第40話 別離と樹海到着
シキが魔法の詠唱で古語を使ったことは「フラルゴ」とリヒトの間で内密にすることを約束した。
リーダーのバルロは、シキの種族は聞かないが相当な魔力量であることと、まだ幼いということからとにかく自衛の力をつけるように促してくれた。連れ添うリヒトも頼る術をすべて使って身の安全を、と言い含められた。
リヒト自身、すでにシキに守ってもらったことから年長者という点以外自負する点がないなあ、と情けなくも感じてしまった。
脳内で昔馴染みの銀髪男レイセルが「そら見た事か」と罵るのを無視して、せめて年長者としてシキをしっかりと保護していこうと決意を新たにした。
「フラルゴ」の面々と旅の準備を整え、スース討伐の三日後にシンハ樹海に向けて出発することになった。
この間にリヒトとシキは、シキの祖父母宅の荷物の再確認と片付けを済ませ、ヤムとハッサン夫妻の家で料理を振舞ってもらい、村長や世話になった人たちへの挨拶回りも終わらせておいた。
「領都に比べれば、すぐに来られる距離とはいえエトルーク村と樹海はおおよそ丸三日程度の旅路だからね。樹海まで乗合馬車がやって来てくれたら本当に助かるのだけど……」
また近いうちにこちらに足を運びたいと村長には伝えておいた。
コキタリス街道には要所要所で乗合馬車が行き来しているが、さすがに湿地帯が広大に広がるシンハ樹海近辺までやってきてくれる馬車が無いことが問題だった。
「まぁリヒトさん、また護衛が必要なら俺たちに声をかけてくれ。ギルド経由で依頼をかけてくれたらまた力になろう」
リヒトのため息を拾ってくれたバルロが慰めてくれる。「フラルゴ」はユーハイトを拠点にしている冒険者たちだ。また何かあれば彼等を頼ろうと、リヒトは頷いた。
ヤムさんや村長、宿屋の店主と別れの挨拶を終えると、また旅路を行くことになる。
お別れに少し涙ぐんでいたシキも馬車の荷台に乗ると、陸路から向かうシンハ樹海を楽しみに顔を明るくさせていた。
「ヤッヒさんたちはシンハ樹海まで行ったあと、どうするの?」
ヤッヒは矢尻に何がしかの毒――ケビの根の汁だ、痺れて動きを鈍くする――を塗りながら、シキの問いに答えた。
「スースの肉の運搬は街道の警備隊に任せたけど、任務完了の報告と報酬の受け取りに一旦領都に逆戻りッスね。その後はしばらく領都滞在? ッスか、姐さん」
最後の方は疑問符を浮かべながら話していたヤッヒがアガルタの方を仰ぎ見る。アガルタは足を組んで俯いていたが、耳はこちらに傾けてくれていたようだ、面倒くさそうにそれに答える。
「王都近郊の街で新しい迷宮が発見されたから行きたい!って息巻いてた坊ちゃんはどなた?
」
「あっ、俺ッス!」
迷宮、という単語にそわりと隣に座っているシキが反応したのがわかった。
「迷宮って、どんなところですか?」
「……色々ある。遺跡みたいな石造りの建物で、レムレース系の呪術系魔獣がわんさか出るところとか。洞窟っぽいところでカニス系の肉食大型魔獣がわんさか出るところとか」
ニゼルが気だるげに返す。
「ああいう所に行くと大抵保存食ばっかの毎日になるから僕はパスしたいんだけど」
「ニゼルが居ないとか、呪いとか受けたら誰が清めてくれるんスかー! 回復役不在の迷宮攻略は無理ッス!!」
ヤッヒが僧侶のニゼルの説得をしているが、食事が好きなニゼルを迷宮の旅に連れていくのは至難の業のようだ。
「まぁ、迷宮でもリヒトさんみたいな薬師とか調理担当が一緒に来てくれるなら行ってもいいよ」
唐突にニゼルにニヤリと笑いかけられたリヒトだが苦笑を返す。
「私は足でまといにしかなりませんよ。というかニゼルさんはお腹がすいてもホイホイとそこら辺の果実とか食べようとしないでください」
領都からの旅の途中、お腹がすいたらしいニゼルが森の中で果実を拾い食いし、食あたりでリヒトの薬が必要となる事態があった。
「クラントゥルに似てて、熟して美味しそうだったから……」
クラントゥルという薄桃色で丸い果実がある。種は大きいがその実は果汁に満ちており、甘くて美味しい。
「ジアトゥルは擬態植物の中でも有名な果実です。見た目、クアントゥルにそっくりなのに、吐き気や目眩を起こすので、本当にくれぐれも気をつけてください」
片方は美味、もう片方は毒実。世の中には見分け方を知っていないと、死に繋がる草花が多い。
「なんだっけ? 枝を落として白い汁が出てきたらアウトッスよね?」
「ヤッヒくん正解です。今度ニゼルさんが食べようとしても止めてあげてください」
「まぁまぁ。食べてもリヒトさんがささーっと薬飲ませてくれるなら大丈夫大丈夫」
たまたま樹海産の薬草で作っていた毒消し薬を持っていたから難を逃れたのだが、低級毒消し薬だったら後遺症が残ったかもしれない。
「縁起でもありませんよ!」
リヒトはぴしゃりとニゼルに伝えた。冗談であることを願おう。
その後も「フラルゴ」のメンバーから過去に挑んだ迷宮の話を聞き、シキはずっと楽しそうに笑っていた。
エトルーク村から出発して三日後の昼、湿地帯を抜けるとようやく樹木の密度が増した一帯が地平に見え始めた。
地平の彼方に尾根を連ねるのはロワナ山脈であり、険しい山々を越えた向こう側はランダイン帝国だ。
山脈ですら壮大であるが、その手前に蔓延る広大な森林地帯がシンハ樹海だ。
「リヒトさん、このまま街道沿いに進んで、樹海の手前までの地点で本当に大丈夫か?」
荷馬車の外から、馬を寄せて声を掛けてきたのはバルロだ。幌をめくって、リヒトが返事をする。
「大丈夫です。樹海の手前までお願いします!」
「フラルゴ」との賑やかな旅もこれで終わりだ。うたた寝をしていたシキを起こし、挨拶をするように伝える。
湿地帯の土の匂いから一転して樹木の濃い香りが強くなってくる。
ついに街道の終わりにたどり着いた。
荷馬車から、自身とシキの荷物を降ろし、「フラルゴ」の面々に向き直る。
バルロに金貨の入った布袋を手渡し、リヒトはバルロが差し出した書類にサインをした。
これで彼らの護衛の旅も終了だ。
「皆さん、大変お世話になりました。短い期間ではありましたが、シキも得るものが多かったと思います」
「こちらこそ、貴重な経験だったよ。古語詠唱の件は変わらず黙秘しておく。また領都に来ることがあれば俺たちのパーティーを頼ってくれ」
バルロと握手を交わした。次にサンドラがにこりと微笑む。
「リヒトさんの手料理、美味しかったです。西方に行くことがあればサンタレアの街に寄って行って。私の故郷なの」
「ええ、ぜひ。香辛料が手に入ればまたレシピを勉強しておきます、再会したらぜひ振る舞わせてください」
お次はモーガンだ。少しだけ背を屈め、彼の目線に合わせた。
「息災でな。弓を学びたいと思ったらわしを頼ってくれな。そなたの料理が美味くて道中は助かったぞい」
「シキの足でまといにならないように弓術も少し視野に入れてみます……。料理もたくさん召し上がってくれて、ありがとうございました」
その次にニゼルが苦しそうな顔をしているので、リヒトは少し不安になった。
「リヒトさんのお陰で快適な旅だったよ。もーほんと明日からヤッヒの男飯に戻るかと思うと本当に嫌」
「ヤッヒくんにも作れるようなレシピをいくつか渡しておいたので、味の方はニゼルさんからご指導お願いしますね」
リヒトは苦笑を返すが、ニゼルは本気で嫌そうな顔をしていた。ヤッヒがずかずかと歩んできて、
「ニゼルから味の指導とか嫌すぎるッスー! ぜったいリヒトさんのと比べてネチネチ言われるッス……。本当にありがとう、またご飯食べさせてくださいねー!」
「ヤッヒくんは起用だから、味見をしたらちゃんと料理は上達すると思うよ。次の時は振舞ってくださいね」
ぶんぶんとリヒトの手を取り握手をしているヤッヒを蹴飛ばして、アガルタが妖艶に微笑む。
「リヒトさん、楽しかったよ。シキの坊やの魔法で何か行き詰まったことがあれば遠慮なく頼ってきてね。リヒトさんの依頼なら優先的に受けるようにするから」
「ありがとうございます。道中もシキの魔法を見てくださってシキも助かったと思います。もしもの時は頼らせてください」
シキもそれぞれのメンバーと挨拶を交わしていた。全員に頭をがしがしと撫でられ揉みくちゃにされていたが、可愛がられているようで何よりだ。
別れは寂しいが、とても得がたい経験だった。
「皆さん、本当にありがとうございました。帰りの道中もお気をつけて!」
「リヒトさん、シキ、元気で。あと、魔石乱獲の件で警備隊が暫くしたらやってくるとは思うが、それまでは警戒を頼みます」
「はい、注意しておきますね」
バルロが最後に告げてくれた言葉に頷き、馬に彼がすらりと跨るのを見つめた。
シキと共に、荷馬車と馬を駆る後ろ姿を見送る。ずずっと鼻を啜る声がするが、ぽんぽんと肩だけ叩いて慰めた。
「さぁ、シキ。久しぶりの我が家だ、帰ろう」
「うん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます