第39話 古語

 スースの解体作業が終わり、討伐地帯も一通り血の跡を灰で埋められた。

 火の始末も終えたところで、今度は分解された肉塊を村で塩漬けにする作業が待っている。


 塩漬けにされた肉塊は保存が効くので、そのまま領都の商業ギルドが買い取り、領都内の店に流れる予定だ。

 ギルドから依頼された数量は獲得分の五割とのことだが、肉塊の量からみても、たとえ半数を手放したとしてもエトルーク村の村民で残りを分け合うにはかなり充分な量だった。


 ギルドに回す肉と各家庭に回す肉を村民が手分けして分配し、塩漬けの工程を施していく。それらの指揮を執っている老年の人族の男がいた。

 慌ただしい周囲の中で、はたとこちらに目を向けてくれたその老人がバタバタとリヒトとシキのもとに駆けてくる。


 エトルーク村の村長、その人だった。


「顔が見られて良かった、シキ、息災だったか。挨拶が遅れて悪かった」

「村長さん!」


 シキの背丈に足を屈め、目線を合わせて話しかけてきた。そしてリヒトを見やり、深く頭を下げてきた。


「リヒト殿、シキを保護して下さりありがとうございます。村民を守れず、不甲斐ない」

「い、いえ! 頭を上げてください!!」

「孤児院の話にまんまと騙され、きちんと裏を取らなかった私の責任だ。本当に悪かった、ハクジ殿に合わせる顔がない」


 頭を下げ、謝罪の言葉を口にする村長にシキが首を振る。


「村長さん、僕は大丈夫だよ。リヒトさんが助けてくれたし、悪いのはあの商人みたいな人たちだよ」

「……それでも、だ。本当に悪かった、生きていてくれて、こんなにも嬉しかったことは無い、シキが無事でいてくれて良かった」


 村長はシキを抱え上げた。

 そして改めてリヒトに向き直り、シキを抱えている手とは別の手を差し出し、リヒトと握手をした。


「このような挨拶になって申し訳ない、改めて、私がエトルークの村を治めておるダントンと申す。昔は街道の警備隊に居たんだが、如何せん私も勘が鈍ったようだ、悪人をそれと見抜けぬとは」

「一目でそれと見抜くには本当に難しいことです。大陸の末端まで尋問用の魔道具が導入されれば良いのですが……。今回の件でユーハイトに導入されたことが街道の治安に少なからず良い影響を与えることを願います」

「魔道具の件、領主さまより報せが参りました。領都周辺の安全が維持されるよう、こちらとしてもこれまで通り警備隊に頑張ってもらいます」


 村長のダントンに、スースの肉の取引や「フラルゴ」の面々の準備が済んだら村を出て、リヒトの居住しているシンハ樹海へと向かうことを伝えた。

 そしてシキの祖父母宅については鍵の管理をヤムとハッサンの夫妻に任せる旨を伝え、その件についても了承を得ておいた。


 ダントンとの会話が区切りが着いた頃に、村民の男性から呼び出しがかかり、出発の日には挨拶をさせてほしい!と言い残して、ダントンはまた何がしかの事態の収拾に呼ばれて行った。


「魔獣討伐が終わったとはいえ、忙しそうだったね。また出立の際にご挨拶させてもらおう」

「うん」


 村長の背中を見送り、リヒトとシキは一旦宿へと戻ることにした。

 先程の村長もそうだったが、解体に参加していたシキの服が汚れてしまったので、宿の洗い場を貸してもらわなければならない。




 宿屋へ戻ると、店主も解体作業に参加していたようで、一足先に作業に参加した者のために湯殿にお湯の手配をしておいてくれたようだ。

 リヒトたちの他に二組ほど冒険者が泊まっていたので、彼らも今回の騒動に駆り出されていた。


 シキに湯殿を使ってくるように伝え、返り血を浴びることがなかったリヒトは汚れ物を受け取り、宿屋の裏手の洗い場を借りて洗濯をすることにした。


 この場所は昨夜、シキがスースを撃退した場所が近い。既にスースの亡骸は撤去されていたが、焼け焦げた地面の土はシキの魔力の強さを物語っている。


 ざぶざぶと石鹸で汚れた衣服を洗い、干場を借りて乾かす。早朝から解体に駆り出されたため、現在の時刻は真昼を過ぎた頃だ。


 昼食をどうしようかと考えていると、湯浴みを終えたシキが裏手に出てきた。新しい服に着替えてさっぱりしている。


「リヒトさん、洗い物おわった?」

「ああ、乾くまでしばらくかかるけどとりあえず汚れは落としたよ」

「お洗濯ありがとう、……あれ、ヤッヒさん?」


 表の通りからヤッヒらしき若い男が駆けてくるのが見えた。


「リヒトさーん! それにシキくんもー! 広場でスースの丸焼き振舞って貰えるっすよー、よければ一緒に食いましょー!」




 内蔵などが取り除かれた一体のスースだった肉塊が串刺しにされ、広場の真ん中で火に掛けられていた。

 「フラルゴ」と解体に参加した面々に振る舞われるようで、広場は賑わっていた。

 肉の焼ける香ばしい匂いが食欲をそそる。


「血の匂いは駄目だったけど、これは、なんというか空腹に刺さる香りだね……」

「リヒトさん朝見たときは顔色真っ青だったもんねー、バルロさんが心配してた」


 若衆たちが数人がかりで焼けたスースを切り分ける。皿にはこんもりと香草と塩で味付けされたスースの肉が乗せられ、振る舞われた。


 広場の隅の石段に腰掛けたリヒトとシキ、そして丁度「フラルゴ」の面々とも合流できたので、一緒に肉を味わうことにした。


「皆さんお疲れ様でした、あなた方のおかげでご相伴にあずかれます」

「まあまあ、堅苦しいのは無しッスよ、リヒトさん。俺らだけだとあの量の肉は解体出来ないっス、みんなお疲れ様でしたってことで!」


 深々と「フラルゴ」面々に頭を下げるリヒトをヤッヒが止める。そしてリーダーのバルロも頷き、食事を促してくれた。


「村民にも被害が無く終えられて良かった。恵みに感謝を。さぁ、いただこう」


 シキがおそるおそる、と言った様子で香ばしい香りの肉を口に運ぶ。もぐ、と咀嚼して飲み込んだ後に、ぱああ、と顔色が明るくなったことから、とても美味しいという感想が伝わってきた。


 その様子を見ていたニゼルが口いっぱいに肉を頬張りながら、「だから言っただろ、美味いって」と身振り手振りで伝えてくるのを、アガルタが「食べ終わってから喋りな」と窘めていた。


 リヒトも肉を口にした。じゅわりと肉汁がこぼれ落ちるが、それほどしつこくなく、ほろりと口の中で肉がほどけていく。噛み締めると、香草の香りが広がり、二口目、三口目と進みたくなった。


「美味しいね。遭遇した時は、本当に恐ろしかったけど」

「ああ、その件についてはリヒトさんや宿屋の店主に怪我が無くて本当に良かった。シキは何の魔法を使ったんだ?」


 バルロが問う。リヒトは昨夜のことを思い返すが、シキの口から耳慣れない言語が紡がれていた。

 旅の道中、魔道士であるアガルタは火魔法を使う時に、大陸語の呪文を詠唱していたので、あまり魔法に触れたことがないリヒトはそれが基本だと思っていた。


「お師匠様から二種類教わっていて。大陸語と古語の、二つ。古語は理解が難しいけど、始祖の言語に近いから扱えれば威力が増すって、いわれて。昨日使ったのは、何個か覚えたうちの一つだったんだ」


 耳慣れない言葉は古語だったらしい。

 リヒトがへぇ!と感心していると、「フラルゴ」の面々は驚愕の表情を浮かべており、自身の認識とのギャップを感じて、疑問を口にした。


「あの、古語だとなにかマズイんですか?」

「ああ、いや違うんだ。そもそも古語の理解が出来ること事態すごいことなんだ。……アガルタ、リヒトさんに説明してやってくれないか?」


 バルロがアガルタに促すので、リヒトもそちらを伺うと、アガルタは珍しく動揺した顔色で、シキを見つめながら話す。


「魔術の基本は詠唱の内容の理解から入る。じゃないと自身の魔力を練ることができないからね。詠唱の内容のもと、魔力を練って、発動。……ここまでは何となくわかる?」

「説明助かります、そこまでは大丈夫です」

「古語は、なんというか、まず、一般人であればそもそもその音が聴き取れない。大陸外の言語だって、何を言っているかわからないが、言語として音声は拾えるだろう? ……それが古語の場合は音として拾うことも常人には無理なんだ」


 ぽかんとした顔をしてしまったのがバレてしまったのだろう、アガルタにくすりと笑われてしまう。


「リヒトさんの感想もわかるよ、何言ってんだってね。でも説明としてはそれ以上言語化できない。分かりやすく言ったとしても、録音機で録った声を速度を倍にして逆再生した感じ?」


 どんな感じだ?と更に疑問が増したリヒトだが、昨夜のシキの言葉を思い返そうとしても、何の音だったか、どのように口にしていたか全く思い返せなかった。


「……なんとなく、わかる、ような」

「私の師匠も古語を習得しようとしたけどね、そもそも現世の者が本来口にできる音じゃ無いんだ。理の範疇外だから無理、と説明を受けた」


 アガルタが肩を竦める。


「ヒューマ殿、古語も理解できる御仁だったとは。ちなみに、王都の序列一位の魔道士が唯一古語を使って魔法を使うと聞いたことがあるよ」


 王都の序列一位の魔道士ということは、大陸で一番ということを指す。しかも唯一ときた。


 おそるおそる、リヒトはシキを見やる。


「……シキ、ヒューマ殿から何か説明は受けた?」

「……うーんと、普段は使わずに、ここぞと言う時だけ使えって。あと……、古語を使うことは内緒に、って言われて、た、ね」


 リヒトは遠い目をした。脳内のヒューマ殿がほっほっほーシキはしょうがないのぅ!、と朗らかに笑っているのが浮かぶ。


「リヒトさん、俺たちはこの事を墓まで持っていくことにしよう。必要なら念書も一筆認める」


 リーダーのバルロをはじめ、「フラルゴ」面々は一様に青い顔をしていたが、シキに向かい合って告げた。


「シキ、君はこれから先、より一層他者を見極める力を付けなければならない。古語を扱えると知った権力者が居れば、君を手の内にしようと躍起になる。それらから身を守っていかないといけない」

「でも、「フラルゴ」の皆さんは信頼できます」


 シキはおずおずと言った様子で口にする。


「信頼はとても嬉しい。だが、信頼していたとしても、秘密を共有する相手は慎重に見極めることだね」

「……わかりました」

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