第29話 リヒト

「終戦直後は国内も慌ただしくて、アレスティアは様々な地域に赴いて大地を浄化させては、そこに住まう人々のために光魔法を使い続けたんだ」


 国賓としてやってきたが当初民たちは、疑念を抱かずにはいられなかった。


 ずっと敵国として戦ってきた相手がまた侵略の手を伸ばさないとは限らない。


「疑われても、懸命に大地を整え、人々の傷を癒して周り、光魔法の適正のある者に魔法を教えて回った」


 王国設立からしばらくは慌しい日々だったけれど、次第に国民たちは敵国からやってきた魔道士たちを受け入れ始めたし、国に献身してくれている彼らに尊敬の念を抱き始めた。


 英雄扱いされるまでは長かったけれど、次第に国が豊かになるにつれて疑念は薄れて行った。


「旧国の名を捨てて、相手国から来た魔道士で一番影響力のあったアレスティアが、この国の名前になったんだ」




 国名が変わり、国内の治安が落ち着いてきた頃に、アレスティアへ婚姻の話が持ち上がった。


 本来は当時の国王が妃に迎えたかったようなんだけど、母はそれを辞退して、一人の青年を選んだらしい。


 青年は当時の大臣の息子で、他国での慣れない暮らしを支えるために知恵をさずける教師役をしていたカストルという男だった。


 二人はお互いに信頼し合っており、仲睦まじい姿に民たちも祝福を送った。


 敵国だった国のアレスティアと自国のカストルが結ばれることで、より一層の平和の架け橋になり、生まれる子どもにまで光属性の強大な魔力が望まれた。


 アレスティアの次代にも国に平穏がもたらされる光になるように、とね。


 光の女神とまで称される強大な光魔法を持つアレスティアから生まれるのは、どんな子どもだろうかと、民衆は期待に湧いていた。


「――皮肉なことに、生まれた亜人種の子どもは魔力を持たなかった」

「……リヒトさん、」


 シキの顔がくしゃりと歪んだような気がするが、リヒトは話を続けた。


 次代を期待された子どもが無能であるとわかったときの民衆の落胆は、夫であるカストルを病ませてしまった。


 魔力なしの人族と血を分けてしまったから子どもが無能になった、と。


「この辺りの話は、私は生まれたばかりの頃の話だから推測も混じっているけれど、当時、王都で生まれたあと、比較的すぐにこの東端の領都ユーハイトに父と一緒に拠点を移動したんだ。……アレスティアがそうするように言ったのか、父が離れることを選んだのかはわからないけれど」


 王都の民の落胆や非難をカストルは一身に受け止めてしまったのかもしれない。


 生まれてきた子どもに罪はないと、公務に忙しいアレスティアの元を離れ、父は一人で幼子を育てた。


「私がユーハイトで育った経緯はつまりそういうことなんだ」


 逃げるように移住してきた父子に、ユーハイトの人々はあたたかかった。


 特に既に各国の旅を終えて、ユーハイトを拠点として生活しはじめていたヒューマ殿が居たので、亜人種に対する理解者も多い都市だった。


 私は普通の子どもとして育てられたけど、魔法以外で受け継いだものがあった。


「なんだと思う?」


 突然リヒトから問いかけられ、シキはまごまごと慌てた。


 しばらく考えたが、結局思い至らなかったのか、きょとんと首を傾げている。


「……長寿な点だよ」

「ああ!」


 納得したシキに頷いて、リヒトは話を続けた。




 カストルは最初、自分の子どもは単純に成長が遅いと思っていたが、そうではなかった。


 ヒューマ殿が亜人種の子どもにも分け隔てなく体術や魔法を指南していたから、同じ種族になるレイセルと引き合わせてくれた。


 レイセルも同世代の妖精人族だったから、成長の度合いが近くて、もしかしたら私が長寿種であるかもしれない、と発覚したんだ。


「父はそれから、私と過ごせる短い時間の中で、たくさんのことを教えてくれた。魔法以外のたくさんのことをね」


 植物の名前、国の名前、他国の歴史、星の読み方から季節の数え方、様々な知恵を分けて貰えた。


「でもその中で、私がとてものめり込んだのが、植物や薬草についてだったんだ」


 賓客相手の教師役を任されていただけあって、父の教え方は非常にわかりやすかった。


 理解するまで根気強く噛み砕いて説明をしてくれて、正解すると子どものようにはしゃいで笑いかけてくれた。


 私ががようやく青年の見た目になる頃にはカストルは床に伏すことが多くなっていた。


 亡くなるまで、毎日語りかけてくれた言葉がある。


『最初は君を愛せなかった。愛しい人との子どもで、君に会えるのがとても楽しみだったのに。実際に会って、人族の私の魔力無しを受け継いでしまった君を愛せなかった。


 こんなにも母親の容姿を引き継いで、美しい君をこれまで私はあまりにも酷い扱いをしてしまったね。


 でもユーハイトに来て、良かった。君が薬草を好きになってくれて、私も一緒になって夢中になれた。風邪も治してくれたね、節々の痛みも緩和してくれた、君の知識量の多さには圧倒された。


 魔力が無くとも、こんなにも素晴らしい才能があったのに、それに早く気づけなくて君を蔑ろにしてしまった悪い父親を許して欲しい。


 そして母親のアレスティア様は私を守るために王都から遠ざけてくれたんだ。君を愛していない訳では無い。


 もしもリヒトがこの先会ってもいいと思えたらどうかアレスティア様にその顔を見せておやり。


 慈愛に満ちたあの方のことだから、きっと涙を浮かべて、君を抱きしめてくれることだろう』


「私はこれまで父から授かった知識や、植物の知恵を活かして生きて行きたいと思ったんだ。まあ、国のどこに居ても大きな母の名は聞こえてくるけれど……。


 魔法が使えないことだけを悲観せずに、自分の力で生きて行きたいと思ったから、だから、シンハ樹海のあの森で暮らし始めたんだよ」


 ようやくシキの質問への回答ができた。

 リヒトはお茶を一口飲み込む。


 目線をシキと合わせるのが気まずくて、台の上をそろそろとさ迷わせていたが、ぱたりぱたりと落ちるものに気づいて視線を上げた。


「……シキ、どうして」


 大きな琥珀色の瞳が滲んで、ぼろりとそこから涙が零れていた。


「……リヒトさん、ごめんなさい、僕のこと、嫌な気持ちに、ならなかった……?」

「……え!?」


 嗚咽の合間に喋る言葉を繋げるが、意味が分からなかった。


 何に対しての謝罪なのか。


「僕が……、っ、魔法をつかえる、から、嫌な気持ちに、ならなかった……!?」

「それは違う! それは違うよ、シキ」


 ようやく合点がいき、リヒトは慌てて立ち上がり、シキを抱きしめて頭を撫でた。


 服にじわりと水気が染みる。


 小さな子どもが不安と後悔で震えているのを、腕の中に感じて、何度も違うと否定した。


「私は私として生まれてよかったと、そう思っているんだ。だって、そうでないとユーハイトで暮らすこともできなかったし、レイセルにも、ヒューマ殿にも、ヤツヒサさんやマギユラ、たくさんの人に会えなかった。


 そして、薬の知識があったから、君を助けられた。死にかけていた君を、救えたんだよ。


 私自身が魔法が使えなくたって、別にいいんだ。


 それに君は、君だよ。シキ、君には君のなりたいものになって欲しい、願うのはそれだけだよ」


 泣き止んでほしくて、柔らかい黒髪を撫でた。


 まだしばらく震えていたが、語りかけると次第に落ち着いてきたようで、赤く腫れた目をこちらに向けて、言葉を紡いだ。


「……リヒトさん、やっぱり僕ね――」




□ □ □




「ティア様。お手紙が届きました」


 白色のローブを羽織る神官が一人、にこにことした笑顔で手紙を捧げ持っていた。


「ユーハイトから水盆で届くのは珍しいですね、良い報せだといいのですが」


 水盆は魔道具で、その名の通り水を張った装飾の施された銅製の盆だ。


 遠く離れた場所でも印を刻んだ水盆同士は繋がっており、軽いものであれば転移させることができる。


 王都と主要都市に配置されており、主には王家と領主貴族等がやり取りするために使われる。


 王都の大聖堂にも連絡用で水盆が設置されており、今日は領都ユーハイトからの手紙だった。


 封蝋の印は領主のものではなかった。


「あら、久しいお方だわ」


 アレスティアは部下でもあり、側仕えでもある神官から手紙を受け取ると。


 封筒を裏返し、封蝋の印を見つめて囁く。


「……まぁ、あの子が」


 手紙を読む光の女神は窓から差し込む朝日を受けつつ、やわらかく微笑んでいたが読み進めるうちに次第に口元が震え出した。


 朝焼けの空のような香色の長い髪が揺れ、紫苑の瞳がじわりと涙ぐんだ。


「良い報せでしたか……?」


 神官がおずおずと心配そうな顔で声をかける。


 アレスティアはそっと涙をハンカチで拭い、神官へと向き直り、ふわりと微笑んだ。


 王国建国から神殿に携わってきた彼女の年齢はゆうに二〇〇歳は超えているはずだが、涙ぐんだことで赤く染る目尻や、窓辺の光を受けて佇む姿は可憐な十代の少女のようでもあった。


 妖精族であるアレスティアの容姿は人族からすると、時が止まったように見えた。


「息災のようです、ヒューマ様に感謝しなければ。お返しのお手紙を書きますね、少し朝の礼拝に遅れると、神官長にお伝え願います」

「かしこまりました、伝えておきます」


 神官は一礼すると、アレスティアの居る執務室から辞した。


 一人残されたアレスティアは便箋を机から取り出すと、ペンをインク壺に浸し、迷う素振りを見せつつも、一度筆を進めたら、あとはさらさらと書き進め、手紙をしたためる作業に取り掛かった。

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