第8話
岩らしき物が映っている。
その表面に、半透明な液体状の物が付着している。
岩の表面の凹凸に沿って広がっているようで、生物なのか、何かの液体なのか、その判断もつかない。
「これが生き物なの?」
彼女は、半信半疑な面持ちで尋ねた。
「アメーバにしては大きすぎるし…」
マスターは、しばらく、カード端末を操作していたが、おもむろに、画面を見ながら、答えた。
「潜水ロボット艇による深海の底引き網漁が始まってから、さまざまな新種の生物が発見されました。
この生き物も、そのひとつで、網に掛かった岩に付着しているのを、漁師が見つけて、生物学者に見せたところ、新種の生物とわかったのです。」
「この写真だけではわからないよ。
いったい、どんな生物なんだ?」
「岩の採れた海底を、潜水ロボット艇で調査した結果、この生き物が、海底の砂の中に、一面に広がって棲息していることがわかったのです。」
「砂の中に?」
「一面にってどれくらい?」
「海底の至るところに。
砂の中に、1枚の薄い膜状になって、広がっています。
もしかしたら、世界中の海底に、いるのかもしれません。」
「1枚の膜?
大きさはどれくらいなの?」
「厚さは、数ミリから数センチです。
広さは、今までに確認された最大のものでは、4平方キロメートルもあります。」
私は、耳を疑った。
「…4平方キロメートル?」
「1匹で?」
「その1匹は、調査した2キロメートル×2キロメートルの範囲の周囲の海底にも、まだ広がっていたので、実際に、どれくらいの大きさがあったのか、わかりません。」
「だとしたら、この星最大の生物かも…」
「結局なんなの?
動物なの?
植物なの?」
「どちらとも…
単細胞の生物が、多数集まって、出来た生き物です。」
「単細胞生物が?」
「どうやって生きてるの?」
「海底に降り積もって、砂の中に染み込んでくる栄養素を取り込んで、生存と繁殖をしています。」
「繁殖ってどうやるの?」
「単細胞生物ですから、細胞分裂するだけです。」
「で、これを食べるわけ?」
彼女は、気がすすまない様子で、訊いた。
「そうですよ。
主にタンパク質が摂れます。」
「栄養はあるかもしれないけど…」
私も、あまり食べたいという気が起きなかった…
「最近の研究では、くっついた細胞同士が、伝達物質を使って、情報のやりとりをしていることがわかったそうです。
もしかしたら、この生き物は、知能や心のようなものを持っているのかもしれません。」
「知能?」
「心…」
「そんな生き物を食べるだなんて、とんでもないわ!!」
「可能性です。
この生き物が、知能や心を持っていることは、まだ、確かめられていません。」
「動物なら、みんな知能や心があると言えるかもしれない。
植物にさえ、心があるという人もいるよ。」
「それは…」
「我々の星は、皆さんの地球に比べて、食料となる生物が、とても少ないのです。
生きていくためには、どんな生物も、食料とする可能性を考えなければなりません。」
彼女は、黙って考えていたが、意を決したように、顔を上げて、虹色の瞳をキラキラさせて、宣言した。
「私は、その生き物は、絶対食べないわ。
他の海産物だけ、お皿に盛り付けるようオーダーしてね。
じゃ、お刺身いただきましょうね!!」
マスターは、海産物の刺身3人前をオーダーした。
ただし、膜状単細胞生物は、彼女のメニューから外して…
「食べたかったら、食べていいのよ。
なにを食べるかなんて、個人の自由なんだから。」
すました顔で、彼女は、私とマスターを見た。
知能や心があるかもしれないから、彼女が絶対食べないと言ったものを食べてしまったら、軽蔑されてしまうだろう…
「僕も食べないよ。
その単細胞生物。」
マスターは、珍しく、落ち着きを無くして、頭を掻いたり、食堂車の天井を見上げたりして、しばらく、悩んでいる様子だったが、フーッとため息をついて、ウェイターに、何事かを告げた。
「私も、その生き物は、メニューから外します。
おふたりにご不快な思いをさせてはいけませんからね。」
しばらくして、3枚の大きなお皿が、テーブルに並べられた。
「いただきます!!」
「いただきます!!」
「いただきます。」
フォークやスプーンで刺身を取って、塩やスパイスやワサビを付けて食べる…
「美味しい!!」
「イカだわ!!
間違いない…」
「タコの歯応え!!」
「エビやシャコはお寿司で食べたいなあ~」
「カニは煮たほうがいいカニ?」
「クラゲってカロリー低そう…」
「ヒトデ…食べないほうがいいかも。」
「ナマコを初めて食べた人尊敬するわ!!」
「巻き貝…はやっぱりつぼ焼きでしょ!!
でも、醤油が無いな…」
「二枚貝…シジミやアサリはお味噌汁に入れたい!!
でも、お味噌汁無いのよね…
ハマグリはつけ焼きがいいな!!
カキは生が最高!!
ちょっと勇気がいるけど…
ホタテの貝柱はお煮付けのほうが食べやすいわね!!」
「チューブワーム…好みの分かれる味だね…」
「ウミウシ…食べないほうがいいかも…」
「ヤツメウナギ…蒲焼きにしたいけど…」
「アナゴもやっぱりお寿司で食べたいなあ~」
「ヤドカリ…エビっぽい味だね?」
「ホヤ…好みの分かれる味ね…」
「ウニはお寿司でないと!!」
「ソコダラ…魚肉練り製品にしたほうがいいかも…」
「サメはやっぱりフカヒレがいいな!!」
「エイは煮物やお味噌汁の具にしたいなあ…」
「ゴチ…は煮付けたほうがいいかも…」
「ヒラメは煮付けでしょ?」
「カレイも煮付けでないと!!」
「タチウオは塩をふって焼いてお醤油!!」
「キンメダイも煮付けがいいな!!」
3人とも、完食した。
「ごちそうさま!!」
「ちょっと好みに合わないものもあったけど、いろいろ食べれて楽しかった!!」
私は、念のため、確かめた。
「マグロやハマチはいないんだね?」
「マグロヤハマチって、どんな生き物ですか?」
「えーと、マグロは、とても大きな赤身の魚。ハマチは、中ぐらいの白身の魚。」
「マグロもハマチも絶滅しちゃったのね…」
「生存域が、分厚い氷になってしまったからね…」
「でも、深海には、いろんな生き物が、生き残ったのね。」
「生物種の多様性だけではなく、生物の数そのものについても、深海には、豊富で、再生可能(サステナブル)な食料資源があるのです。
食料の限られた我々の星にとって、深海は、まさに新天地なのです。」
「どの料理も美味しかったな。」
熱いお茶らしきものを飲みながら、私たちは、周りを見回した。
食堂車の中は、食事を摂る乗客たちで、賑わっている。
「お寿司は無いの?」
え、まだ食べるの?
驚く私を見て、彼女が言った。
「お寿司は別腹よ。」
お寿司は、彼女の大好物なのである。
マスターは、椅子から立ち上がって、私たちの地球風(ふう)に、頭を下げた。
「申し訳ありません。
我々の星には、お寿司はありません。」
「えー、無いの?」
「お米にお酢をつけて作る酢飯が無いのです。」
「お酢は?」
「お酢はありますが…」
「ジャガイモが主食の星だから、酢飯を思いつかなかったのかな?
誰も…」
マスターは、額の汗を拭うような仕草をして、椅子に座った。
「私も、皆さんの地球に行ってから、初めてお寿司を頂いて、こんな美味しいものがなぜ我々の星に無いのだろうと思って、こちらへ戻るたびに、お寿司の紹介をしてまわっているのですが…」
「へぇー…
マスターもお寿司好きなんだ?
だったら、こちらで、寿司バーでも開いたら?」
「お刺身にも寿司ネタになるものがいっぱいあったし、お米とお酢もあるんだから、食材は揃ってるね!!」
「お醤油みたいに地球から輸入しなくても…
あ!!
お醤油が無い!!」
「そうだった!!
お醤油は、許可が要るから、簡単には持って来れないんだね…」
「私は、お寿司は、お醤油無くても、全然平気だけど…
お醤油たっぷり付けて食べる人もいるしね…」
「ワサビはあるのになあ~。
惜しいなあ。」
マスターは、頷きながら、言った。
「そうなんです。
お醤油だけ足りないのです。
それさえあれば、我々の星の食材だけで、お寿司が作れるのです。」
「じゃ、そろそろ、席に戻ろうか?」
「そうね。
もうお腹いっぱい!!」
椅子から立ち上がろうとした私たちに、マスターが、誘いの言葉を掛けた。
「少しお酒はいかがですか?
これから、氷洋を渡る間、しばらく、お休みになられると思うのですが…」
「お酒!!」
「どんなお酒があるの?」
お酒も、彼女の大好物なのである。
「芋酒…
麦芽酒…
米酒…
果実酒…
などです。」
「全部飲んでみたいな!!
ちょっとずつでいいから。」
「芋酒って、サツマイモ?」
「いえ、ジャガイモです。」
「麦芽酒に、炭酸入ってるかな?」
「いえ、入っていません。」
「米酒って清酒?」
「おそらく違うと思います。」
「果実酒って、ワイン?」
「ブドウは、我々の星では、絶滅してしまったのです。」
アルコールさえ入っていれば、酔えるはずだ…
彼女は、虹色の瞳を輝かせて、言った。
「とりあえず、飲んでみましょうね!!」
4本のビンがテーブルに並べられた。
ワイングラス?のようなものに少しずつ入れて
飲んでみる。
まずは、芋酒から。
ほとんど無色透明のお酒だ。
「ジャガイモでお酒作れるのね。」
「サツマイモなら、芋焼酎なんだろうけどね…」
「けっこう強めのお酒ね。
アルコール度数高そう…」
「芋酒は、最も一般的なお酒で、原料のジャガイモが豊富なので、価格も安くて、昔から、家庭でも、よく飲まれているお酒です。」
「お酒飲むと体が暖(あった)まるからね。
雪の星では、とても重要な飲み物なんだろうね。」
「ほんのり甘味があるわ。」
「ジャガイモのデンプンが分解されて、少し甘くなるのです。」
「僕はあんまりお酒に強くないんで、これ以上飲めないな…」
「あら、もうギブアップ?」
「この芋酒はね。
他の種類のお酒は飲むよ!!」
次は、麦芽酒だ。
澄んだ金色のお酒だ。
「泡は立たないのね。
やっぱり…」
「炭酸入れたいなあ~。」
「味は…
ビールだわ!!」
「アルコール度数は、低めだね。
これなら、安心して飲めるなあ~。」
「寒さによく耐える大麦から作ったお酒です。
芋酒に次いでよく飲まれています。」
「炭酸入れることは誰も思いつかなかったのかしら?」
「炭酸…
二酸化炭素ですね?
我々の星では、残念ながら…」
「大麦からお酒を作るってことは、酵母はあるんだよね?」
「酵母で発酵させて、作っています。」
私は、お醤油のことを思い出した。
酵母で、お醤油は作れないだろうか?
お醤油を作るには、麹菌(コウジカビ)が必要だ。
酵母も、カビの1種だ。
酵母がいるのなら、麹菌もいてもおかしくない。
もし、この星で、麹菌を見つけられたら、お醤油が作れる。
「この星で、麹菌を探そうよ。」
「麹菌?」
「それを使って、お醤油を作るんだ。
そうすれば、お寿司も食べられる!!
雪の星の食材だけで!!」
次は、米酒だ。
無色透明のお酒だ。
「清酒とは違うのね。」
「この星には、麹が無いからね。」
「味は…
かなり辛口ね。」
「これは…
アルコール度数高いね!!
お酒に強い人でないと、なかなか楽しめないお酒だね。」
「私は、けっこう好きかも。」
「君はお酒強いから…」
「このお酒は、お米から作ったものですが、原料のお米は、我々の星では、耕作出来る土地がとても限られているので、最も高価なお酒なのです。」
「そうなんだ…
じゃ、これくらいで我慢しとかなきゃ。」
「お代なら、お気になさらないでいいんですよ。
異世界研究所がもちますから。」
「異世界研究所?
そこが、どうして、お代金を払ってくれるの?」
「おふたりは、異世界から来られた客人なのですから、当然、異世界研究所がおもてなし致します。」
「でも、確か、迎賓館に行くって言ってたよね?
そこは?」
「熱キ水出ル国の迎賓館です。
異世界研究所は、熱キ水出ル国が設立したのです。
異世界からの客人は、熱キ水出ル国にとって、とても大切なお客様なのです。」
「そうなんだ…
でも、私たち、ただの一般人よ?
地球の代表でもなんでもないんだけど…」
「もちろん、おふたりの星でのお立場は、よく存じています。
おふたりが、異世界から来られたという事実が、重要なのです。
オーナーの来訪が、文明開化を引き起こしたことからもおわかりいただけるように、異世界からの客人は、我々の世界に、想像し切れないほどの影響…インパクトをもたらすのです。」
「う~ん…
インパクトねぇ…?」
「オーナーさんの大活躍のお陰なのね?
地球から来たってだけで、私たちがこんなに歓迎してもらえるのは…
ホント、ありがたいわ!!」
4本目は、果実酒だ。
少しだけ色のついた、澄んだお酒だ。
「なんの果実かしら…?」
「あ、これは…」
「甘い!!
酸味もあるわ!!」
「もしかして、梅?」
「はい。
梅から作ったお酒です。」
「梅酒!!」
「アルコール度数は高くないね。
僕にも飲めるなあ~。」
「他には無いの?
果実酒。」
「りんごや梨のお酒もありますよ。」
「ぶどう酒…
は無いのよね?」
彼女は、確かめずにはいられないのだろう…
ワインも、大好きなのである。
「残念ながら…」
マスターは、まるで、自分のせいであるかのように、すまなそうに、謝った。
「まぁ、いいわ!!
美味しいお酒たっぷり飲めたから!!」
彼女は、ワイングラス?のお酒を、グッと飲み干した。
そして、ほんのり上気した、ピンク色の頬を染めながら、虹色の瞳をキラキラさせて、言った。
「私、この星が気に入っちゃったわ…
食べ物もお酒も全部美味しいのね!!」
ほろ酔い気分で、席に戻った私たちは、シートを倒して、ブランケットを懸けた。
「はぁ~。
今日は、メチャクチャ楽しかったわ!!
おやすみなさい。」
「ホント、最高に楽しかったね!!
おやすみなさい。」
すぐに、彼女の安らかな寝息が聴こえてきた。
私は、すべきことを思い出そうとした。
オーナーさんに会うこと…
雪の星の生命を巨大噴火から守ること…
雪の星で、麹菌を見つけて、お醤油を作り、雪の星の食材だけで、お寿司を作って、食べること…
あとは…
いちばん大切なことは、彼女を幸せにすること…
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます