二章 人質は

二章 前編

 次の日の朝、俺は変なリズムのノックで目が覚めた。というより起こされた。


 誰だ、こんな朝っぱらから。

 後ろの髪を束ね、素早く顔を洗う。服は……まあ、いいか。


 「はーい」とぼんやり声を出しつつドアノブに手をかけ、あける。すると、そこには白いパフスリーブのワンピースを着た清楚な美少女・ユキハがいた。そして、彼女の白い手には茶色い革袋に包まれたリュート。


「あ」

 完全にリュートのことを忘れていた。

 町の出稼ぎにリュートを持っていき、見知らぬ少女の宅に忘れて帰る。ここ数日の俺ときたら、ボケボケではないか。


 俺はリュートに手を伸ばす。

「あーすみません、ありがとうございま……え?」

 彼女は俺の手からリュートを守るように、自分の方にきゅっと抱き寄せたのだ。


 彼女は俺の方を見て、申し訳なさそうに笑った。

「これ返してほしかったら、お話聞かせてもらっていいですか?」

 これは、人質ということか? いや、人じゃなくて楽器だから楽器質か。


 にしても話とは?

 俺は可笑しな笑いを浮かべる彼女を前にして、引きつった笑顔を浮かべた。


 ● ● ●


「いった!」

 俺はキッチンの下の棚に頭をつっこんでいた。


 いくらリュートを楽器質にとられたと言えど、来客は来客だ。

 という訳で、さっきから紅茶を探しているのだ。茶菓子の捜索は早々に諦めたが、紅茶は市場で賃金がわりに貰ったことがあるのだ。だからずっと探しているのだが、紅茶は見つからない上に頭をぶつけ、あられもない悲鳴を上げるはめになった。


 棚の奥に手をのばす。人差し指に紙袋があたった。それを人差し指と親指でつまんでひっぱり出す。

 出て来たオレンジ色の紙袋の中を覗くと、緑と焦茶がまざった色合いの茶葉が入っていた。


 ただ、紅茶が見つかったはいいが、淹れ方を知らんな、そういえば。そもそもこれ、まだ飲めるのか?


 紙袋の裏を見ると、懇切丁寧なメモがテープでとめてあった。そこには、賞味期限と紅茶の淹れ方。

 そのメモによると、まだまだ美味しく飲めるそうなので、メモの淹れ方に従い、紅茶を入れる。


「はい、どうぞ」

「ずいぶん時間かかりましたね。あ、嫌味じゃないですよ」

 嫌味にしか聞こえないが……。


 彼女は澄ました顔で紅茶を一口飲む。

「ああ、ダージリンですか。私、紅茶の中で一番ダージリンが好きなんです」

 子供の様な無邪気な彼女の笑顔は、どこか磁力に似た、人を惹きつける力があるようだ。


「それなら良かった」

 適当に返事をしつつ、俺もイスに座る。

 同じように紅茶をすする。イマイチ美味しいのか分からなかった。


 紅茶が半分ほどなくなると、彼女はしゃべり始めた。

「それでお話をうかがいたいんですが」

 紅茶のくだりで完全に忘れていた。

 彼女は言いにくそうに何度もうつむいたり前を向いたりを繰り返すと、腹を決めたように俺をしっかり見すえ、口を開いた。


「昨日、うなされたましたよね。その夢の内容を教えて欲しいんです」

 心臓を直に触られたような恐怖。額から押し出されるようににじむ汗の存在に気づくと、なおさら鼓動は速度を増した。


「なんで……なんでそんなこと!」

 気づくと俺は机をこぶしで叩き、怒鳴り声を上げていた。


 ハッと顔を上げる。

 来客の前でみっともない姿を晒してしまった。きっと彼女は固まっているに違いない……いや、違う。

 彼女の目は一切震えていなかった。それどころか、人より大きな黒瞳はしっかりと俺をとらえて離さなかった。


 よくよく考えてみれば、楽器を人質にとり、山奥まで足を運んでまで、見ず知らずの男の夢の内容を聞きにくるなんて、可笑しな話だ。何か事情があるのかもしれない。


 話して……みるか?

 テーブルの上の紅茶に俺の顔が映る。顔色なんか分かるはずもないのに、俺の顔は青ざめて見えた。


 テーブルの上を視線が上滑りしてゆく。

 こそりと彼女の顔をうかがう。力を宿した黒瞳。

 俺のこめかみを冷たい汗が流れた。


「俺が幼い女になって、山小屋に監禁される夢だ」

 のどの奥深くで声が響いた。


「え」

 俺の言葉を聴いたとたん、彼女はただ一言を残し固まった。ただでさえ大きな目がさらに大きく見開かれたまま。


 俺はゆっくりと紅茶に手を伸ば……バン! ティーカップが高い音をたて、中の透き通った赤茶色の液面が大きく揺らいだ。彼女がふいにテーブルにいきおいよく手をつき、立ち上がったのだ。


 あまりの展開に、今度は俺が固まる番だった。

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