第38話 お爺のお仕事・壱
翌日……夜更かしたクライスはいつもより、遅く起きた。
いつも通り朝食を取り、街へ出掛ける。
杖を突いて、トボトボ歩く……そしてヨミから聞いた、朝っぱらから屑共が常駐している居酒屋に向かう。
そして王都周回馬車の停車駅に並ぶ。
馬車の到着時刻迄まだ数分を要する。
腰を痛そうに杖に体重を預けながら観察する。
マリーの膝枕の看板が、今日は道端に落ちていた。
『の』と『膝』の間で真っ二つに割られていた。
その近くに、小皿が飛んできて、道に落ちて割れた。
「ここには、まともな皿も無いのかよ!」大声で巻舌で叫ぶ若者の声、どうやらライジャというリーダー格の青年の様だ……まぁ、飼い主はマクシミリアーノだが……
メンバー全員が揃っていない様だ。
テーブルに座る人数は3名それ以外、店には居ない。
ヨミの情報からライジャ以外の2名も屑共の一員である事が判った。
既に屑共の嫌がらせで、奴等以外の客はこの店には寄り付きもしない。
だから、ここに居る人間は総じて屑共だった。
……現調が完了した……
ライジャ以下屑共
3名武装は全員同程度だ。
■体格:ライジャ 175cm
ノッポ 180cm
小太り 170cm
■武器:帯刀(片手長剣)
■防具:革鎧(胸部のみ)
■飲酒程度:ほろ酔い〜酩酊初期
(アルコール血中濃度0.1%前後)
先程の怒声も酩酊初期の典型的な症状だ……脳内の理性を司る部分が酒によって麻痺し、代わりに本能や感情を司る部位が表に出てくる。
だから、大声で叫んだり、怒ったり、本来なら理性で抑える所が露呈してくる。
まぁ、コイツの場合は、正常時でも、こうなのかも知れんが……
『丁度良い』クライスは思う。
残り少ない皿を割り終えたのか……屑共が精算もせずに、店から出てくる。
クライスも、するりと馬車待ちの列から外れて、車道を渡る。
屑共と同じ歩道を歩き出す。
後ろに屑共が道行く人を跳ね飛ばす様に、一列になって進む。
後ろから突き飛ばされたのか?悲鳴が聴こえる。
悲鳴は近づいてくる……
杖を突いて歩くクライスに近づく……
「ゴッ!」結構な勢いで、クライスは屑共の一人に突き飛ばされる。
転ける勢いを何とか杖で殺して、たたらを踏む……同時に、足元に「チャリン……」という音、雑踏の中でも、この下衆共は聞き逃さない。
必死に金貨を拾うクライスを見て、三人はにやけ顔、満場一致で頷く。
金貨を拾ったクライスは、そそくさと路地裏に歩き出す。
その後を三人は示し合わせた様について行く。
クライスは狭い路地裏を杖を使い器用に歩いていく……片方の袖が揺れている……ライジャがそれを見て目配せする。
残り二人も頷く『アイツ片手だ……』
周囲からは、どんどん人気が無くなって行く。
人一人が歩ける程度の道幅……三人も一列になって追いかけてくる。
最前線はライジャ
間にノッポ
最後に小太り
の順で追いかけてくる。
この先は袋小路だ。そして、それを知る人は間違っても、ここには来ない。
来る意味が無いからだ。
クライスはその袋小路で立ち止まる。
追いかけてきた三人も歩みを止める。
クライスはノロノロと振り返る……
振り返ったクライスは、深くフードを被り、面頬で顔を覆っていた。
振り返る最中、道に転がるレンガに躓いて、杖で身体を支える。
杖を突いた際に、「カチン……」と小さな音……
一瞬、ライジャはその風体にビクッとしたが、躓くクライスを見て、口角が上がる。
『コイツ、よぼよぼじゃねえか、こりゃラッキー』ライジャはほくそ笑む。
三人全員が薄ら笑いを浮かべて……
「おっさん……その懐に持ってるモノ、俺達が貰ってやるよ……出しな」先頭のライジャが口上……こんな事ばかりしているのだ、慣れたモノだった。
そう言ってライジャが脅しで、長剣を抜こうと柄に手を伸ば……す前に、クライスが跳んだ。先程までの動きでは無かった。
二十歳そこそこのライジャでもそんな動きは出来ない。訓練され、それが身体隅々まで行き渡った人間の動き。
綺麗に伸びた右足裏で柄を押す。
ライジャは剣を抜く事が出来ない。
そして左脚と隻腕で路地裏の壁に、突っ張り棒の如く留まる。
剣を押していた右脚でライジャの肩を踏む。
鎖骨を踏み抜く。
ライジャの肩を踏んだ勢いのまま、左右の壁を蹴る。
「ガッガッガッ」小気味良い音を立てて壁を蹴る。
三人の頭上を走り抜ける。
着地の音がした時、クライスは小太りの後ろに回り込んでいた。
小太りが振り返り際、右手で長剣を抜く……
クライスはその柄ごと脚で蹴る。
小太りの右手は柄を握ったまま、壁とクライスの足裏に挟まれる。
「ゴキィ、ゴキャ……」壁より柄より強度の無い物体が破壊された音。
「手は、30個弱の骨から構成されている……」初めてクライスは喋った。
声色がいつものクライスでは無い。
本来クライスは、バスの音域で喋る。
だが今は、テノールになっていた。
「人間全身の骨の数は200個少々……そう考えれば、手の骨の複雑さと脆さが判るだろう……」
鎖骨を折られたライジャと右手を砕かれた小太りが痛みで大きな悲鳴を上げる。
表の通りに迄、確実に響く大きな悲鳴。
何故か往来の人々は無関心で通り過ぎて行く。
三人は『何故?』という顔の形で止まる。
「すまんな、この空間は防音させて貰った……」
「あと、光学的にも、この空間は表通りには見えん、安心しろ……」クライスは嗤う。
杖を撫でる……先程の「カチン」という音……杖の付与魔法が発動した音……
「ワシの後方、2mも進めばこの空間からは出れる、助けも呼べる……」クライスは今度は冷静な声で三人に伝える。
クライスの言葉を聞いて、小太りが悲鳴と共に左手で剣を抜こうと……しかし上手く抜けない……
左腰の剣を左手で抜くのだ……そりゃ難しい……焦りばかりであたふた……
見兼ねて、クライスの足裏が、小太りの柄を思い切り蹴っていた。
「グエェー!」後ろのノッポが呻いた……身体がくの字になる。
小太りの剣の鞘の先端がノッポの腹に食い込んでいた。
代わりに、鞘から剣が滑り出していた。
「そら、剣が出たぞ……」クライスが助言。
……空間に酸っぱい匂いが拡がる……
ノッポが盛大に吐いている。
「防臭もしておけば良かったな……」独り言。
ノッポがくの字になった事と、ゲロが撒かれたお陰で、三人の空間は更に狭くなる。
ライジャが肩を押さえながら、後方から叫ぶ!「ソイツを早く殺せ!何ヤッてんだ!デブが!」小太りが罵倒され、痛む右手を堪えて、クライスを睨む。
「…そこまでデブでもないだろう、なぁ」クライスは小太りに話し掛ける。
小太りは半ば地面に落ちた剣を拾い……
「……ごろじてや……」唸なりながら構え……
「ギィィィ……いで……」剣を碌に構えず、ガクガクと崩れ落ちる。
「どうなってんだ!早く殺れ!」
ライジャからの罵倒は続く。
小太りは細かく震えて固まる。
足の甲に杖が突き刺さっていた。
先端が小太りの足を突き抜け、地面にまで突き刺さっているのが判る。
掴んだ杖を捻る。
「バシュ!」という炸裂音が杖から鳴る。
今度は逆に杖を捻る。
小太りに刺さった部分を残して、杖が分離した……
地面に刺さった部分からは、大きな釣り針状の棘が飛び出した。
杖の筒内にある時は、杖の内壁で抑えられていいるが、分離した事で、花が開いた様に、バネ式で外側に拡がる構造。
クライスの持った杖は全体の70%程度の長さに変わる。
先端が鈍く光る。
仕込杖だ。
鋭利な刺突用の刃物。
小太りが痛みに呻きながら、杖の先端を足から抜こうとする。
「……抜けんよ……」小太りの横を通り過ぎながら、思っきり脚を蹴り押した。
「ビビビビィ」ブーツの裂ける音……それ以上に大きな悲鳴。
「ヨシヨシ空いた、開いたな、そいつ、今なら抜けるかも知れんぞ……」クライスは小太りにささやく。
ゲロまみれのノッポの前まで歩い……杖が刺突される。ノッポには刺さらない。
杖はライジャの腿に刺さる。
「ギャァァァー!」ライジャが叫ぶ。
どんどん刺す。
ライジャから見ればノッポを盾にして、脇から、股から、ありとあらゆる隙間から刺される。クライスは小柄な事も有り、ノッポに隠れて全く見えない。
4,5回ライジャを刺したら、ようやくノッポがゲロを口から垂らして反撃。
クライスは杖を取り落とす。
地面にポトリと落ちる杖。
それを見てノッポは、両手でクライスを掴みに掛かる。
クライスがノッポの左足の膝を内側から蹴る。
「ガクリ」とノッポの身体が沈む。
「ズブッ」という音がして、ノッポの身体は地面に落ちずに途中で停まっている。
「イィィィィー!」ノッポは意外と高音だった。甲高い叫び声。
地面とノッポの間には杖……
杖はクライスに、取っ手を踏まれ屹立していた。
ノッポの右上腕と下顎に深々と切っ先がめり込んでいた。
ノッポの鮮血が、杖に伝わり、地面まで流れ落ちる。
クライスは、踏んでいた足を退け、逆側の足で杖に足払い。
「ブチィィ……」右上腕が裂けた、同時に顎から赤い肉片を付けた白い塊が数個飛び散る。
「ゴボボ……ゴァァ」声にならない声。
舌も切断したのか、口から赤い肉が半ば飛び出している。
口から血が噴水の様……戦意等、有る訳無い。
ゲロと血の海に、のたうち回り、せめてクライスから逃れようと身を捩る。
こんな狭い路地裏では意味は無いのだが……
「おっとっと……」ノッポを避けようとしてつまづいた。
小太りの背中に全身で当たる……「ビリィ……グボッ」という音……「いでぇ………」小太りの絶叫が途中で消えた。
そして杖の先端が足から抜けた……足の甲に棘が深々と刺さっている。
棘には返しが付いているので、そうそう外れないだろう。
足の穴はほぼ、穴で無くなって、あと少しで、人差し指と中指を分かつ程、裂け拡がっていた。
小太りは、痛みで失神していた。
ノッポは、半開きの顎を抑えて血を滝のように流して、こちらも茫然自失。
一瞬の事で、ライジャは意味が分からなかった。
この爺は何だ?
もう得物も持って無い老人だ。
それでもライジャの足が「カタカタ」震えている。
それに本人が、気がついていない。
隻腕の老人がゲロを避けつつ、こちらに近づいてくる。
「お前!こんな事をしてタダで済むと思うのか!?今すぐ止めれば……」ライジャが刺し傷だらけの身体で叫ぶ。
「パキッ」隻腕が、折れた鎖骨を殴る。
「ウゴッッ!」ライジャが肩を庇い、後退り。
「待て!ここで止めれば……」
「止めれば?なんじゃ?」クライスが口を開く。
「お……俺に何か有ったら、仲間が全力で復讐する、今なら……」
「今なら?なんじゃ?」
「今すぐ立ち去れば、まぁ許してやる……」
「ほぅ……」頷く……と同時に蹴りが出た。
肋骨の裏側にクライスの足先が入る。
「ゲェー!ゲッ……グエェ……」胃を直接足裏で潰され、盛大に吐く、
口からも……
鼻からも……
目からも……
液体が垂れ流れる。
涙目のライジャにクライス足裏が見える。
草履に鋼鉄の輝き、暗闇に鈍く光る。
……只者じゃない……
「殺される!」
脳天に稲光の如く……
「『今すぐは』はもう過ぎたな……もうそなたは、ワシを許してくれないのか?」クライスは尋ねる。
「いや!未だ大丈夫だ、今なら許してや……」既に言葉の後半が消え……胸の前で手を合わせて懇願の表情……の顔面に掌底が叩き込まれた。
綺麗な鼻がグシャリと潰れた。
鼻から今度は鮮血が流れる……クライスを見る余裕も無く、地面に蹲り、痛みを堪えている。
「ソコ、ゲロ有るが大丈夫?」クライスは教えてあげる。
ライジャは聴こえていないようだ。
またクライスは待つ。
ライジャがようやく血だらけの顔を上げる。
「『今すぐは』はもう過ぎたな……もうそなたは、ワシを許してくれないのか?」クライスは再度尋ねる。
「いや、許ずから……許じます……から」ライジャは泣いていた。
「ほぅ、仏の顔も三度まで、とは言いますが……そなたは誠に寛大かな、痛み入りますな」と言い……優雅にお辞儀をし、身体を戻る際に……予備動作無く、ライジャの顎に草履の先端が叩き込まれた。
一瞬、ライジャの顔面が半分になった様に見えた。
下顎がグチャグチャになっている……
歯が、歯茎に突き刺さったり……
唇を突き破っていたり……
またライジャが顔を上げるまで待つ。
「あぁ、また『今すぐ』が過ぎてしまったなぁ、もうそなたは、ワシを許してくれないのか?」クライスは再度訊く?
「?#+)#*625414_)*336#”’?”’?”’”?”。@」ライジャが何を言っているのか判らない……というか口など最早動いていない……口らしき肉片が多少震えている程度。
『大丈夫です、全然大丈夫なんで、許しますから、助けて下さい』ライジャの思いを要約すると恐らくこれ。
「う〜ん……判り申した『もうワシを許さん』という事か……」クライスは意気消沈で言う……コレだけ口が崩れていると、クライスの読唇術も通じないらしい。
全く意味が変わっていた。
ライジャが立ち膝になって一生懸命、首を振って……
「ゴシャ……」草履の鉄片がライジャの股間に吸い込まれていた。
ライジャは泡を吹いて失神した。
……。。。……
口痺れる……
喉にも拡がる……
それで目が覚めた。
全身が熱いし、何やらヌルヌル液体まみれ……
体育座りで冷たい地面に座っているのか?
左右、隣が暖かい、誰か座っているのか?
目を開ける。
目の前にフード目深に被って面頬を付けた隻腕の老人が杖を支えに立っていた。
杖は元通りの状態に戻っている。
足首が縛られている、手は何故か肩下から感覚が無い。
そして胴体を俺を中心に三人まとめて縛られていた。
ライジャが喋ろうとして激痛に呻く。
横を見れば、舌を垂れ落としたノッポ。
コイツも喋れなさそう。
逆を見る、デブは口は大丈夫そう……肩でデブを小突く。
デブが目を覚ます……が「あ”あ”」と叫ぶ。
ライジャが更に小突き、小太りを睨む。
小太りが事情を察する。
「頼みます、頼みます、助けて……お金なら上げますから、僕たちの親は金持ちなんです、お金なら……それに僕らを、これ以上痛め付けたら、親が黙っちゃいません!」小太りが捲し立てる。
クライスは静かに三人を観て、ボソリと言った。
「……死にたくないか……」
三人は全員、痛みを堪えて、首を必死に縦に振る。
「……そうか、ではお前たちに聴きたい事がある」三人はまたまた首を必死に縦に振る。
「そなたが犯した者達も、死を前に、懇願したか??」クライスは静かに尋ねる。
全員の肩がビクッ跳ねる。
「お前たちが犯した者達も、お前たちと同じ様に『死にたくない!助けてくれ!』と懇願したか?」クライスは全員を見る。
「いや、彼等は懇願しない……」クライスは断言する。
「彼等が、自身の『死』を恐れて、懇願したか?……いや彼等はしない……」
「彼等の懇願は『死』では無い 彼等の想いは『誇り』で在り、『他者への愛』だ……」
「お前たちが持たぬモノだ……」
「お前たちも、それを知る機会は五万と有った筈だ……お前たちは、自らその機会を捨てたのだ……」
「ワシはお前らを殺さん、安心しろ……だが、話す事と、手は奪う、残りで生きていけ……」
「もうそろそろ、効いてくる筈……ワシはお前らに何の恨みも無いが、お前たちを散々傷付けた事は事実だ、恨むならワシを恨むが良い……」
「もう、喋れぬか……空間の封鎖も解く、あとは好きにするが良い……」
「三人で協力するのだな……しくじると怪我が増えるだけだぞ……表通りまで50m程度」
「何が生きている事か?それを考えよ……」クライス珍しく長話をすると、杖の取っ手を指で叩く。
表通りの雑踏が聴こえてくる。
屑どもの口が徐々に動かなくなる……というか頬の筋肉が弛緩して来ている。
それでも三人、今は只、生きている事に安堵した。
あと、8名……クライスは杖をフードの中に仕舞い、歩き出した。
「こんな仕事はコレっきりにしたいもんだ……」クライスの独り言。
こんなやり方、暗殺でも何でも無い。
ワザワザ、自分の姿を晒してお説教等、今までのクライスには考えられない事だ。
だが、仕事の為に慣れない事だが敢えてした。
3名が消えたのだ。
残りが動き出すのに時間は掛からない筈。
次の潜伏先は既に把握済み。
マクシミリアーノの店だ。
表参道の高級ブテック。
「あんな場所、ワシには似合わんなぁ〜」クライスはボソボソと喋りながら、雑踏に紛れた。
背の低いクライスは、直ぐに何処に居るか判らなくなった。
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