第30話 新節の宴
昔のことや樹海に住むことになった経緯を話したリヒトとシキは、その後少しぎくしゃくとした空気はあったものの、前日よりは幾分か和やかな空気で夕餉の席につくことができた。
ヒューマとヤツヒサは何でもお見通しのようで、特に深くは詮索せず、明日の夜に控えた新節の宴についての話をしてくれた。
明日の午後、領主や東区に住む一部貴族がヒューマに挨拶に来るらしい。
そして夕餉の席はいつもより豪華になるので、リヒトは手伝いを所望された。
朝から大忙しですよ、と何やら多忙なことが嬉しそうなヤツヒサにリヒトは、がんばります、と控えめに返答した。
そして迎えた落葉の季節、最後の日。
リヒトは朝からヤツヒサを手伝い、邸内を掃除して回っていた。もともと綺麗に整えてはいたが、明日からは新しい季節もやってくるため旧節中の汚れは旧節中に落としておくべきだ。
来客もあることから、普段省略させている天井付近の欄間や飾り窓の格子まですべての埃をはらい、掃き清め、仕上げに拭き掃除までやるころには昼餉の時間となってしまっていた。
その間シキはというと、ヒューマの手伝いで水盆で送られてきた手紙の仕分けを任されていた。
返事の急を要するもの、返答不要のもの、どちらでもないものなど、新節に向けた挨拶の手紙が山のように領主城から転送されてきていたのだ。
国内はもちろん、ランダイン帝国やその他の国からも送られてきており、大陸語であればシキも読めるのだが、それ以外の言語で書かれていた場合は、解読未の箱に仕分けていた。
「シキも大陸語以外を学んでもいいかもしれんのう。読み書きは難儀じゃが、話す言葉が大陸語以外が話せると便利じゃよ。ヤツヒサの母国語も難しいが、覚えるのは楽しかったぞい」
「ヤツヒサさんの国の食べ物は美味しいのがいっぱいだったので、少し行ってみたいです……」
「ほほほ。興味がわくのはいいことじゃな。……さてさて次の手紙は――」
トントン、とヒューマの部屋の戸が控えめに叩かれる。
「ヒューマ様、シキ様。昼食の支度ができましたよ」
どうやらヤツヒサが昼食の時間を知らせるべくやってきたようだ。
「シキのおかげでだいぶ仕分けられたわい。あとは返信をしたためていくだけじゃ、ありがとうな」
「少しでもお手伝いできたならよかったです!」
ヒューマとシキは作業をひと段落させ、昼食を取りに向かった。
昼食後、リヒトはヤツヒサの手伝いで夜の客人をお迎えする準備を整えることになった。
普段は見かけないような大きな魚や、彩りの綺麗な野菜たちが並んでいる。
「領主城のお抱え料理人と比べられてしまうので、手を抜けません。リヒト様、よろしければこちらは汁物に入れる野菜ですので、このような飾り切りをお願い致します」
「わかりました!」
橙色の根菜を花を見立てて切っていく。茹でるとより一層橙の赤みが生える野菜なので、器の中が華やかになるだろう。
「ユーハイト滞在中に領主様にお目通りできるとは思ってもいませんでした。ただシキの通行許可証の件ではヒューマ殿にも領主様にも大変お世話になってしまったので、お話しできれば御礼を直接伝えたいですね」
さくさくと小気味よく花型の野菜を作っていくリヒトにヤツヒサは蒸し料理をこしらえながら返事をする。
「本日は領主様としてではなく、ヒューマ様のご友人としてお越しになりますので、お話しできるかと思いますよ。それに、間接的にではありますが、リヒト様のおかげで検問にレイセル様の魔道具が導入されますし、治安維持の面からリヒト様にも御礼を伝えたいと小耳に挟みました」
ふふ、とヤツヒサが笑いかけてくれるが、それに関しては礼を伝える先が違うようだとリヒトは首を振った。
「それはもっぱらレイセルの功績です。でも今日もレイセルはたぶん家で一人でお酒でも飲みながら街の灯りを眺めていることだと思います」
「レイセル様らしいですね。そういえばシキ様はユーハイトでの新節の宴は初めてなのですよね」
「そうですね、初めてかと」
「大人の会食の席はつまらないと感じてしまうかもしれません、シキ様が望まれたら途中で席を立っても構わないかと思いますよ」
宴ではもっぱら料理をつまみながら旧節の話に花を咲かせ、酒を楽しみながら窓から覗く提灯の灯りを楽しむ。子どもにとってはお腹が膨れたらそれで満足かもしれない。
リヒトは苦笑して、ヤツヒサに頷き返した。
「ご挨拶して、夕食をそこそこに頂いたら、シキと二人で街を見てこようと思います」
「外はまだまだ冷えますので、温かい服装でお出かけくださいね」
午後から怒涛の御馳走の準備に奔走したリヒトはすっかりくたくたになってしまっていた。
普段ここまで包丁を握ることも、大人数向けの料理を作ることもないので、てきぱきと作業を割り振って指示してくれたヤツヒサが居なければてんてこまいだったはずだ。
そんなヤツヒサは座敷の配膳や準備に回っているが、ヒューマからそろそろ来客が到着する旨を聞き、シキとともに挨拶に向かうことにした。
見知らぬ大人に会うので少しだけ背筋を伸ばしているシキに、小声で大丈夫だよ、と告げる。
領主一行はリヒトも面識がある。今日やってくる客人というのは、領主とその夫人、領主城騎士団長と副団長、そして自警団団長、副団長、関所長官、副長官といった具合だ。
「関所長官はカルムさんだよ、検問で会ったよね。あと自警団団長のバッシュさんはネロのお父さまだよ」
「知ってる人だ! ネロのお父さんも来るんだ!」
少しだけ安堵した様子のシキにくすりと笑う。
玄関の外ではヒューマが提灯の中のろうそくに火を灯していた。
木の骨組みが木々の枝葉のような細やかな装飾が施されている見事な提灯だった。
ふんわりとした暖かな光が薄暗くなり始めた庭先にこぼれる。
木々のアーチの先から白い小石をざくざくと踏む、数人の足音が聞こえてきた。
「こんばんは、ヒューマさん、良い夜ですね」
「こんばんは、お邪魔致します」
栗色のふんわりとした髪の毛、形のいい髭、澄んだ目をした中年の人族の男と、その男性に寄り添う黒髪をシニョンにした穏やかにほほ笑む人族の女性がヒューマに挨拶をした。
「ローエン、マリセルナ夫人、ようこそ。今日はヤツヒサとリヒトが腕を振るった料理なのでな、楽しんでいっておくれ」
「ご無沙汰しています、またこうしてお会いできてうれしいです」
「リヒトさんもお元気そうで何より。……ああ、そしてきみが、シキくんだね」
領主であるローエン氏はシキのために膝をついて、シキと目線を合わせた。
とつぜん偉い方に跪かれ、あたふたとリヒトの服の裾をぎゅぅと握ってどうにか震える声で挨拶を交わした。
「は、はじめまして……」
「警備の面で不安がらせてしまって申し訳なかったね……、二度と不審者を入領させることが無いようしっかりと目を光らせておくよ」
ローエンは悲しみと後悔を混ぜた表情をしており、ぎゅっとシキの手を両手で包み込んで握手してくれた。
「また君がこの地を踏むときも、安心して過ごせるように尽力しよう」
「あ、ありがとうございます」
ローエンは爵位を持つ貴族ではあるが、領民と対等に話をする思いやりの溢れた領主である。
シキはぱちくりと目を瞬き、ぼんやりとゆっくりと立ち上がったローエンを見上げていた。
領主夫妻はヒューマに案内され、そのまま邸の中へと入っていった。そのほかの客人もそれにならって邸内に入っていく中で、水色の髪をかき上げた快活そうな男がざくざくとシキとリヒトに歩み寄ってきた。
「……君がシキくん? 稽古ではネロが世話になってるみたいだな!」
「あ、ネロのお父さん? こんばんは、はじめまして」
「ネロがよくシキくんの話してくれてさ、会えて嬉しいぜ。よかったら滞在中にでもまたネロと遊んでやってくれよ」
「うん!」
自警団団長であるバッシュはシキの頭を大きな手のひらで撫で、リヒトにも挨拶を交わすと邸内へと向かった。
「こんばんは、カルムさん、入領以来なかなか領内で会えず……しばらくお忙しかったと思いますが、お元気ですか?」
自警団団長らの後ろに関所長官であるカルムが控えていた。
年度末の大仕事を終えてきたようで、少しだけくたびれた顔をしていたが、リヒトと目が合うと、明るく笑いかけてくれた。
「無事に新節が迎えられてよかったよ、リヒトさんもシキくんも無事で何より。盗賊一行の件では迷惑をかけてしまって本当にすまなかったね」
「その件ではいろいろとご配慮くださりありがとうございました。検問も仕組みが見直しされたそうで、仕事を増やしてしまいましたよね」
「いやいや治安維持や防犯の面では必要な措置だったさ、それにレイセル殿の魔道具導入に至った経緯はリヒトさんにあるのでね、改めて御礼を伝えるよ」
「魔道具の件はレイセルに」
「それもそうだ。今度会ったら改めて礼をしておこう」
目線を合わせてカルムと苦笑しあうと、リヒトたちは邸へと入っていった。
街のいたるところで、ろうそくに明かりが灯され、新節の夜が始まっていった。
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