第6話 女々しいは、男に付く形容詞

 俺はユナの勤め先の喫茶店に向かう。

 気持ちは沈んでいるが……逢わないといけない。

 いつまでも王都に居れるとも限らないのだ。

 明日にでも出陣と配属が決まり、前線に行くとなれば、そうそう逢う事も出来まい、覚悟を決めて俺は歩を進める。


 実はユナは、俺が一方的に熱を上げて、峡谷の戦いの数週間前にやっと恋人になれた女だった……まだ手も握っていない……相手の家族も知らない。


 彼女は偶々、大道芸を演じている俺達を観ていた観客の一人だ。


 俺達の大道芸の剣劇は、謂わば演舞だ。

 事前に題目が決まっており、それを俺達は覚えて順番通りに演じる。


 彼女に初めて会ったその時も……

 彼女は最前列で俺達を観ていた……


 俺とゼオは暗記している演目を始める。

 お互いに礼、構え……唐突に始まる。

 俺の剣が凪ぎ払い、ゼオが身体を反らせ避ける……避けながら、ゼオの剣が逆袈裟で跳ね上がる……俺の髪の毛をゼオの切っ先が撫でる……それを感じながら、ゼオの胴に木刀を突く……ゼオは身体を反転し避ける……と同時に凪ぎ払い……そんな感じ……お互いに最小限の動きで剣を避ける。

 見切りの訓練だった。

 間違えば一大事だ。


 そして、この動作には俺達の鍛練の為に師匠から課された大事な行為がある。


 ……避けながら攻撃する事……


 これだけ……


 剣士なら皆実行している……と誰もが言いそうな。

 だが違う。

 真の意味での『避けながら攻撃する』とは、文字通り避け行為途中に既に攻撃する事……

 攻守が別れてはいけない。

 更に言うなら、攻しかない。

 守は攻の動作中に起きているモノと考える。

 他国の剣士の様に、斬って~受けて~斬って~避けて……という動きではない。

 相手の斬りを観て、それを避ける姿勢で相手を斬りに行く。

『剣匠に二の太刀要らず……』と云われる所以だ。乱戦時にそこまで出来るかは、各剣匠の修練具合によるだろうが、求めている境地はそれだ。


 その日も演舞が終わった。


 まだ、春だったが、二人とも滝の様な汗をかいている。

 同時に御辞儀する。

 コインが投げ込まれる。


 彼女は相変わらず俺達を観ていた。


 大抵の女は、ゼオのファンなのだ……ゼオの流麗な顔を見て虜に成るのだ。

 当の本人は全く意に介していないが……どうせそんな所だろう……俺は僻んでいた。


 彼女は女性にしては高身長だった……170cm位……

 草履を履いてそれだから、着飾れば俺と並んでも遜色無い程の身長……

 因みに俺は188cm、ゼオは175cm程度だ。


 彼女が俺に話しかけてきた。

「大きい貴方……凄い……その避け方……」驚いて言葉が上手く出てこない様子……

 まさか俺の方に興味が有るとは……心の中とは裏腹に顔色変えずに「良く判るな……」と少し自慢気……

 大抵はゼオばかり話しかけられる……特に女性は……たまに俺に話し掛けるのは男ばかり、或いは希に元男……


 見切りは俺の得意だった。

 俺は『寸(約3cm)見切り』を終え『分(約3mm)見切り』を習得中だった。

 まだ、2cm程度が限界だが……弟より秀でている俺の長所だった。

 弟の方は、相手の『読み』が頭抜けており、活人剣において読み合いなれば、俺でも悲鳴を上げそうになる難敵だっだ……多分、見鬼だった事も関係しているのだろう。


 しかし女性で俺の動きが判るなんて……

「何か、剣術を学んでいるのかい???」俺は尋ねる……


「えぇ、まぁ、剣術育成会って所、でも……貴方とは比較に成らない……」彼女は歯切れ悪く言う……

「女で剣術って珍しいな」俺は思ったままを口にする。

「あらそう?お父様に言われて始めたんだけど、道場には結構居るわよ女の子」彼女は反論する。

「……そうなのか……そりゃ失礼した」俺はペコリと頭を下げる。

「あはは、貴方面白い人ね」あっさり謝る俺を見て、彼女はケラケラと笑う。

 後から判った事だが、ユナの行っている道場は、護身術を習う高貴な方々の為の精神鍛練の場所らしい……

 俺達の様な人殺しをを生業に修練している人間が行う剣術とは全く異なり……『善き人格形成に寄与する素晴らしき剣の道……うんたらかんたら……』だそうだ。

 俺には関係ない世界……

 まぁ、どうでもいい……


 まぁ、初対面はそんな感じ……そして俺は一発で彼女にブチのめされた。

 何せ、骨格が良い……フレームが良い……良い頭蓋をしていた。

 但しこうした発言を面と向かって相手にして退かれる事位は、20年間の人生で学習していたので、心に秘めて言わなかった。


 心の中で俺は想う。

 美とは骨格から始まる。

 頭と体に比率、

 足の細さと腰の豊かさ、

 膝から足先までの長さ、

 人体を構成する、筋・筋肉・脂肪・肌・適切な筋肉と脂肪……滑らかな肌……

 全てを支える根幹は骨格だ。

 それ無しに美は生まれない。


 俺は無学だが、剣匠の訓練の中で美を学んだ。

 姿勢、斬り、突き、受け、流し、

 正解の行為は全て美しい。

 機能美とも云える。

 それも理想的な骨格から始まる。

 確かに骨格が悪くても、師匠の様に技術で乗り越える剣匠も居る。

 師匠は身長165cmで体重も軽い……オマケに隻腕……

 体格だけが強さの全てでは無い。

 正に体格を凌駕する技術を得るのは剣匠の本懐でもある。

 だが、それでも良い体格を持っているに越したことはない。

 そういう観点から観れば俺は恵まれた体格を得ていた。


 無駄な事を考えている内に、ユナの勤め先の喫茶店に着いた。


 そして俺にこの喫茶店の入口は低かった。

 頭を屈めて入る……下に向かう中途半端な階段、半地下の扉を開ける。

 中には、コーヒードリッパーを睨む陰気な親父が奥に居る。

 入って来た俺に挨拶もせず一瞥し、

『なんだ、コイツか』と言う声が聴こえてきそうな顔を一瞬浮かべて、直ぐにコーヒードリッパーに視線を戻した。

 この陰気な男が店長であり、彼女の雇用者。

 俺ならこんなぶっきらぼうな親父の元では働かない。

 どうして彼女はこんな店で働いて居るのか???

 時間があれば問い質したい。

 余程、時給が良いのだろうか???


 この隠れ家的な喫茶店の名前は『隠者の溜まり場』という。

 この何とも陰気な親父の嗜好は、豊満で毛深い男性だった……

 俺の様な筋肉だけの長身は対象外、門前払い。

 勘の良い人ならもう勘づいているだろうが……

 つまりは親父は男色家だった。

 だから店名の隠者とは、つまりそういう事……

 そっちの気も無い俺が、こんな喫茶店に入って来るのは、親父からすれば邪魔者以外の何でも無いのかもしれない。

「ノンケは出ていってくれ」と言いたい所か……


 俺は他の男色家の邪魔に成らぬよう、壁面の隅の席に座る。壁面の上の方、小さな小窓があり、ガラスが嵌め込まれている。

 その小窓から、外の歩道を歩く人々の足元が見える。


「何飲む……」親父が鼻の下に蓄えた髭を扱きながらぞんざいに訊いてくる。

「ブレンド……」俺もぞんざいに答える。

 復唱もせずに、ドリップし始める。


 ノンケの俺でも今日は居座るんだ。

 ユナと話したい、時間がないかも知れないから……

 せめて仕事終わりに話がしたい。

 約束を取り付けたい。


 カウンターからユナが近付いてきた。

「オルセー大通りで歩く貴方を観たわ、お帰りなさい……無事で良かった……」ユナは俺を見る。

 心なしか瞳が潤んでいるように見えるのは俺の憶測か???

「道端まで出てきてくれたのか……」俺は感謝する。

「えぇ、貴方、居ないかと思った……」ユナが言う。

「そんな、俺ほどデカイヤツはそうそう居ないだろ」俺は笑う……直ぐに見付けられるだろ。

「でも……貴方……違ってた……」ユナの声は震えていた。

「何か有ったのね……貴方……いつもの貴方じゃ無かった……今も……」ユナの溜まっていた気持ちが噴出した。

『あぁ、バレてる……やっぱり俺はユナに会わせる顔を未だ持って無かった……』俺は敗けを自覚する。

「優しい茶色い瞳、大きな口の笑顔、前を向く背筋……全部無かった……」

『瞳も口も背筋も全部有るよ……』俺はそう言いたい……が言葉は出ない……何も言えなくて、俺は上を見上げる。

 壁の小窓が見える。

 外側で、窓を背に誰かがもたれ掛かっている。

 その小窓は外を写す事なく、俺は見上げた自身の顔と対面した。


 そこには、いつもの俺の顔が写っていた。


 ……しかし、何か違う……

 どこか顔の筋力が一部消失した様な……弛緩した様な……意志の力が見えない顔……

 心の底から出ていない虚ろな表情……


 ……なんだ……俺……

 自身の顔をしげしげ見る。


 ……暫くして、自身のパッとしない顔から視線を外す。


「俺は……変わったか……ユナ……」俺は訊く。

「わからない、けど貴方の……明るい……太陽の様な……」ユナは口ごもる……

「……そうか……俺は……」話が止まる。

「ホイッ、ブレンド!!!....」親父が、カップを卓にゴンと置いた……珈琲が少し卓に零れる。

「オーナーごめんなさい……」ユナが謝る。給仕を忘れていた……

「良いのよ!ユナちゃん!」オーナーは気持ち悪い女声で話す。

「こんな良い子……心配させてやがって、一回死んでみるか???」今度はドスが効きすぎる。

 剣匠の俺に『殺害予告』するとは肝が据わっている。

「お前が何を観てきたのかは知らん……知りたくもない……知っても、お前が持つ想いの100分の1も理解出来んだろう……お前の想いはお前だけのモンだ……」オーナーは俺を睨む。


 ……ナニ者だ、この親父……


「お前の苦痛を体験していないこの子に、まさか慰めて貰おうかと思って来たんじゃ無かろうな……そんな上手い話が有る訳無かろうが!!!」


 『……?!!親父に見透かされた……』


俺は顔色が変わったと思う。

「その苦痛は、お前の五感、お前の思考、お前の感情を経て、ソコに澱の様に溜まっているんだ……それはお前だけのモンだ……」俺の胸を指差し続ける。


「そして何も分からんユナに、只、慰めて貰っても、お前はいつか必ずこう言う……『お前に俺の苦痛が判るか!!!あの場に居ないお前に何が判る!!!』そんな事を彼女に言うんだ……」


 親父はそう言い……


 カウンターに戻った。

 そしてコーヒードリッパーを睨む。


 俺は唖然とする……


 俺の……甘え……

 彼女に救ってもらえたら……

 確かに考えた……


 そうだ……そんな上手い話はない……

 共感しない慰め程……嘘臭いモノはない…

 あの修羅場を体験しないユナに……判る筈もない……


「ユナ……親父さんの言う通りだ……すまん……俺はお前に甘えようと……」俺は歯切れ悪く……


 だが、彼女は俺をじっと見て

「……ヤーン、貴方の苦痛を全部判ってあげれないけれど、話して欲しい……」と言った。

「ユナちゃんは、ほんとに良い子……」親父はウンウン頷いて

「お前には、勿体無い位の良い子だよ、ホントに……」親父を俺を目の敵。

「あぁ、ホンっとにそう思う……」俺は同意する。

「お前のそういう所……それだよ……」親父はユナを見る。

 ユナは『そうでしょう』という顔で微笑する。そして親父を見て、

「オーナー……ごめんなさい……」もじもじとユナ……

「わかってるわよ……今日はもう上がって良いからね……コイツに説教してやんなさい……」親父はウインクする。

「ありがとう!!!」ユナの顔が晴れる。早速エプロンを外す……そして、(staff only)と書かれた扉を開けて中へ入って行くや否や、トートバッグをひっ掴んで出てきた。

「ヤーン行きましょ!!!」ユナは問答無用……俺の腕をひっ掴む。

「あっ……あぁ……」俺は生返事、ユナに引っ張られる……なんだろう、ユナは強い……

『柳に雪折れなし……』そんな言葉を思い出す。


 カウンター越しに親父が呆れ顔で俺達を見る。

 二人して、隠者の溜まり場を後にする。


 ユナに手を引かれ、俺は早足で着いていく……


 ユナは俺を正しい方向に導く女性……

 彼女と共に生きて行けば、俺はイカれた事に成らなさそうだ。


 ユナの美しい背中を見て想う……

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