第7話
食堂車は、出発直後にもかかわらず、多くの乗客で混雑していた。
「どんな料理があるのかしら?」
テーブルについた彼女が、さっそく、メニューを開いた。
いろんな野菜や肉や海産物や果物などを使った、鮮やかで、美味しそうな、そして、見たこともない、様々な料理の写真が、並んでいる。
「う~ん…」
彼女も、そして、もちろん、私も、雪の星の食べ物を食べるのは、初めてだ。
料理の名前も、説明も、値段も、文字が読めないので、全くわからない…
分厚いメニューを、隅から隅まで見て、それでも悩んでいる、私たちを見かねて、マスターが、助け船を出してくれた。
「おすすめの料理がございますよ。
たぶん、おふたりのお口にも合うと思うのですが…」
マスターは、メニューのページをめくって、ある料理の写真を指差した。
「ジャガイモなどの野菜の煮込みです。」
「ポトフみたいな感じかしら?」
「我々の主食は、ジャガイモなのです。」
「ジャガイモ?」
「64万年前に、この星が凍りついた後、我々が生きて行けるのは、地熱によって暖められた地域だけでした。
そこには、我々と同じように、寒さから逃れて来た、さまざまな生き物たちが、ところ狭しと犇(ひし)めいていました。
最初は、それらの生き物を採るだけで、生きて行けましたが、やがて、採り尽くして、食料が足りなくなって来ました。
狩猟と採集に頼っていたのでは、維持できる人口はわずかでした。
限られた面積の地域で、より多くの人間が生きるためには、植物を植えて育てる必要があったのです。
我々の星では、凍結後、すぐに、農耕と牧畜と養殖が始まったのです。」
「64万年前に?」
「地球…私たちの星だと、たしか、1万年ぐらい前だったかしら?」
「スゴく早くに、農耕牧畜を始めたんだね…」
「そうしなければ、生き延びられなかったのかもしれません。
地熱で暖められた地域の外は、どこも、分厚い氷で覆われて、植物も動物も、ほとんど採れないのです。」
「海の生き物は?
深海魚とかいるんでしょ?」
「凍結後は、海も、分厚い氷で覆われて、海産物は採れなくなったのです。
今では、氷に数百メートルもの深さの穴を開けて、潜水ロボット艇で、深海などの魚介類を採れるのですが…」
「農耕で、何を植えたの?」
「皆さんの地球で言うところの、南アメリカの地熱によって暖められた地域で、最初にジャガイモの栽培が始まったのです。
寒さに強く、水が少なくても育つジャガイモは、我々の星の気候にピッタリなのです。」
「お米や小麦は無いの?」
「お米や小麦も栽培されていますが、地熱によって十分に暖められた、ごく限られた地域でしか育ちません。
温泉の湧き出ている周辺とか…」
「ご飯は?
パンは?
麺類は?」
「ご飯はありますよ。
パンは…文明開化で、つい最近、作られるようになりました。
…
麦から作るナンのようなものや、豆から作るパパドのようなものは、昔からあるのですが…
…
我々は、フワフワにする細菌?が見つけられなかったのです。」
「イースト菌だね。
麺類は?」
「あります。
麦から作るお素麺やうどんやパスタやラーメンや焼そばやインスタント麺などがあります。」
「もうおなかペコペコ!!
じゃ、おすすめのジャガイモの煮込みを食べましょ!!」
マスターは、ウェイターを呼んで、3人前をオーダーした。
出て来た料理は、やはり、ポトフに似ていた。
「美味しい!!」
「ジャガイモがホクホク!!」
「人参、たまねぎ、お豆さんも入ってる!!」
「味付けは塩だけじゃないんだね?」
「スパイスも入っていますよ。」
3人とも、完食した。
「ごちそうさま!!」
「あー美味しかった!!」
「野菜は地球とおんなじね。
お肉はどうかしら?」
「我々の星では、哺乳類や鳥類の肉は、とても貴重なのです。
結婚式などの重要なイベントでしか食べません。」
「牛は?
豚は?
鶏は?」
「牛は、野牛類が動物園でわずかに飼育されているだけです。
豚は、いのししが、やはり動物園にいるだけです。
鶏は…
我々の星にはいません。」
「鶏って、人間が品種改良を続けて、生まれた
生き物だからね…」
「じゃ、卵も無いのね?」
「鳥類の卵は、ほとんど食べられません。」
「野牛しかいないって事は、乳牛もいないから、牛乳も無いんだね…」
「牧畜って言ってたけど、何を飼育してるの?」
「羊です。
羊毛を採るために、羊が主に飼育されたのです。」
「そうなんだ…
じゃ、お肉ってのは…」
「羊肉なんだね?」
「それも、やはり、とても貴重なので、メニューには無いのです。
申し訳ありません。」
「いいわ!!
結婚式の楽しみに取っときましょ!!」
私は、ドキッとした。
「写真にはお肉みたいなのもあるけど…?」
「魚介類の肉なのです。」
「魚介類?」
「野菜に魚介類を加えた煮込みもありますよ。」
「どんな生き物?」
「地熱で暖められた湖や池や川で、魚やエビやカニや貝などを養殖しているのです。」
「魚?
エビ?
カニ?
貝?」
彼女が、虹色の瞳を光らせた。
「魚は、いろんな淡水魚を養殖しています。
エビもカニも貝も、淡水性のものを養殖しています。」
「淡水の魚介類か…
鮎(あゆ)とか?」
「鮎も養殖しています。」
「鮭(さけ)や鱒(ます)は?」
「すみません…
魚介類の名前ですか?
我々の星にはいないようです。」
「海に回遊するものは、凍結後、ほとんど絶滅してしまったのかもしれない…」
「他にどんな魚介類がいるの?」
「うなぎがおすすめです。」
「うなぎ?」
「うなぎも養殖しています。」
「でも、うなぎって、海で繁殖するんでしょ?」
「え?
皆さんの地球では、そうなのですか?」
「そのはずだけど…
だから、養殖も、しらすうなぎを海で採ってから、育ててるのよね?」
「そうだったのですか…
我々の星では、うなぎは、淡水で繁殖するので、凍結後も生き残って、養殖されています。」
「たぶん、凍結後に、海に回遊出来なくなったので、淡水で繁殖するように適応したんじゃないかな?
そうでなかったら、絶滅してたと思う…」
「なるほどね…
ホントは、海で繁殖したかったけど、海が凍ってたから、地熱で暖められた淡水の湖や池や川で、我慢したのね。
エライなあ!!
うなぎさんたち…」
彼女は、虹色の瞳をキラキラさせて、64万年前のうなぎたちをほめたたえた。
「じゃ、次は、うなぎの料理にしましょうね!!」
メニューのページをめくっていたマスターが、手を止めて言った。
「ありました!!」
見ると、尾頭付きのうなぎが、身を開かれて、大きなお皿に載っている。
彼女と私は、うなぎの写真を、穴の開くほど、じっと見つめた。
「蒲焼きかしら?」
「う~ん…」
白くなった身や、焦げあとのある皮を見ると、焼いたもののようだ。
「タレがついてないわね…」
蒲焼きの褐色のタレは見当たらない…
メニューの説明を読みながら、マスターが言った。
「うなぎを焼いたもので、ソースをつけて食べます。」
「ソース?」
「どんな?」
「普通の…
魚介類用のソースです。
おふたりのお口にも合うと思いますよ。」
魚介類用のソース?
醤油のことだろうか…
でも、醤油って、確か…
「見ててもしょうがないわ。
注文しましょ。」
彼女は、手を挙げて、ウェイターを呼び、指を3本立てて見せた。
「ウェイターさん!!
この写真のを3つ!!」
それは、確かにうなぎだった。
大きなお皿にまるまる1匹、身を開かれて載っている。
別の器にソース?が入っている。
「お箸は…?」
彼女は、テーブルを見回した。
お皿と一緒に出て来たのは、フォーク?とスプーン?とナイフ?に似たものだけだ。
「申し訳ありません。
お箸は無いのです。」
マスターは、ナイフとフォークを持って、うなぎを切って見せた。
「こうやって頂きます。」
「お箸は無いの?
どこにも?」
「調理中に使うものはありますが、料理を口に運ぶのには使いません。
私も、皆さんの地球で、お箸を使わせて頂いたことがありますが、とても難しくて…」
「そうかしら?
私たちは、子供の時から使ってるから、なんとも思わないけど…」
私は、スプーンでソースを掬って、少し味を見てみた。
果実などから作られた、甘めのソースのような味がした。
「蒲焼きのタレとは違うなあ…」
彼女も、スプーンでソースを掬って、舌をチロッと出して、舐めた。
「普通のソースみたいね…」
「醤油は無いのかな?」
「醤油も無いのです。
申し訳ありません。」
「醤油が無いの!!
和食作るのが大変ね…」
「我々の星では、麹(こうじ)菌を見つけられなかったのです。
私も、皆さんの地球で、醤油の味を知って、大好きになったので、我々の星でも、なんとかならないかと、考えてはいるのですが…」
「麹が無いってことは、お味噌も無いのね?」
「はい。
味噌もありません。
申し訳ありません。」
他にも、何かが足りない…
私は、ずいぶん前に食べたうなぎの蒲焼きを思い出してみた。
私たちの地球でも、巨大噴火後、うなぎは、とても貴重な食べ物になっているのだ。
「ご飯!!」
私は、思わず叫んでしまった。
マスターは、メニューを見ながら、言った。
「炊いたお米ですね。
単品でオーダー出来ますよ。
追加なさいますか?」
私は、赤面しながら、答えた。
「うん…
頼むよ。」
彼女もご飯をオーダーした。
「あら、これは?」
彼女が、うなぎと一緒に出て来た小さな器の蓋を開けた。
中には、薄緑色のペースト状のものが入っている。
彼女は、匂いを嗅いで、急いでスプーンで掬って、それを舐めた。
「ウッ!!
これは…」
私も、舐めてみた。
とたんに、鼻にツーンと来る強烈な刺激!!
思わず咳き込みながら、私は、彼女と顔を見合わせた。
「ワサビだ!!」
ワサビも、私たちの地球では、とても貴重な調味料となっているのだ。
「なんで…
どこで作ってるの?」
マスターは、ワサビを食べた私たちの反応に、少し驚いたように、彼女と私の顔を見比べながら、答えた。
「熱キ水出ル国で作られています。」
「日本で?
スゴイ!!
私たちの地球とおんなじだわ!!」
「唯一無二の食感を持つワサビは、世界中で珍重されて、いろんな料理に添えられています。
ワサビは、熱キ水出ル国の主要な輸出品のひとつです。」
うなぎ…
ご飯…
ワサビ…
雪の星で、まさか、こんな日本的な料理が食べられるなんて…
「あとは、蒲焼きのタレさえあったらなあ~。」
彼女は、タレへの未練を隠そうとしなかった。
「私たちの地球から、タレだけでも持ってくる訳にはいかないの?」
「皆さんの地球から我々の星への食品の持ち込みには、事前の許可が必要なんです。
食品に、昆虫や微生物などの生物が混入して、我々の星で生き延びて、広まると、元の生態系が変えられてしまう恐れがあるからです。」
「はぁー…
簡単にはいかないのね。」
「ソースも美味しいですよ。
召し上がってみて下さい。」
「そうね!!
じゃ、いただきましょう!!」
「いただきます!!」
恐る恐る、ナイフとフォークでうなぎを切り、一切れをフォークでソースにつけて、ワサビをちょっと付けて食べる…
「美味しい!!」
「ツーンと来た!!」
「ソースも意外と合うじゃない?
甘口だから。」
「うなぎだなあ~」
「ご飯も美味しいわ!!」
3人とも完食した。
「ごちそうさま!!」
「ありがたいなあ~。
うなぎもワサビも、私たちの地球では、なかなか食べられないんだよ。
ホント、久しぶり!!」
「ご満足頂けたようですね。
宜しゅうございました。」
彼女が、虹色の瞳を輝かせて、私に耳打ちした。
「雪の星グルメツアーとかいいかもね!!」
メニューを見ていた私は、わが目を疑った。
丸いお皿に、さまざまな色や形をした海産物?らしきものが載っている。
その中に、丸い吸盤のついた褐色の肉が、何切れも載っている。
「これは…
タコ?」
マスターは、写真を見て、頷いた。
「深海で採れたタコです。
他の海産物も、深海で採れたものです。」
「深海?
どこの?」
「これから私たちが渡る、限リ無キ氷洋…
皆さんの地球で太平洋と呼ばれている海の深海です。」
「タコが採れるってことは、イカも採れるの?」
「イカも採れます。
これがそうですよ。」
マスターは、お皿に載っている、半ば透き通るように見える白っぽい肉を指差した。
彼女は、その肉をじっと見つめた。
「ホント…
イカだわ!!」
「これ、まさか、生(なま)のイカ?」
「そうですよ。
この料理は、みな生の海産物です。」
今日何度目だろう?
彼女と私は、口をあんぐり開けて、顔を見合わせた。
「刺身?」
マスターも、私たちの顔を見比べて、戸惑いながら、訊いた。
「サシミってどういう意味ですか?」
「魚とかの海産物を生で食べる料理だよ。
この料理にスゴイ似てる…」
「なるほど。
メモメモ…」
マスターは、カード端末にメモした。
「やっぱりワサビ付けて食べるの?」
「おっしゃる通りです。
塩やスパイスも付けて食べます。」
「刺身醤油は無いからなあ…」
「他のは何?」
「エビ…
カニ…
シャコ…」
「シャコですって?」
マスターは、構わず続けた。
「クラゲ…
ヒトデ…
ナマコ…」
「ナマコ!!
苦手だなあ…」
「ヒトデって食べられるの?」
マスターは、いさい構わず続けた。
「巻き貝…
二枚貝…
チューブワーム…」
「貝大好き!!」
「チューブワーム食べるのか?」
「チューブワームって?」
「深海の熱水噴出口の辺りに、管のような殻?を作って棲む動物だよ。」
マスターは、一心不乱に続けた。
「ウミウシ…
ヤツメウナギ…
アナゴ…」
「アナゴ来た~!!」
「ウミウシ…
牛とはだいぶ違うなあ…」
マスターは、なにかに取り憑かれたように続けた。
「ヤドカリ…
ホヤ…
ウニ…」
「ウニ!!」
「ヤドカリは食べたことないなあ…」
マスターは、嬉々として続けた。
「ソコダラ…
サメ…
エイ…」
「深海のサメってフカヒレ採れるのかしら?」
「エイもプリプリしてて美味しいね!!」
マスターは、滔々(とうとう)と続けた。
「ゴチ…
ヒラメ…
カレイ…」
「ヒラメとカレイ!!
生き残ってたのね!!」
「区別つきにくいんだよね~」
マスターは、朗々と続けた。
「タチウオ…
キンメダイ…
翻訳不能です。」
「え?」
「翻訳不能?」
マスターは、通訳器のモニターを見た。
「通訳器のメモリーによると、皆さんの地球の言葉に、この生き物の名前が無いのです。」
「どんな生き物?」
マスターは、通訳器のモニターを、私たちに見せた。
「この生き物です。」
そこには…
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