第44話 陰謀の気配

 樹海の家に戻ってきて、数日が経過した。


 その間に家の前庭の薬草園は雑草が取り払われ、見る見るうちに成長したものは株分けが行われ、きれいに整えられた。


 シキは体力づくりと称してレグルスと共に家の周囲を朝のうちに何往復も走り回り、午後はリヒトから薬の知識を学ぶ数日だった。

 かくいうレグルスもリヒトの家での生活に慣れ始めたのか、今では家のどこでも快適にうたた寝ができるようになり、リヒトとシキの前ではお腹を見せてすやすやと寝転ぶようになっていた。


 今日はようやく領都からマギユラが配達にやってくる日だった。


 食糧はなんとか備蓄分や庭、樹海の中での採取から間に合うとは言え、追加の腸詰肉や干し肉、乾麺、小麦粉等はあると助かる。リヒトが一人で生活していた頃はそれこそ毎日野菜スープでも満足していたが、一緒に暮らすシキや今ではレグルスも居るのだ。彼らが美味しいと言ってくれる料理を振舞うのも、リヒトの楽しみの一つになっていた。


 太陽が真上に来る時間、空の彼方にキエルが羽根を広げる姿を見つけた。そのうちに、マギユラの元気な挨拶の声が飛んでくるであろう。


 シキと共に庭に出て、マギユラとキエルを出迎える。


「よく来たね、マギユラ。あんまり久しぶりでもないけど、配達ありがとう」

「リヒトさん、お待たせ。少し荷物の手配に手間取って……」


 マギユラは変わらず元気な声を返してくれたが、少しだけ顔に疲れが見えた。何かあったようだ。


 キエルはというと、レグルスやリヒト宅の周辺にいる上位種の魔獣の気配に怯えているのか、少し震えている。マギユラがどうどう、とキエルの体を撫でている。


「ごめんね、キエル。少し周囲に強い魔獣がいるけど、大丈夫だから。レグルスもいい子だから」

「リヒトさん、いつの間にルプスを迎え入れたの? まだ幼獣だね、ふわふわだ!」


 シキの足元をくるくる走り回って、キエルにも尻尾を振り続け愛想よくしている黒色の毛玉の存在に気付いたマギユラが驚いた顔で訊ねてきた。


 シキはどこか少し得意げになってレグルスを抱え上げてマギユラに見えやすくした。


「レグルスと言います、よろしくね」

「マギユラ、よければ家の中で事情を話すよ。樹海に帰ってきてから色々あったんだ」

「え、大丈夫だったの? また何かに巻き込まれてる?」

「とりあえずは大丈夫だよ。だからキエルも怖いかもしれないけど、安心してね」


 リヒトはキエルの震える体をそっと撫でた。夕焼け色のようなつぶらな赤い瞳を見つめて、落ち着くように伝える。撫で続けたお陰で少しだけいつもの調子を取り戻した様子のキエルに一息つき、積み荷を降ろす作業に入った。




 いつものようにキエルには飲み水と干し肉を与え、前庭で羽を休めてもらっている。リヒトとシキとマギユラはキエルの背に乗せていた積み荷を家の中に運び入れる作業に取り掛かった。


 食材、衣類、樹海で採取できない薬類をそれぞれ項目ごとに内容に間違いがないか確認していく。


 食材と衣類の確認をリヒトが終えると、シキが困った顔でリヒトに訊ねてきた。


「リヒトさん、前にラガンツァとハルベナの違いを教えてくれたでしょ? これ、二つが混ざっていないかな……?」

「え!?」


 今回頼んでいたのはハルベナだ。医療施設用の麻酔薬を依頼されていたので、調剤のために配達を頼んでいたのだった。


 リヒトはハルベナとラベルの貼られた袋の中から、何枚か乾燥した葉を取り出す。空に透かせて見せた後、違和感を感じた二枚を白い布で包んですり潰してみた。


 ハルベナであるならば青い汁が染み出るはずだった。二枚のうち、片方は黄色い汁が染み出してきた。


「リヒトさん、どういうこと? 違う薬だったってこと?」


 マギユラは自身の手配した荷物に不備があったことを知り、顔が少し蒼白ぎみになった。リヒトもじわりと汗が滲む。


 薬効や利用手段の異なる薬の原材料が混ざっていたのは、どこからだろうか。


 マギユラは行商兼配達人であるが、薬の知識は無いので、いつも商業ギルドの薬を専門に取り扱う部門に商品を注文して届けてくれる。


「マギユラ、このハルベナの入手経路はいつも通りユーハイトの商業ギルド?」

「……いつも通り商業ギルド経由で発注をかけたんだけど、委託先の薬剤師が今回は別の担当になったとかで、領都の専任薬剤師じゃなかったみたいなのね? いつもの人だったら発注から納品までがすごく早かったんだけど、今回は期日が過ぎた納品になって……催促したりなんだりとやり取りにすっごく手間がかかって……」


 マギユラの到着が数日遅れたのは、薬剤の納品に時間がかかったことが理由だったとわかった。だが、問題は薬の混在箇所だ。明らかにその担当した薬剤師に疑惑が募る。


「とにかく一度ギルドに報告しないと……」

「そうだね、一応私からも領主様宛に手紙を出しておく。早くハルベナの流通を止めないと、外傷用のラガンツァが混ざっているのに麻酔薬として経口摂取したらとても危険だ。他の薬も念のため確認はするけど、ギルドに報告して調査してもらった方がいい」

「ごめんなさい、リヒトさん。今後こんなことが無いようにするわ」


 マギユラは行商の仕事に誇りを持っている。信用を落としかねない今回の件は、彼女にとって大失態に分類されることだろう。だが、薬剤の中身に別の種類の薬が混入していることは彼女のせいではない。


「君のことはとても信頼しているよ。大丈夫。だから早くギルドに報告して、薬の流通を止めてほしい」

「私、行くね。一旦コキタリス街道のギルド支部から報告するわ。またすぐに会いに来る」

「うん、道中気を付けて」


 マギユラはばたばたと身支度を整え、キエルの背に跨り、樹海を後にした。


 マギユラと話をしている間、シキはずっと他の薬剤の中身をチェックしていたようだったが、他は特に混入しているものやラベルと中身が違うものなどは無かったようだ。


「ハルベナとラガンツァはもともと違う地方で生産されるものだから、そもそも物流の過程で二つが混ざることは無い筈なんだ。ハルベナは標高のある北側の山間部でしか育たない。あと両種の葉の形状が似すぎているのもあって、生産者は両種一緒の生産は許可されていない。それぞれ別口で認可を得ないといけない」

「きびしく管理されているんだね?」

「ああ、その筈だよ」


 ほとんど見た目がそっくりな乾燥した葉を眺めて、リヒトは深くため息をついた。自然発生的な問題ではなく、人為的な悪意を感じ取った。シキが攫われたときと同じようなものだ。

 おそらくこれは、策略が働いているのではないだろうか。


「……考えすぎだよね。とりあえず、この混ざった薬剤はこれ以上触れずに置いておこう。シキ、中身の確認ありがとう。たくさん薬を見分けられるようになったね」

「えへへ。リヒトさんの図説のおかげだよ。これ眺めているだけでも楽しいよ!」


 褒められたことがうれしかったのだろう、嬉しそうに笑うシキの顔がリヒトの不安を少しだけ紛らわせてくれた。






 三日後、マギユラはまた再び家にやってきてくれた。

 コキタリス街道のギルド支部はシンハ樹海からほど近い場所にある。だが、報告後の返答や事後処理に追われて、マギユラは街道沿いの村に足止めを食らったようだった。


「薬の流通は止められたみたいで、件の薬剤師が納品した可能性のあるものはすべて回収することになったよ。うちの店も物流に関りがあるから、顧客名簿に沿って回収に回らなきゃ」

「……その薬剤師というのは?」

「……行方不明、だって。商業ギルドは管理不行き届きでこの件の責任者を処分する方向で動くみたい。まだ諸々調整中みたいだけど」


 リヒトの嫌な想像はどうやら当たってしまったようで、背中に嫌な汗が流れた。

 樹海周辺での出来事に留まらず、周囲に悪意による何かが渦巻いているようだ。


 くぅん、とリヒトの暗い顔を察したのか、レグルスがリヒトの足元に寄り添ってきた。シキも不安な顔でこちらを覗っている。


 いけない、とふるりと首を振った後、リヒトはレグルスを抱え上げた。もふもふの黒い毛玉はご機嫌になったのか、きゃうんとかわいらしい鳴き声をあげた。

 ぱちぱちと瞬きを繰り返したマギユラがリヒトに訊ねた。


「そういえば、このルプスの幼獣の子ってどうしたの? 数日前に来たときはばたばたしていて、話が聞けなかったから」

「そういえばそうだった、薬の件で伝えられていなかったね。実は――」

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