アンスリウム

「椎名さん。失礼しますね。」


二回程小さくノックの音が響くと同時に声がする。

僕は読んでいた本を傍らの机に置き扉の方を向く

ガラリと開きポニーテールのナースと目が合い、互いに笑い合う。


「おはようございます。横手さん」

「おはよう。椎名さん。検温の時間ですよ」


ナースは体温計を僕の脇に当てながら優しい声を出す。

耳もとの透明のピアスが太陽に反射し、少し眩しくて目を閉じた。

すると、昨日の彼女の笑顔が脳裏に浮かぶ


「あ、そうだ。昨日、春野結衣っていう女の子が間違えて部屋に来たんですけど、彼女の部屋聞きそびれちゃって……。ここから近い部屋なんですか?」


僕が目を開けて問うとナースは体温計を見ながら少し考えて言葉を発した。


「えーっとね……。ここが、二〇一でしょ?彼女は確か一〇一じゃなかったかな……。彼女、確か……」

「肺炎、でしたよね?」


僕はふんふんと頷きナースの声を遮るようにそう伝えれば眼前のポニーテールが揺れた。

目が合い笑いかけられる。


「そうよ。でも、行かないでくださいね?まだ傷も治って無くて動けないんだから」


腑に落ちないなんて言ったって仕方がない、とわかっているから少し間をあけて短く返事をする。

まぁ、治ったら行くんだけど、ね。


「熱はないですね、何かあったら呼んでくださいね」


ナースはそう告げ、立ち上がる。

ポニーテールをゆらゆらとさせながら部屋を出た。

再び部屋に静寂が戻る。

ふと、外に視線をやり太陽を眺めた。

僕にも外で光を浴びて暮らしていた時間があったのだろうか。

僕は一体、どういう人間だったのだろうか。

そんな、取り留めのないことを考えてしまう。


「何を見ているの?朔くん」


背後から声がして慌てて振り返れば一緒になって空を仰ぐ彼女がいた。


「一体、いつの間に……?音なんかしなかったじゃないか。」

「驚かそうと思って!」


腰に手を当てニヤニヤと笑う姿を余りにも可愛くて僕が思わず笑みが漏れた。

可愛い、本当に可愛い。

本当に僕ら初対面なのか?と、疑ってしまうぐらいには見つめているだけで舞い上がってしまう。

入院っていいな。なんて所まで考えて、思考を止めた。

いや、冷静になれ、僕。良くないに決まっているだろう。


「ふふっ、」


漏れた笑いに吊られ彼女を見上げる

口を抑えてははは、と笑う姿に首を傾げた


「だって、笑ったり、難しい顔したり、忙しいな、って。」


笑いに釣られて僕も声を上げて笑った

二人でお腹が痛くなるほど笑う。


「本当に、変わらないんだね。」

「え、なんて?」


僕は笑い過ぎて涙を拭っていたせいで彼女がなんて言って、どんな顔をしているか見られなかった。


「いいの!ねぇ、しっかりと自己紹介させてよ!私のこともっと知って欲しいの!」

「ふふ。好きな食べ物は?」


冗談めかして笑えば彼女は嬉しそうに口を開く


「ケーキ!」

「なら、好きな色は?」

「んー……。水色!」

「嫌いな食べ物なんてのは?ある?」

「ないよ!好きなものしかないの!」

「君、なんでも食べそうだもんね……」


良い意味でね。と付け足せば頬を膨らました彼女と目が合った。

ふわりと風が吹き彼女の髪が揺れる

こんな時間がいつまでも続けばいい。

そうしたら嫌なことなんて全て無かったことになる。

……嫌なこと?

僕は入院中に嫌なことなんてあっただろうか?

ツキン、ツキン、と嫌な頭痛がする。

頭が……痛い……。

ひときわ強い風が吹き視線が外に連れ出される。

頭に手を添えたまま太陽を眺めた。


「さ……。さ……く。朔!大丈夫なの?」


声に驚き慌てて主を見ればそれは彼女ではなく……


「母……さん?」


僕がそう呼べば安心したようにそうよ、と声を出す


「あれ?結衣は……?」

「……結衣……?……。あ、あぁ、結衣ちゃんはね?私と入れ替わりで出ていったわよ」


母さんの視線は僕よりも遠いところを眺めたままそう告げる。

綺麗な黒い髪だったのに、僕がこうなってから母さんは白髪が増えてしまった気がする。

欠かさず毎日顔を出して、一時間くらい色々な話をする。

先生には、それが一番いい治療だろうと言われた。

僕はそこまで考え思考を止めた。

……入院してからの母さんしか知らないのに、なぜ僕は黒い髪だったことを知っているんだ……?

“知らない”はずだろう?

再び強い痛みが僕を襲う。

嗚呼、ダメだ。声も出せない。

僕は頭を両手で抑えたまま、視界が暗くなっていくのを受諾した。

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