第9話 ⑰キル(吉)医師 ⑱時の流れは未知数
「キル(吉)医師には、キル(殺す)意思があった…」
こんなダジャレ思い付くなんて私はどうかしてる。
彼はそう思ったに違いない。
深夜、人気のない雨のスクランブル交差点を歩きながら、妻からの連絡を待つ。
ネクタイを緩め、妻が乗り捨てた高級車の鍵を握りしめドアを開け、ずぶ濡れの上着と携帯を助手席に置き、家路を辿る。
雨は走り出すと次第に止んでいく。
あの女をどうしても許しておけないと彼(吉)は思った。
「キル(吉)医師にはキル(殺す)意思があった。あの妻をどうしても」
彼(吉)はこの言葉を口にしても、例え誰かに聞かれても後悔はなかった。
悪天候な日に車を取りに行かせる。
やれやれこんなことは日常だ。
キーがあるだけ彼(吉)にはまだマシだった。
だが夫婦の話題には上らない。
いつだって妻は不機嫌な態度を取るだけでそれに彼(吉)は合わせていた。
それを宥めるなんてできっこない。
いったいお前は何様のつもりなんだ!
彼(吉)は思いの丈をぶちまけ、この怒りが静かなフレンチのテーブルに妻との最期の時を告げた。
だがこの私が妻を殺した訳ではない。
これはそうさ。これは店側の配慮さ。
彼(吉)は安易に考えた。
モルモットのように実験できるというこのレストランの熱い宣伝文句にノせられただけのこと。
彼の中ではそうだった。
シェフは頼まれもしないのにトコトコ歩いて挨拶をしてきた。
口封じに来たか?
「お客様…」
一瞬、身構えるも事態は違った。
シェフはただ名刺を渡しに来ただけだった。
「都築夏彦」
30代前半のまだ若いシェフだった。
「生きるか死ぬかの料理はとてもスリルに満ちていて亡くなられたお客様も大変お喜びになられたことでしょう」
「亡くなられた?今亡くなられたと?」
「そうですよ。皆さんを殺して差し上げました。コースメニューの途中でしたので、些かそこはシェフとしてストレスがありましたが」
「だがこの薬をくれたのはあんたじゃないか?どうしてこの私に?」
「皆さん同じようなお薬をお渡ししました。でも本物はお客様にお渡しするように、と」
「誰に頼まれた?何を企んでる?」
「当店の大株主様でございます。大株主様が仰るに融合です。この私とてひとつの駒に過ぎないと申しておりました。あの、お客様、宜しいでしょうか?只今当店特製のメインディッシュをご用意致します」
このお喋りなシェフの見えないところでレストランの客がドロドロと溶け出し全てが一塊になって集まってゆく。
キル医師は異変に気づく。
しかしシェフは言葉を止めない。
「お客様は彼の島の博士にお仕えするのです…彼の島には私の家族がおります」
じわじわと汗が滲み出るシェフ、やっと事態に気づいた横顔。
「なるほど、現場を知らない実験好きな博士様か」
「何かご様子が…」
一変する周りの状況にハッとするシェフ。
「ちょ…?ちょっと待って下さい!!こんな話聞いていません。これは、どうして!こんな?ことが…」
「これも案外悪くない。さすがは私の良き伴侶…」
「ただのヘッドハンティングの催しだと聞いて、私たちはこのお芝居に参加したまでのことでございます。とても奇妙な話でしたが博士から店の出店に多額の資金提供して頂いた恩がございましたから断れなくてお引き受け致しました」
「私は医師だ…君の謎解きなどに最初から聞く耳などない…」
「ですから当然、他のお客様も、エキストラの方だと…」
「どうでも良かろう。ほうれ、チップだ」
「いったい何を」
「受け取れ。金食い虫め」
「ヴィシソワーズ…それはー」
一滴のスープがシェフのその身を滅ぼした。
「おおーうわあっー」
タワーは、スピの部屋の真ん前でウトウトして急に大声を張り上げた。
「タワー煩い!」
と、タワーを追い払うスピの部屋は脱いで裏返ったジーンズやブラが半開きのドアからあと少しのところで見えそうだった。
ドライヤーやスマホ、何かしらのチューブ類は踏んづけてしまいそうな床に眠っている。
常人以上の相当なトラップだと考えて貰えれば、スピの異常な部分が垣間見ることができることだろう。
「ねえスピ、どうしてたった二日ほどの旅行でこんなに散らかるかな」
タップは呆れる。
「えへへ」
「後で誰に怒られたい?」
「ノーマークはネチっこいし、タワーは超怖いし、ロンは粗ぶれてるし、ジオ姉かな」
「今なんか言った?スピあんたとの同室はお断りだよ」
スピを突き放すロン、少し向こうにタワー。
「あ、タワーが先に行っちゃう」
「ジオ、車椅子はもういいの?」
「ねえ、スピあんたは自分自身のことを気に掛けなさい」
スピはタップがタワーに何か言いたいことでもありそうなので、
「あたしに任せて」
と、胸を張る。
タワーが頻りと首を傾げる。
いや、ちょっと待て、さっきのは夢だったのか、さっきここを出たとき、「お先に」
なんて言ってあたし、出て行ったよな?
そしてあいつがいたんだ。
そして何か呟いている
「確かジオの彼氏だったような…」
タワーが考え事をしているとタラップに差し掛かる。
「0か100だ」
「じゃあ0、あんたに気はないから、それより…」
「ならば去れ!」
「ってさっきもそれ!それよオーそれぇ!」
周囲に知れ渡るような大声だった。
「あのね。スピ、彼女は私と違って幼い頃に両親を失っているの。4人兄弟の長女で親戚の子まで引き取って育っててた。でも一家に立て続けに不幸なことが起きて、タワーの心も病んだの。彼女の怒りが体中を駆け巡り、幾日も幾日も哀しみで目蓋を腫らしたものよ」
「ふんふん」
「それで兵役を志願したの。もう誰も殺させないため、でも…時々、魘されるって聞いていたの」
「でも部屋の前よ」
「だったらドアを閉めたら?」
「そうね。そうする」
「タワーうるさ…あれ静かね」
どうしてだろ?
ドアに鍵が掛かっていた。
あたし、掛けたかな?と首を傾げ、スピはゆっくりドアを開けた。
「……それぇー!」
魘されてるタワー。
そしてパッと目を見開くタワー。
「今すぐジオをここに呼んで!スピ」
「でも部屋は散らかってるし、」
「ダメ、良いスピ?部屋は大目にみるからすぐに、呼ぶのよ。ここに、ジオを今すぐ!」
「分かったわよ。もう、怒鳴らないで」
スマホを手に取り、ジオと話す。
ジオがゆっくりと歩いてスピの部屋に来る。
「片付けね」
ジオは結構こういう片付けが得意だった。
きちんと種類ごとに分けてくれる。
タップは早いだけで大きな袋に何でもギュウギュウに、とても荒っぽいし。
でもどうしてジオなのかな?
スピは頭の片隅で思った。
きっかけはタップだった。この手順でタップにノーマークを連れてこさせ、悪態を吐くロンをあたしが宥め賺し、全員であのタラップを渡りさえすれば良かった。だけど、ロンが揉めだし、スピは忘れ物に気づいて部屋に戻る。
下船しようとしたノーマークに船長は因縁を吹っ掛け、ノーマークはキレて飛び掛かる。
「おおーい!みんなあー!!」
タワーは、今、焦燥感と深い失意にいる。
またあの深い悲しみが襲ってくる。
タワーの勇気も努力も水の泡として消えてしまうのか?
これでタワーの万策も尽きた。
まるで迷路、ノーマークを追ってタップが走り出す。
この選択は正しかったのか?
「まだ分からないのか?0か100だ。お前の選択は100じゃない…」
もう17回目、目覚める度にタワーの頭はいつもフル回転している。
男勝りのタワーの目から涙が落ちそうになる。
いや、まだまだ、このループに閉じ込められているのは、もう、あたしだけじゃない。
みんなはどう?21回目も何の成果もなかった。
タラップを使わずに船から降りることも考えた。
船長に掛け合って港を変えるように頼んだけど閉め出された。
海に飛び込んでも聞こえる。「0か100か」
そして目覚める。
接岸する港はここでいい。
降ろすタラップにも問題はない。
海の中は論外。
タワーは腹を括った。
……
こんなときあたしをいつも助けてくれたのは、みんな。
今、みんなは、辛い想いをしている。
みんなあたしの兄弟姉妹そう、家族よ。
先ず、スピ、タップに手紙を渡そう。
ロンには悪ぶらないでと顔を見て話そう。
ジオありがとう。あなたは命の恩人。
「ノーマーク、船長と仲直りして。タップあたしを船長の所へ」
「あと、誰だっけ、忘れているぞ。みんなに言いたいことあるんだろ?タワー」
「淡青ワンピ」
「ジーンって言うんだ。しばらくあれは男性恐怖症だぜ」……
「1.2.3.4…97.98.99.100。ーーこれでいい」
「ちょっと待って、あんたは?」
その時、その男の姿は既にそこになかった。
「また、消えた…」
タワーが言葉を漏らす。
でもタワーの気持ちはとても晴れやかだった。
「ここがスピの国かあ」
感動するタップ。
でもジオは何かこの先に待ち受ける嫌な気配を誰よりも強く感じていた。
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