第5話

マスターの先導で、アパートの部屋を出た私たちは、地下都市の通りに出た。


通りは、行き交う人々で賑わっていた。

もふもふの人もいれば、顔や腕や脚などを露にした人もいる。

自転車に乗った人もいる。

通りの真ん中には、車道があって、多くのコンパクトな車が、わずかな車間距離で、電車のように連なりながら、静かに通っている。

地下なのだから、排気ガスの出る車は使われていないのだろう。

天井は、高さが建物の2階ぶんほどで、白い化粧板?で覆われて、岩肌等は全く見えない。

LED?のような照明が、あちこちで光を放って、眩し過ぎず、暗過ぎない、必要十分な光で、通りを満たしている。

通りの両側には、お店や、住宅や、会社らしきスペースが、隙間無く、並んでいる。

多くのスペースの2階部分には、ベランダと窓があって、ほとんどが住居スペースになっているようだ。

ほとんどのスペースに、独立した屋根は無く、通りの天井と境目無く繋がっている。

所々に、こじんまりした公園や、駐車場が見える。

公園には、ここぞとばかりに、様々な植物が植えられている。


時たま、そよ風が吹いて来る。

空気は清浄で、微かに、キンモクセイのような香りがした。


通りを歩きながら、マスターは、話を続けた。


「別の宇宙の発見とオーナーの到来は、この星に、文字通り、文明開化をもたらしたのです。」


初めて見るものばかりの、異世界の街並に、まわりをキョロキョロ見回して、目を丸くしながら、彼女は、尋ねた。


「でも、なんでかしら?

この星では、そんな大騒ぎになったのに、地球では、全く知られていないのよ。

別の宇宙がある事が…」


それは、私もずっと疑問に思っていた。

別の宇宙や雪の星の事を、ネットでいくら探しても、何も出て来ないのだ。


ヒットするのは、マルチバースなどについてのさまざまな仮説と、喫茶店『無限分岐宇宙』の情報ぐらいだ。

そして、もちろん、『無限分岐宇宙』が、別の宇宙に繋がっている事は、どこにも書かれていない。

雪の星のもふもふの人たちの事も…


「地球では、別の宇宙の事は、情報規制されているのです。」


マスターは、答えた。


「なんでよ?」

彼女が、訊いた。

「別の宇宙の発見を伝えると、社会にどれほど大きなショックを与えるか、予測しきれないので、地球政府が、秘密にしているのです。」

「雪の星の事を知っても、私たちは、べつに、ショックなんか受けなかったわよ?

もちろん、スッゴく驚きはしたけれど…」


私も、納得が行かなかった。


「別の宇宙の発見は、人類の歴史から見ても、間違いなく、最も大きな発見だよ。

別の宇宙で、全く別の人生を生きている自分が、たぶん、無数に存在すると、無理無く、信じられるようになるのだから。

人間の世界観や人生観を、根底から変えてしまうほどの、大発見だよ。

そんな大切な事を、秘密にしておくなんて…」


マスターは、足を止めて、私を振り返った。


「発見が、あまりにも大き過ぎるのです。

何もかもが、変わってしまうかもしれない…

良い方に変わる事もあるでしょう。

しかし、悪い方に変わる事もあるはずです。

それが、懸念されているのです。」

「雪の星では、文明開化が起きて、上手くいったんだから…

地球もそうすればいいのに…」

「雪の星の…統治者?は、情報規制しなかったのか?」


私は、言葉を選びながら、訊いた。


「発見当初は、もちろん、そうしたのです。

ところが、オーナーが…

人目も憚らず、どこにでもズンズン行ってしまうものですから…

オーナーのお姿や、別の宇宙から来たとおっしゃったインタビューの映像が、テレビなどのマスコミで、あっという間に広まってしまったのです。」

「なある!!

そういう訳ね!!」


ニコニコしながら、彼女は、納得したように頷(うなず)いた。


マスターは、小さな駐車場に停められた1台の車に近付いた。


「ここから、車に乗って行きましょう。」

「わぁ!!

カワイイ車!!」


彼女は、ピンク色の丸っこいデザインの車を見て、はしゃいだ。


「どこへ行くんだ?」

私は、訊いた。

「駅まで。

大陸間鉄道の駅です。

そこから、迎賓館のある、熱キ水出ル国(あつきみずいづるくに)に行きます。」


彼女と私は、顔を見合わせた。


「大陸間…鉄道?」

「熱きミルクの国?」


マスターは、クスリともせず、そして、もちろん、毛に覆われているので、ニコリとしたかどうかもわからない顔のまま、私の言い間違いを訂正した。


「熱キ水出ル国です。

皆さんの世界では、日本と呼ばれている地域です。」


彼女と私は、またまた、顔を見合わせた。


「日本?!」

「熱キ水って…温泉の事か?!」


車の運転席?に乗り込みながら、マスターは、私たちをたしなめた。


「お話は、車の中でも出来ますよ。

おふたりは、後ろのお席にお乗り下さい。」


私たちは、言われるままに、並んで、車の後部座席に座った。

車は、コンパクトだが、中には、十分な広さがあった。


マスターは、運転席?のディスプレイをタッチして、言った。


「出発します。」


微かなモーター?の唸りをあげて、車は走り出した。


運転席?には、ハンドルやペダルやコントローラーのような物は見当たらない。


「自動運転なのね!!」

彼女は、言った。


車は、駐車場を出て、車道に入った。

滑らかに加速して、先行車に近付き、わずかな車間距離で、先行車とシンクロして、巡行を始めた。


窓の外を流れる地下都市の景色を眺めながら、私は訊いた。


「大陸間鉄道の駅に行くって言ってたけど…

それに乗って、日本…えーと、熱キ水出ル国?に行くんだよね?

じゃ、ここは、どこなんだ?」

「私たちは、ジャパンシェルターにある『無限分岐宇宙』から来たのよ。

ここは、日本じゃなかったの?」

「ここは、黄色キ大地ノ国(きいろきだいちのくに)です。

皆さんの世界では、アメリカと呼ばれている地域にあります。」


彼女と私は、またまた、顔を見合わせた。


「アメリカ!!」

「黄色…期待以上の国?」


マスターは、前を向いたまま、私の言い間違いを訂正した。


「黄色キ大地ノ国です。

ここは、皆さんの世界では、北アメリカのイエローストーン火山のある辺りです。」


私は、座席から飛び上がった。


「イエローストーン?!」


彼女も、叫んだ。


「嫌ぁーっ!!」


マスターは、振り返って、私たちをなだめた。


「落ち着いて下さい。

ここでは、皆さんの世界で起きた巨大噴火は、まだ起きていません。」


私たちの地球では…


イエローストーン火山の巨大噴火で、アメリカは壊滅した。

世界中に、火山灰が降り注いだ。

生物種の多くが絶滅した。

人類の多くが、火山灰で死んだ。

太陽光が遮られ、地球は寒冷化した。

生き残った人類も、寒さと、食糧難のために、絶滅の瀬戸際に追いやられた。

あるものは、地中に逃れた。

あるものは、街を気密ドームで覆った。

あるものは、船を住み処(すみか)として、海をさ迷った。

あるものは、海底都市を建設した。

あるものは、月に移り住んだ。


そして、私たちは...別の宇宙に来た。

でも、そこにも、火山は存在するのだった。


「火山の無い…

災害の無い世界って無いのかしら?

地震も無い…

津波も無い…

台風も無い…」


彼女は、震えながら、マスターに訊いた。


見ると、虹色の瞳に、いっぱい泪を浮かべている…


私は、思わず、彼女の肩を抱いて、引き寄せた。


彼女も、私に身を寄せて、私の胸に顔を埋めた。


彼女の髪の毛が、私の唇に触れた。


私は、思わず、彼女の髪にキスをした。


そして、彼女を、強く抱き締めた。


全ては、自動的だった。


いつもなら、どんな質問にもすぐに答えるマスターが、その質問には、何も答えなかった。


災害の無い世界?


もし、そんな世界があるとしたら、それは、もはや、この世とは言えないだろう。


無限に分岐する宇宙のどれを選んでも、地球は、災害から逃れる事は出来ないだろう。


雪の星でも、いずれ、イエローストーン火山が噴火するはずだ。

惑星内部の構成物質の何らかの状態の違いで、噴火のタイミングが少しずれているだけだろう。


この宇宙で、災害が無くなるとしたら、それは、宇宙が永遠に膨張を続けて、宇宙全体が冷えきって、どんな災害も起こすエネルギーが無くなった、はるか未来の事だろう。


もし、この宇宙が、収縮に転じる宇宙なら、ビッグクランチで宇宙が消滅するその時まで、災害は無くならないだろう。


人間に出来るのは、災害による被害を減らす事だけだ。


彼女は、言った。


「このままじゃ、私たちの世界と同じような大災害が起きてしまうわ。」


私たちは、きつく抱き合って、誓い合った。


「雪の星の人たちを、生き物たちを、救わなきゃ。」


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