第31話 光の道

 ヒューマ邸での宴の夜は賑やかに更けていった。


 多忙に過ごしている領主夫妻も今日ばかりは肩の荷を下ろして、領主騎士団長であるハイデアや関所長官のカルムと、自身の子どもたちの話や最近の王都の学園での話に花を咲かせている。


 同年代の領主騎士団の副団長のマルコフと自警団団長のバッシュはお互いにまだ幼い子どもを育てている父同士、肩を組んで酒を飲み交わしており、早い段階でご機嫌な様子になっていた。


 まだまだ若手の関所副長官のキーネスと自警団副団長のハルツはヤツヒサの手伝いを申し出ていたが、ヤツヒサにやんわりと断られ今日の宴の席ばかりは気にせずに食べて飲んで、とお酌や給仕をされる側に回っていた。


 リヒトとシキはというと賑やかなその席を眺めながら、二人でゆっくりといつもより豪華な料理の数々に舌鼓を打っていた。


 リヒトとシキの席にヤツヒサがやってきて、汁物の椀を置いていく。


「ヤツヒサさん、本当に手伝わなくていいのですか?」

「ええ、私もあともう一品配膳しましたら、お席に参加しますので。気にしないで、料理を召し上がってくださいね」

「ヤツヒサさん、今日のお料理もおいしいです」

「シキ様、ありがとうございます。腕を振るった甲斐がございました」


 ヤツヒサ、と次はヒューマに呼ばれたヤツヒサはさささっと主人の側に近寄って行った。だがどうやら杯を持たされたのはヤツヒサの方で、ヒューマがお酌をしながら、もう席についたらどうじゃ、と座らせようとしていた。


 宴の席は次第に盛り上がり、大人たちの酒がどんどん進む中、領主婦人であるマリセルナがすすす、とリヒトとシキの席に歩み寄ってきた。


「リヒトさん、よかったらシキくんに街の明かりを見せてあげたらどうかしら? 新節の夜にしか見れない景色だし、何より少し退屈にさせてしまっているようだから」


 先ほどからシキはお腹が満たされたようで、ネロの父であるバッシュやマルコフ、若手勢のキーネスとハルツとも他愛ない話をしたあと、少しだけそわそわと外を気にかけていたようだった。


 マリセルナにはすべてお見通しだったようで、はっとした顔になり赤面させたシキにふふふとおっとり笑いかけた。


「今日の大人たちはもうダメね、お酒がおいしくて仲間との話も盛り上がってしまっているわ。シキくんにとっては初めてのユーハイトでの新節だし、きれいな景色も見てもらいたいもの。リヒトさん、ぜひ彼を連れ出してあげて」


 リヒトも少しだけこの賑やかな宴会を盛り下げたくなくて、離席のタイミングをどうしようかと悩んでいたところだったので、マリセルナの気遣いがとてもありがたかった。


「マリセルナさん、ありがとうございます。シキ、外に行くかい?」

「うん、提灯の明かり、見てみたい」


 リヒトとシキは夫人に礼を伝え、ヤツヒサにだけそっと外出の旨を耳打ちしてヒューマ邸から出て街へと繰り出すことにした。




 一旦自室に寄って外套を取り出してきた。落葉の季節は終わったとはいえ、夜の街はまだまだ冷え込んでいた。


 白い息を吐きだしながら、ヒューマ邸の敷地の外へと向かう。

 満月の夜ということもあり、青白い月の光も満ち、非常に明るい夜だった。


「わぁ……」


 ヒューマ邸周辺の家々の玄関先に提灯の明かりが連なっていた。


 普段は薄暗い通りも、道しるべのようにふんわりとした橙の明かりが零れ落ち、道や家を照らしている。


「この景色、高いところから見たらとても綺麗なんだろうね。領主城の物見塔も、今日ばかりは絶好の景色だろうな」


 リヒトが明かりの灯された、背の高い領主城の物見塔を指してシキに話しかけた。


 シキはというと、北の森の方とリヒトとを見比べ、何かもごもごと言いたそうにしている。


「シキ?」

「あのね、リヒトさん。少し森に行ってもいい?」






「リヒトさん、これ」

「……これは」


 北区の森の入り口近くの沢に、中央の黄色い筒状花の周囲を白い花弁が囲う花が咲いていた。花は沢周辺に群生しているようだった。


「マトリカリアだね、寒さに強い花だ」

「この花をね、リヒトさんにも見てもらいたかったんだ」

「これを?」

「ヤツヒサさんから教わったんだ。この花の花言葉に『仲直り』って意味もあるんだって」


 くるりとこちらを向いたシキの顔は、少しだけ垂れ下がった眉をしており、ぎゅっと目を瞑って、そのまま勢いよく頭を下げた。


「リヒトさん、あの夜は、ごめんなさい。せっかく、僕のことを考えてくれたのに……言い返してしまって……」

「シキ、それはおあいこだよ。私も、とても大人げなかった」


 リヒトはシキのもとに歩み寄ると、屈みこんでシキと目線を合わせる。下げていた頭を上げるように、シキの頬を両手で挟むように持つ。そうすることでようやくシキはリヒトの方をまっすぐに見てくれた。


「マトリカリアを探してくれたんだよね、ありがとう。この花は私もとても好きな花なんだ。『仲直り』という意味以外にも花言葉があることは教わったかい?」

「リヒトさんと仲直りしたら教えてもらうといいですよ、ってヤツヒサさんが」

「ふふ、ヤツヒサさんらしいね。……『逆境に耐える』という意味もあるんだ。寒さにも負けず、雨風にも耐えて、踏まれたってちゃんと育つ強い花なんだ」


 花の中では小ぶりな愛らしい花なのに、力強い生命力を持った花は、お茶としても美味しく飲めて、薬草としても非常に頼もしい草花だ。


 父と共に王都を離れ、大陸の東端のこのユーハイトにやってきたときに、この花の存在を教えてもらった。


「小さい花なのに、強く生きていてすごいなと思ったんだ。負けてられないなって」


 リヒトは外套のポケットから紙袋を取り出した。先日花屋で見つけて、購入したものだった。


「……考えることが同じすぎて、びっくりしたよ」

「リヒトさん、これは?」


 シキに紙袋を差し出した。とつぜん差し出されたものを、シキは不思議そうに見つめている。


「マトリカリアの種だよ。シキと一緒に、シンハ樹海のあの家で育てたいなって。私とも『仲直り』してくれるかい?」

「……うん、うん!! 僕、育ててみたい……!!」


 シキが破顔する。夜なのに、ひときわ眩しい表情だった。





 しばらく森から街の方の明かりを眺めていたが、ふとシキがいたずらっぽく微笑んで、リヒトに話しかけてきた。


「リヒトさん、ちょっといけないことを思いついたんだけど……」


 こそこそと誰もいないのにシキはリヒトに耳打ちをした。


「何かと思えば……うーん、まぁ、夜だし、ユーハイトの近辺だけにするのと、あんまり長くならないようにすれば、まぁ……」


 レイセルの家からも管理人の家からも少しだけ距離を置いたこの場所は、今の時間ではリヒトとシキの二人しかいなかった。


 木々が開けた場所まで少し移動して、シキはいたずらっぽく笑う。


「爺様にダメって言われてたけど、ダメな理由って目立っちゃうからだよね? こっそりなら、少しだけならいいよね?」

「まぁ、いいか。今日だけは特別だよ!」


 シキはリヒトから少し距離を取ると、目を閉じた。


 淡く光の粒子が舞い、シキは黒竜へと変化した。


 出会ったときに一度だけ見た、美しい一体の竜はリヒトよりも圧倒的に大きい。先ほどまで小さな人型の姿だったシキとは比べ物にならないが、竜の中でもまだまだ小柄な方なのだろうと思う。


「闇に紛れるにはぴったりかもしれないね。さ、私はここで待っているから、上空から眺めておいで」


 リヒトより頭二つほども高い位置にきろりとした双眸の琥珀色の瞳がある。このつぶらな瞳だけは人型のシキと同じような輝き方をしていた。


≪リヒトさん、背中に乗って!≫

「え?」


 竜体の時のシキは念話ができるようで、リヒトの頭の中に直接声が響いてきた。目の前の巨体から、いつものシキの声が聞こえる違和感を感じつつも、突然の提案に驚く。


≪せっかくだから、リヒトさんともこの景色、高いところから見てみたいんだ……だめ?≫


 竜の体でありながら、大きな姿で首をこてんと倒してお伺いのポーズをされてしまう。聞こえる声はいつものシキなので、荘厳な竜の見た目であるにも関わらず、かわいさしか無かった。


「乗って、いいのかい?」

≪うん! 落ちないように羽根の付け根、しっかり持ってもらったら大丈夫だと思う!≫


 うれしそうにシキである黒竜が弾んだ声で返事をし、リヒトに傅く。リヒトはそっとシキの背に跨った。






 しっかりと着込んできたつもりだが、上空は空気が刺すように冷たかった。


 だが。


≪わあ~~~、リヒトさん! 見える!? すごい、すごーい!!≫


 弾んだ声が頭の中に響いてくる。


 眼下に広がるのは、道しるべのように連なる提灯の明かりたちだった。家々を照らし、その数だけ人々の暮らしがあることが明かりによって浮かび上がる。


 美しい南区の港町には海辺にもいくつもの明かりがあった。住宅街や商店の連なる西区と貴族街の東区は対をなすように煌びやかで、中央区の河川沿いには、明かりを眺めに散策をする人々がいるようだった。領主城もいくつも明かりが照らされており、石造りの荘厳な城が闇に浮かび上がっており、さらに神秘さをまとっているようだった。


 街が一つの宝石のようにきらきらと光っている。


 光の道が続いている。


「こんな景色、私も生まれて初めて見たよ」


 一人では見ることができなかった景色が少しだけ滲んで見えてきた。寒さのせいだろうか。


≪リヒトさん、きれいだね≫

「シキ、ありがとう。この景色を見れて、よかった」


 父と二人この地にやってきたことも、植物に興味が沸き薬屋をやり始めたことも、すべてがこの日のためにやってきたことだったのではないかと思えた。


 すべてはシキが樹海にまで逃げ込んできて、それを救ったあの日に続いていた光の道だった。

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