンヌとケリイに的を絞るとクライス考える。

 両者のバックボーンの違いだ……

 高級娼婦の店舗と、しがない居酒屋。

 復讐を考えるにも、人脈と金銭が必要。

 高級娼婦の店舗なら、金の用立てが出来ると踏むだろう。

 NO'1を潰されたのだ……

 マダムが黙っていないと感じたのだろう……

 今、そこまで頭が廻るなら、最初からあの様な非道をしなければ良いのだ……

 ヤッてからでは遅すぎた。


 だが、実際は、マダムからの依頼でもない。

 マダムの店に突撃しても無駄だ。

「はて、さて?何のことでしょうか?」と言われるに決まっている。

 挙げ句、「私供が依頼したという証拠は、御座いますの?」と、あの老獪なマダムなら、逆に問い詰めかねない。

 クライスは、弟分からマダムの性分を十分理解していた。

 冷徹で合理的、情に厚いが、それでボロを出す事等、有り得ない……ボロを出す位なら、情は切って捨てる……そういう女だ。

 まぁ、四十路、女で一つ、娼館を切り盛りし、業界人・政界人の狸どもを転がしている女だ。そんなに甘い訳が無かった。


 クライスが思考すれば、結論は出ている。

 娼館に向かっても、只、時間の無駄だ。


 しかし、奴等はマダムの館に乗り込むだろう。

 それしか方法を知らないから……

 それしか思考が思い巡らぬから……


 今、在る情報で足りないなら、再度、情報を収集し、検証を重ね、思考の精度を上げる。

 その当たり前が出来ない。

 適当に聞き齧った情報だけで、推論を重ねて、事実と異なる結論に至り、そして墓穴を掘る。

「それは悪し……」目深に被ったキャスケットの下の口が嘯く。

 立ち話をしていた5人、マクシミリアーノが何やら、手下の4人へ怒号混じりの指示をしている。

 クライスは監視を止め、手に持った書籍を購入し、書店から出る。

 マクシミリアーノは店に戻るのか、一番小さい青年の頬を撫でた後、踵を返し店へ戻ろうと歩き始めた。

 クライスは書籍を小脇に挟み、道を横断、マクシミリアーノの後方、距離約3m程度。

 指先で耳掃除、そして耳糞をマクシミリアーノの背中に向かって弾く。少々下品な行為だ。

 背中を向けたマクシミリアーノはそんなクライスに気付きもせず、ブティックに入って行った。

 クライスはマクシミリアーノを追わず逆方向。

 残りの4人の方向へと歩く。


 残りの4人は、マクシミリアーノの背中を暫し見ていたが、諦めたのか庭園を出て歩道を歩き始めていた。

 どうやら、ヤツは相変わらず自身で決着を付ける気は無い様だ。

 大凡、下っ端に『娼館に脅しをかけて来い』とでも指示を出したのだろう。


 そんな指示、指示ですら無い……


 自身の数メートル先を歩く。

『これは助かる』クライスは思う。

 こんな防犯が厳しい場所でヤりたく無い。

 クズ共が、勝手に此処から離れてくれるなら誠に有り難い。

 最初の3名は仕込んだ場所でヤれたが、ここからは違う……何処でヤるか……仮に奴等がマダムの店でひと悶着起こしても、あそこなら、門番と弟で如何様にでも対処するだろうが、こいつらのバカさ加減は想定外だ。

 考え足らずに、嬢に斬り掛かったり、娼館で器物破損等で、警吏にしょっぴかれたりしたら、クライスの仕事がやり難くなるだけだった。

 娼館までの、否、親不孝通りまでの道のりで3人を仕留められる場所……一箇所……ある……お誂え向き……


 クライスの予想通り……4人は、親不孝通りへ一直線。

 4人の後を尾行する。

 奴等の背中から『嫌々ながら……』という気持が溢れ出ている。

 まともな指示が無い事と、4人に恐らく上下関係が存在していない。

 これは尾行時の奴等の行動で判る。


 各自、おのおの主張する。

 各自、責任を持たず他人任せ。

 各自、意見を集約し纏める者が居ない。


 喧々諤々、歩きながら話す4人。

 故に、横並びの関係性が観てとれる。

 統率が取れていない4人。


『あまりにも無策……』


 微かな違和感……

 いや、ヤッている行動はコイツらの手筈なのだろう。

 緻密さの無い粗雑な行為。

 しかし、そんなヤツらが、あんな物騒な計画を立案し、ケリイとマリアンヌを傷付けた??

 コイツらそんなタマか??

 こんなヤツら酒場で弱い者相手に、管を巻いている程度が関の山だろう……


 クライスは思考を切り替える。

 まぁ……疑問は疑問として、貰った金の分は働かないといけない。

 奴等の裏に黒幕が居たとしても……


 4人はもうクライスの狩場の近くまで歩いてきていた。

 狩場とは言っても先程の様な、人気の無く、付与魔法で環境整備出来る場所ではない。

 そこは只の工事現場だ……というか工事が途中で止まった現場。

 徴兵されたのだ……若者達が、だから止まった……それだけの事。

 そんな場所、今、キルシュナには五万と存在する。

 ここもその一つ。

 怪しい事をするにお手頃な場所が、この戦争で増えに増えた。

 周辺の民家の新築を見込んで、商業施設を作ろうと基礎から躯体を建設した所で放置された。

 周囲には足場が組まれ、落下物が道路や隣地の民家に損害をもたらさぬ様に、頑丈な布で養生されている。

 それは同時に、内部の状況が見えない様に覆われているという事。


『足止めするか』

 クライスの目が細く絞られる。


 娼館に近づくにつれ、彼等の歩みが鈍くなる。理由は明確、これからの計画が決定していないからだ。どうして良いか?判らない4名は自ずと歩みにブレーキを掛けている。


 周囲に人影はない。

 そりゃ開発途中で人員不足になって放置された商業施設だ。

 商品どころか、内壁さえ出来ていない骨組みだけの未完成品の商業施設前は寂れて当たり前だった。


 クライスは尾行を止め、彼等をスタスタ歩き、追い抜く……その間際、

「マダムの娼館で粗相を働いたのはお前たちか?!」テノールで小さいが彼等にハッキリと言う。


「オイッ!!!」✕3人。

 声がタブった。


 クライスに一番近い、ヒョロリとした若い男性が肩を掴もうと手を伸ばす。

 クライスは後ろに目でも有るのか?半身になり、男性の手を躱す。

 そしてそのまま、養生の布を跳ね除け、スルリと横の建築中の建物の中に入って行ってしまった。


 4人は顔を見合わせ、意を決してクライスの後を追って、建設途中の建物へと入って行った……

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