第28話 昔話

 街を適当にぶらついてきたリヒトは夕食の支度をするべくヒューマ邸へと戻ってきた。


 まだシキとヤツヒサは戻っていないらしく、昼食の際にヤツヒサが使い切りたいと言っていた食材を調理台に並べた。


 葉物野菜は茹でたあとにだし汁をかけておひたしに。

 根菜のハレ芋は煮るとほくほくとして甘い。マスラ根はそのものの味はあまり引き立たないものの、シャキシャキとした歯触りがいい根菜だ。

 肉と根菜類を使って、ヤツヒサの故郷のミソというもので汁物をつくろうと算段をつける。


 メインの魚は干物を火で炙ったものにするとして、主食のコメをまずは炊くことにした。


 しばらく厄介になっているため、ヒューマ邸の台所の勝手をわかってきたなぁと、自宅とは違う調理器具などを手馴れた様子で使っていく。


 野菜類を井戸水で洗い、包丁で手頃な大きさに切りそろえていく。


 ハレ芋は少し細長い形状なので、皮付きのまま乱切りにして、あく抜きのために水にさらす。


 マスラ根は泥を落とし、髭根を包丁の背で軽く落としたら、斜めに切りに。そしてこちらも水にさらす。


 根菜類を切り終えて、包丁を洗っているところにヤツヒサが帰宅してきたようだった。


「リヒト様、ただいま戻りました。夕飯の用意をしてくださってありがとうございます、ここからは私が承りますね」

「ヤツヒサさん、おかえりなさい。……あの、シキも一緒ですか?」


 手洗い場で手を清め、前掛けをつけていたヤツヒサはおずおずと訊ねるリヒトにふわりと笑いかけた。


「シキ様が部屋でお待ちですよ。良ければ夕食前に少し二人でお話なさってはいかがでしょうか」


 こちらから語らずとも、リヒトとシキの間に流れる微妙な空気を悟ったようで、ヤツヒサは促すようにリヒトの背を押してくれた。


 生きている時間は長いはずなのに、ヤツヒサの他者の機微に敏感な点は勝てそうにもないし、今後も彼を上回れることはないのだろう。


 リヒトはヤツヒサに礼を伝え、調理場を後にした。

 向かうのは、シキの部屋として宛てがわれた客間だ。


 リヒトとシキはそれぞれ一室ずつ、ヒューマ邸の部屋を借りている。


 ヒューマ邸は以前ならば門下生や付き人の部屋として機能していたのだが、ある日を境に門下生を募るのを辞め、付き人もヤツヒサのみとなった。


 ヒューマ曰く、そろそろ引退しようかと思うとる、とのことだが、自警団の男衆をちぎっては投げる姿は健在だ。


 まだまだ力を持て余しているようにも見えるが、長寿種とはいえヒューマも老年という時期を迎えたので、余生を見据えてのことなのかもしれない。


 以前は十数名ほど滞在して賑わっていた邸が静かな様子は、少し寂しい。

 リヒトとシキの滞在を快諾してくれた理由は、隙間を埋めるような目的ももしかしたらあったのかもしれない。


 実際のところはわからないし、恐らくヒューマに訊ねてもはぐらかされてしまうだろうが。




「シキ、いるかい?」


 シキに宛てがわれている部屋の前まで来て、戸をノックした。


 中からカタリ、と椅子の音がしたので室内には居るようだ。


 しばらくの後に、控えめにドアが開けられて、ひょこりとシキの黒髪が隙間から覗く。


「……ご飯?」

「夕飯はもう少しあとなんだ……」

「……うん」


 気まずい。

 だが、圧倒的にシキよりもリヒトの方が年長者なのだ、このまま関係をこじらせてはおきたくない。


 リヒトは息を吸い込むと、一息にシキに告げる。


「シキと少し話をしたくて。私の部屋に来てくれないかい?」






 リヒトはシキに茶を差し出した。

 シキの部屋よりも少しだけ広く、同じ畳の間ではあるが簡易的な手洗い場と調理台のようなスペースがある。


 おそらく薬の調合などを配慮してヒューマがこの部屋を宛がってくれたのだろう。


 明かりを灯して、シキに座るように促した。

 シキの向かいにリヒトも腰掛ける。


「……まず、謝らせてほしい」


 沈黙の降りた二人の空気を破ったのは、リヒトだった。


 シキは俯きがちだった顔を上げた。


「君の、考えをきちんと聞かずに、こちらの言い分ばかりを訴えてしまったことを、謝るよ」

「……リヒトさん」


 すまなかった、と頭を下げたリヒトに、シキが少し腰を浮かせたが、しばらく押し黙ると、今度はシキが言葉を放った。


「リヒトさんが僕のために言ってくれた言葉だって、わかってるよ。でもね、僕……」


 言い淀むシキをまっすぐに見つめながら、言葉を待った。

 何度かあの、とか、うん、とか言いたいことを考えながら話そうとしている。


「あのね、まだ自分がどんな風になりたいかとか、何が向いているのか、わからないんだ。……リヒトさんの言うように、魔法が使えるならそれをきちんと学んだ方がいいっていうことも、わかる。でも、それよりも……」


 じ、っと琥珀色の瞳がリヒトを貫くように見つめ返してきた。


「命を助けてくれたリヒトさんの側にいて、何か力になりたい……、それが僕のいちばんの、答えだよ」

「シキ……」


 いつだったか、リヒト自身もヒューマに言われた言葉を思い出していた。


『将来のことで憂うよりも、目の前のことを懸命にこなすのじゃ。その先に――』


「この先に何があるか、確かに不安だけど、それよりも今、リヒトさんの元で出来ることをやりたいです」


 今、シキは確実に選択をした。

 積み上げた先に、望む自分の姿があることを知っているように思えた。


『――いつの間にか、なりたかった自分の姿になっとるもんじゃ。気付かぬうちに、な』


 脳内のヒューマの輝いた目と、目の前のシキの眼差しは同じもののように思えた。


「シキ、私は君を導いてあげられるほど立派な身分じゃない。……あの樹海での暮らしだって、実際は、逃避みたいなものだったから」

「……リヒトさんは、どうしてシンハ樹海で暮らし始めたの?」


 隠そうとしていた訳では無いけれど、この純粋な子どもの前では少しでも立派な大人の仮面を付けていたかったが、潮時のようだ。


 リヒトはお茶を一口飲むと、昔話を始めた。




 □ □ □




 その昔、アレスティア王国と名前が冠されるよりも前。

 南側の大陸はロワナ山脈を境に北側の大陸と領土を奪い合う戦争をしていた。


 北側の大陸には魔法を使う純血種が多く、南側の大陸には知力が高く戦略を立てるのが上手いものが多かった。


 両者が激しく争い、戦争は長い間続いた。

 大地は枯れ果て、両者も疲れ果てていたが二つの大陸は争いをやめなかった。


 そんなあるとき、両者のそれぞれの民たちが戦争の終わらない世界を嘆き、指導者に抗うために蜂起した。


 両国の指導者は軒並みつるし上げられ、戦争を起こすことで銭を得ていたものたちも一掃された。


 民たちを導いた者たちが新たに王国を築いた。現アレスティア王国とランダイン帝国の創始者たちだ。


 両国は和解の印として、両国の民を数人ずつ差し出し合うことになった。


 目的としては荒れ果てた大地を再建するために、南側からは知力のある賢者たちを数名。

 北側からは魔法を使い文明をさらに発展させるため魔道士が数名。


 それぞれ国賓として持て成し、さらにお互いの国を発展させるためにそれぞれ招いた賢者と魔道士から知恵を授かった。


 国賓たちに対して最初は民たちも、敵国の者と敵視していたが、南側からやってきた賢者たちは新たな作物を伝承させて、飢えから民を救った。

 北側からやってきた魔道士たちは、大地を再生させ、傷ついた人々を癒した。


 それらの活動により国賓はそれぞれの民たちから次第に歓迎されるようになった。


 畏敬の念を込めて、新たな国の創始者たちはお互いの国の名に国賓でも中心人物となった者の名を冠することにした。


 光の女神、アレスティア。

 知恵の賢者、ランダイン。


 それぞれ相手国出身ではあるが、国を大きく支えた創始者たちの一人として、それぞれの国の民たちから崇められた。




 □ □ □




「光の女神……、その人ってたしか大神官の」

「ヒューマ殿から教わっていたかな。妖精族のアレスティア様はこの国の大地を浄化させ、光魔法で人々を癒し、適正のある者を神官として大聖堂に迎え入れ、光魔法を教え続けている人だよ」

「すごい……」

「そうだね、とてつもなく偉大だよ」


 リヒトの笑みが陰るのをシキは見逃さなかった。


「……リヒトさん?」

「……その、光の女神アレスティアは、私の母親なんだ」

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