第41話 新しい出会い

 落葉の季節には恐らく真っ白になったであろう木立の道も今は若草の芽吹く道となっていた。

 踏みしめられた獣道を進み、小川のせせらぎに耳をすませる。


 嗅ぎなれた土と樹木の香りがとても懐かしかった。


 目くらましの魔術道具でリヒトの家は隠されている。シキに道順を教えようと、森の奥を見つめたときにいつもとは違う気配を感じ取った。

 恐らくシキも感じ取っていることだろうと、顔を覗き込むと、シキもまたこちらを見上げてきた。


「……シキにも分かる?」

「……『隣人』さんでは、無いよね?」


 一角獣であるモノケロースの気配とはまた違う、ずしりと大きいものが動く気配が満ちていた。


 樹海の中の轍に足を踏み入れようとしていたが、比較的落ち葉の少ない土の道を選び、足音を立てないよう木立の中をゆっくりと進むことにした。


 木の影に身体を隠すようにして進む内に、家を隠している魔道具周辺まで辿り着くことができた。


 木々が密集している中に、幾つか大岩が鎮座している。

 岩の向こう側に、それはいた。


「……ルプス? いや、あんなに大きいのは見た事がない」


 むくむくとした黒い毛を持つ犬型の大型魔獣が、のそり、と岩の向こうの地面に鎮座しているようだった。


 竜型のときのシキより体躯は圧倒的に大きく、大人のリヒトでさえもひと口で飲み込めてしまいそうな大きな口がちらりと垣間見える。


 すぐそこにリヒトの家があるというのに、この大型魔獣に悟られずに進む手段が全く浮かばなかった。


 モノケロースが傍にいればある程度の魔獣は近寄ってこないのだが、その肝心のモノケロースがリヒトとシキの目前にいる魔獣が原因で何処かに行ってしまっているようだった。


 シキが、不安気な瞳で見上げてくる。

 相手はあの巨体だ。俊敏には動けないと仮定して、石を反対側に投げて気を逸らしている間に目くらましの中に駆け込むか。


 ……いや、もし失敗でもしようならひとたまりもない。


「り、リヒトさん!!」


 どうしようかと逡巡していたところ、リヒトは近づくもう一体の気配にまったく気付けなかった。


 とても素早く、小さな黒い影が迷うこと無くリヒトが隠れている木の影に走り込んできた。


「!!!」


 シキを背中に回し、身を屈める体勢を取ったが、いつまで経っても覚悟したような強い衝撃は襲ってこない。


 代わりに、ぽすり、と膝にやわらかい感触が感じられた。


「……え?」


 黒い毛玉、と形容するしかない生き物が、リヒトの膝に片脚をかけて、へっへっへっ、と誇らしげに鳴いていた。


 そして小さい生き物に視線を奪われてしまったことで意識の外にやってしまったが、のそり、と大型魔獣がこちらを振り向くのを視界の端に捉え、また再びリヒトは硬直することになる。


《驚かせてしまったようで、悪かった。突然の来訪、許して欲しい》


 腹の底に響くような声音が脳内に響く。

 硬直を解いたリヒトは、大型魔獣がその声を発していることにようやく気づいた。


《我らはヴィトニル、始祖の血を濃く受け継いだ――そなたらが聖獣と呼ぶものだ》




 ――ヴィトニル、と名乗った大型のルプスと似た犬型の魔獣だった。

 真っ黒な毛足の長い体毛に、すらっと伸びる鼻口部。大きな口腔に覗くのは鋭い歯。


 一見すると今にも取って喰われそうなほどの見た目をしているが、頭に伝わる声音はとても穏やかな口調だった。


《訪ねたのには理由がある、我が子を救ってくれた礼を伝えたかったのだ》


 聖獣ヴィトニルはリヒトの方をまっすぐに見つめ、そう告げた。

 夜空の星を凝縮したような瞳が、豊かな黒色の毛の向こうに覗く。


 思わず瞳に見入っていたリヒトはハッと意識を戻すが、思考を巡らせても中々思い至らない。

 その時に足元をぴょんぴょんと跳ねる毛玉――ヴィトニルの子どもが、きゃうんきゃうんとご機嫌な様子でリヒトの足に擦り寄ってくる。


「リヒトさん、あの薬を採取した夜に出会った子じゃない?」

「……ああっ!!」


 ファティナの涙と呼ばれる薬を採取した夜、罠に捕らえられてしまった一匹の魔獣を助けてあげた記憶が蘇る。

 採取したばかりの上級回復薬の原料となる薬を使って、治療まで施して逃がしてあげたのだ。


「あの子がまさか聖獣の子どもだったなんて」

《この子はまだ魔力が成熟しきっておらんのだ。まだ人語を解せぬが、成長したら我のように人の言葉を話すようになるだろう》


 聖獣再来と呼ばれていたのはこの子のことだったのか、と足元にじゃれついてくる小さな毛の塊をそっと撫でてみた。


「きゃう〜ん」


 撫でてくれる手が気持ちいいのか、差し出した手に擦り寄ってくる始末である。


「……なんだかリヒトさんにとっても懐いているね?」


 後ろからシキも覗き込むと、ヴィトニルの子どもは今度はなんと、お座りのような姿勢をとり、きりりとした表情でシキを見上げていた。


「……えっ!? 何で!? 僕なにかした?」

《竜人の子どもよ、そなたのほうが我が子よりも魔力の量が多いから敬っているようだ》

「尊敬の眼差しってことかな?」


 リヒトが触れると子どもさながらにきゅわんきゅわんと可愛く懐き、シキが声を掛けるとぴしりと姿勢を正し、まるで師匠を相手にするかのような眼差しで見上げる。

 動作がなんとも面白くて、目が離せなくなってしまった。


《罠から我が子を救い、生薬を使用してまで治療を施してくれたことに感謝する》

「とんでもない。救う手立てがあって幸いでした」

《この森も最奥まで邪な者が出入りするようになってしまった。――そなた、リヒトよ、勝手な申し出にはなるのだが、一つ頼みを聞いてはくれないだろうか》


 神妙な面持ち、というのが魔獣の世界にも通じるのかはわからないが、目の前に聳え立つヴィトニルはまさにそのような雰囲気をまとっていた。


《しばらく我が子を預かってはくれないか?》

「えっ!?」


 告げられた内容に、一瞬全ての音が遠のいたような気がした。




「……つまり、樹海の中の侵入者を一掃するまで、保護していたらいい、と?」

《ああ。我と我の眷属で警戒に当たる。その間に我が子を安全なところで見守っていてほしいのだ》

「預かる点については、ヴィトニル殿が私の家や近辺を安全だと見なすのならば責任を持ってこの子を保護したいと思います。ですが、侵入者を一掃する件については、相手方の勢力の規模が掴めていない状態ならおすすめ出来ません」


 ヴィトニルの眷属というのがどんな魔獣なのかはわからないが、広大なシンハ樹海ならば聖獣に付き従う魔獣などいくらでもいるのだろう。

 だが、魔石の乱獲をする侵入者がどれくらい居るのか見当がついていない状態では、一掃するのにもかなりの時間がかかる。


 それに恐ろしいのは金に糸目をつけない者は履いて捨てるほど居るであろうということだ。


 露払いをしたところで、根本の原因が解決するとは限らない。


「……ヴィトニル殿さえよければ、王都の大神殿に助力を願いましょうか。大神殿が管理する森林にて保護してもらうことができるかもしれません」

《伝手があるのか? 王都と言えば、アレスティアの居る場所か……。この森の居心地の良さには劣るが、我が子を守る為ならその森林に移り住んでもいいかもしれぬな》

「ユーハイトのヒューマ殿経由にはなりますが、連絡する術はあります。移住の準備が整うまで、ヴィトニル殿には樹海近辺の侵入者の警戒を、そしてその間この子を結界魔法のある我が家で預かる、そういう方向でもいいでしょうか?」

《ああ、手数をかけるが頼みたい》


「……あの、ヴィトニルさんは、元々樹海で暮らしていたの?」


 リヒトとヴィトニルのやり取りにおずおずと言った様子でシキが質問を投げてきた。


《我が子を身篭るまではロワナの堅牢な山頂で暮らしていたのだ。だがあそこは幼子にはちと環境がそぐわなくての》


 シキは木々の隙間から見える、聳え立つ悠然とした山々に目を向けた。

 山頂は雲に隠れて、その頂は見えない。人族があの山を登頂したという話は、ついぞ聞いたことがない。文献を探せば見つかるだろうか。


《ロワナの山では我と番のみで暮らしておった。他の仲間はもう居なくなってしまった。番も先に逝ってしまった。我も先は長くは無いのだろうが、この子が生まれたからもう少しは見届けようと思う》

「そんな、長くないって……」


 シキが辛そうに返事をした。

 聖獣は長命な部類ではあるが、終わりはやってくる。


 せめて新しく生まれた子どもが無事に過ごせるように。

 そう願って、異種族であるリヒトに懇願しにやってきたのだろう。


「ひとまず連絡をしてみます。あなたたちが安心して過ごせるように、尽力します」

《我は樹海とそなたらの生活が荒らされぬように守ると約束しよう》

「ありがとうございます、魔石の乱獲は不安な要素だったので、助かります」

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