第4話


こんな人生では、彼女は、満足しないだろう。


やり直さなければならない。


別の物語があったはずだ。





「ここから雪の星に行けるんだね?」

何となく、危ない気がしたので、部屋に体を入れないようにしながら、私は訊いた。

「この部屋は、雪の星のとある街のアパートの一室です。

ここでは、雪の星が存在する宇宙と、地球が存在する宇宙の時空が、隙間無くつながっています。

生物も、物質も、情報も、全く問題無く、行き来出来ます。」

「隙間なんてなんにも見えないわ!!」


マスターは、部屋に入った。

「さあ、どうぞ。」

私は、唾を飲み込んだ。

マスターは、大丈夫だったから、私も大丈夫だろう…


深呼吸したら、飛び込もう。

息を吸って…


スタスタと、彼女が部屋に入った。

「なんともないわよ。

ホントに別の宇宙なの?」


吐き出した私の息が、まるでため息のように聴こえたのは、たぶん、気のせいだろう。


「もうちょっと、なんか無いのかしら?

めまいがするとか、恍惚となって、失神するとか、神秘的な啓示が降りてくるとか?」

「全く継ぎ目が無いのです。

だからこそ、我々も、あなた方も、自由に行き来出来るのです。

本来は、別の宇宙の住人なのに…」

「なんか、拍子抜けしちゃう。」

彼女は、膨れっ面になった。

「それに、全然寒く無いわよ。

どうして?」

「ここは、地下の街なので、エアコンが効いているのです。」

「もう!!

せっかく、高い防寒着重ね着して来たのに…」

「地上に出れば、寒いですから。

それまで、防寒着は、脱いでいても大丈夫です。」

彼女は、早速、防寒着を脱ぎ始めた。

「何してるの?

早く来なさいよ。」

私も、部屋に入った。

「脱いだ防寒着は、どうすればいいの?

ここに置いといていい?」

「この部屋は、喫茶店の時空とつながっているだけです。

おふたりのお部屋は、迎賓館にご用意しています。

お召し物は、私がお運びします。

ご心配無く。」


迎賓館だって?

こちらでは、地球から来た者は、VIP扱いされるのだろうか…


防寒着を脱ぎなから、私は、部屋を見回した。

アパートの一室と、マスターが言っていたが、私たちが想像するアパートのイメージからは、かけ離れていた…


岩石をくりぬいた様な壁面。

窓はどこにも無い。

壁と床と天井は、境目無くつながり、まるで、何かの生物の体内の様な、半透明な層に覆われている様に見えた。

触れると、ヌルッとした感触が伝わって来そうだ。


「ヘンテコな部屋ねえ。

センス疑っちゃう。」

彼女が、言った。

「ここは誰の部屋なんだ?」

「名も無き一般市民の部屋です。

ここが、別の宇宙の時空とつながっている事が発見されてから、異世界研究所の管理下に入りました。」

「異世界研究所?」

「この現実世界以外のあらゆる世界について研究する研究所です。」

「別の宇宙の事ね?」

「それだけではありません。

存在するかどうか、まだ確かめられていない、全ての世界について、研究を行っています。」

「この部屋が喫茶店とつながっているのは、なぜなんだ?」

「まだわかっていません。

おそらく、自然にそうなったのではなく、何者かが、人工的に、ふたつの時空を繋いだのではないかと考えられています。」


人工的に、だって?


私の知る限り、地球に、そんなテクノロジーは、欠片も無い。


雪の星の住人には、そのような、超絶的なテクノロジーか、あるいは、魔法のような力が、あるのだろうか?


「誰が繋いだの?」

彼女が、訊いた。

「わかりません。

何者が、何の目的で、どうやって、ふたつの時空を繋いだのか、わかりません。」

「人工的に繋いだという証拠は?」

私は、訊いた。

「アパートの壁と、喫茶店の廊下の壁との角度が、ぴったり平行(パラレル)になるように、ふたつの時空が繋がっているのです。

自然に起きた現象とは思えません。」


アパートの壁…

私たちから見ると、ぬるっとした曲面なので、角度がよくわからないのだが…


「あとからそうなるように作ったんじゃないでしょうね?

アパートや喫茶店を...」

彼女が、意地悪な質問をした。

「アパートと喫茶店のほうが先に作られたのです。

喫茶店がいちばん古くて、今から100年以上前に建てられた古民家の一室を、喫茶店に改装して経営されていた、5年ほど前のある日のこと、突然、隣の部屋が、この星に繋がっている事が発見されたのです。」

「何で喫茶店にしたの?」

「それは、オーナーにお尋ね下さい。」

「オーナー?」

「喫茶店『無限分岐宇宙』のオーナーです。」

「え、あなたじゃないの?」


彼女は、目を丸くして、マスターに詰め寄った。

毛むくじゃらなマスターは、タジタジとなった。


「私は、オーナーに連れられて、皆さんの世界に来てから、『無限分岐宇宙』のマスターにならないかと言われまして…」

「へぇー

そうだったんだ。

オーナーってどんな人?」

「妙齢の御婦人でございます。

お会いされた事がございませんでしたか?」

「無いわよ?

だいたい、今まで、あなたが『無限分岐宇宙』のオーナーだと思ってたんだもの。」

「ネットで見れないかな?

オーナーさんのプロフィール。」


VRにアクセスしながら、私は訊いた。

しかし、ネットには繋がらなかった。


「あ、そうか、ここは地球じゃなかったんだ…」


私は、頭を掻いた。


「我々の星には、皆さんの地球のような、コンピューターネットワークやVRは、まだ、広まっていないのです。

情報処理テクノロジーの分野については、皆さんの地球のほうが、我々よりも、遥かに先行されています。」


雪の星では、地球のネットが使えない事は、わかっていたのだが…

長年の習慣で…


「オーナーさんは、こちらに来た事があるの?」

「もちろんです。

地球人でいちばん最初に雪の星に来られたのですから。」

「えぇ?

じゃ、ふたつの宇宙が繋がっているのを発見したのも、オーナーさんなの?」

「はい。

通り道を最初に発見したのは、オーナーです。

そのあと、雪の星の側から、通り道を発見したのが、こちらのアパートの住人です。

ある朝、目が覚めると、部屋の一面に、見たこともない壁とドアがあって、ドアが廊下に繋がっていたのです。

その住人は、何の気もなしに、その廊下に入って、また、自分の部屋に戻りました。」

「その住人てどんな人?」

「ごく普通のサラリーマンです。

食料生産会社で勤務されています。」

「オーナーさんはその人に会ったの?」

「ある日、廊下に住人がいるのを見て、悲鳴をあげられたそうです。」

「そりゃそうよね。

住人さんももふもふなんでしょ?」

「もふもふです。

少し濃いめのブラウンの…」

「ブラウン?

白だけじゃないの?」

彼女は、目を丸くした。

「いろんな色がありますよ。

最近では、カラーリングも流行って来ています。」

「ブラウンのもふもふだと、たぶん、熊さんみたいに見えたでしょうね?」

「オーナーは、最初、110番されたりしたのですが、相手がけだものではない事がわかると、(毛だらけですが…)雪の星と地球を自由に行き来する事をお許し下さったのです。」

「最初は、言葉を交わすのも大変だったでしょうね?」

「我々の星の自動通訳器が、すぐに皆さんの言葉を覚えましたから。」

マスターは、首?のあたりに掛けた通訳器を、白い毛から出して見せた。

「オーナーさんも通訳器で雪の星の人々と話せるようになったの?」

「はい。

足しげくこちらに通われて、ふたつの世界の橋渡しをされたのです。

おかげで、ふたつの世界は、遭遇以来、ずっと、友好な関係を維持しています。」


彼女は、虹色の瞳を輝かせて、言った。


「オーナーさんが、地球人の代表の役割を担ってくれたのね!!」



オーナーさんに会いたい。

会って、いろんな話をしたい。

そうすれば、これからどうすればいいか、わかるような気がする…


「オーナーさんに会うには、どうすればいいんだい?」

「オーナーは、自由気ままに独り暮らしを謳歌されているのです。

ただ、なんと言いますか…

若干、神出鬼没なところがございまして、今、どこにいらっしゃるのか、地球にいらっしゃるのか、雪の星にいらっしゃるのか、それさえもわからないのです。」

「連絡先はわかるでしょ?

オープンIDとか…」

「こちらからは、余程の事がない限り、連絡しないように言われておりまして…」


驚いたフグのように、彼女は、頬を膨らませて、口をツンと尖らせた。


「余程の事って、どんな事よ?

私たちが会いたがってるぐらいじゃダメって事?」

「オーナーに会いたがる雪の星の住人は、とても多いのです。

なにしろ、ふたつの世界の仲を取り持って、互いに助け合えるようにした、大立役者なのですから。」

「オーナーさんは、超有名人なんだね。」

「雪の星の人々は、ふたつの世界が繋がっている事をみんな知ってるの?」

「みんな知っています。

発見後すぐに、オーナーが、こちらのマスコミに登場して、別の宇宙が存在する事を、身をもって証明したのです。」


ちょっとためらってから、意を決して、私は尋ねた。


「前から訊こうと思ってたんだけど…

君たちから見て、私たち地球人は、どんな風に見えるのかな?

君たちに比べると、毛が少ししか生えてないわけだけれど…」


マスターは、少し言いよどんで、おそらく目の辺りに生えている白い毛を、かき分ける様にして、こちらを見た。


「赤ちゃん。」

「え?」

「生まれたばかりの嬰児に、似ています。」

「どういうこと?」

「我々も、生まれた直後は、皆さんのお子さん達と変わりないのです。

生まれて1日も経たないうちに、全身の毛が伸び始めて、生後3日もすると、身体中が、長い柔らかな毛で被われるのです。」

「星が、すごく寒冷化したから、進化したのね…

寒さに負けないように…」

「赤ん坊の頃は、私たちとおんなじなのか!!」

「そうです。

皆さんは、赤ちゃんに見えます。

ただ、とても背の高い、大柄な赤ちゃんに…」

「じゃ、初めて地球人、つまり、オーナーさんを見た時は…」

「もちろん、見た者は誰もが、驚きました。

ただ、いちばん驚いたのは、オーナーのお召し物でした。」

「お召し物?

服ってこと?」

「我々も、極寒の地上に出る時は、防寒着を着ます。

しかし、暖かい地下の街に戻ると、服は必要ないので、皆さんが言われるところの、いわゆる、裸の状態になります。」

「マスターは、いっつもスッポンポンよね!!」


彼女は、なぜだか、嬉しそうに、マスターの肩の辺りを軽く叩いた。


少しばつがわるそうに、マスターは、体を丸めながら、答えた。

「我々の衣服とは、つまり、防寒着の事なのです。

ところが、オーナーは...」

「どんな服を着てたの?」

「おみ脚の素肌がとてもよく見えるお姿で…

ショートパンツ?

ミニスカート?

というのでしょうか?

正直、私も、おみ脚のほうに気を取られて、どちらを履かれていたのか、覚えてないのですが…

とても刺激的なお姿で…」

「うはぁ!

オーナーさん!!

スゴイ!!」

「我々は、生まれてこのかた、女性の素肌なんて見たことないですから…」

「女性も、全身毛むくじゃらなのよね?」

「そうですよ。

もちろん、脚も、生まれてすぐに毛に被われて、見えなくなるのです。

一生…」

「じゃ、君たちは…

君たちのうちの男性たちは、オーナーさんを見て、初めて、女性の素肌を見たんだね?」

「そうなのです!!

本当に、驚きましたよ。

もちろん、おみ脚だけではありません。

うるうるのつぶらな瞳も…

真っ赤で魅惑的な唇も…

鼻筋の通った美しいお鼻も...

凛々しい眉も…

妖精のようなお耳も…

ふくよかな胸も…

オーナーを見た男たちは、皆、激しく心を揺さぶられていました。

寒冷化以来、何十万年もの間、眠っていた本能が、突如、目を覚ましたのですから。」

「寒冷化してからは、女性も、男性も、お互いの体を見れなくなってたのね?

なんだか、可哀想…

雪の星の人たちが…」

「皆、わけもわからず、興奮して…

テレビに映されたオーナーのお姿を見て、世界中が、大騒ぎになりました。」

「雪の星の男たちは、みんなオーナーさんの虜って訳だね?」

「男たちだけではありません。

女性たちも、オーナーの姿を見て、激しいショックを受けました。

そして、オーナーに憧れて、オーナーと同じような姿になろうとする女性たちまで現れました。」

「オーナーさんと同じようにって、どうやって?」

「体のいろんな部位のヘアを、剃ったり、抜いたりして、素肌を人目にさらすようになったのです。

誇らしげに…」


慣れない手つきで、恐る恐る、生まれて初めて、自分のヘアを剃ろうとしている、雪の星の女性たちを、私は、想像してみた…


彼女は、なぜか、頬を赤らめながら、ため息をついた。


「もう、なんだか、星全体が、ワケわかんないくらい、スゴイ事になっちゃったのね?」

「結婚するカップルが急増して、出生率も大幅に跳ね上がりました。

オーナーがこの星に来て以来、人口は増え続けて、世界総生産額も、毎年、二桁成長を続けています。」

「私も、もっと短いスカートやパンツを持って来ればよかった…

寒いって言うから、ロングしか持って来てないわ!!」

「今では、こちらのお店でもいろんな衣類を売っていますから…

きっと、気に入られる物が見つかるでしょう。」

「そっか、こちらで買えばいいのね!!

楽しみ!!

見たことない服がいっぱいありそう!!」


ショートパンツ?ミニスカート?

彼女のそんな格好、私は、まだ、見た事無いのに…

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