一章 後編

 全てを語り終えた彼女は、オレンジの皿にかかった金色のフォークに手を伸ばした。皿の上でフォークを少し動かす。

「12個あるんで、6つずつ食べましょう」

 あのフォークの動きはオレンジを数えていた動きなのか。


 彼女はフォークでオレンジを刺し、口に入れた。

 もう、デザートか。俺はまだ半分も料理を食べていない……、いや、違う。彼女の皿はどれもそこが見えていない。ずいぶん変な食べ方をするものだ。


「そういえば、何歳ですか?」

 オレンジを咀嚼しつつ、彼女は俺に訊いてきた。

「17ですけど」

 パンをちぎって呟くように言うと、彼女は茶目っ気たっぷりに笑った。

「同い年ですねぇ」


 それからまた少しの沈黙がゆっくり下りる。しかし、それは長くは続かなかった。

「あ、さっきずいぶんうなされてましたけど、大丈夫ですか?」


 ぼんやりパンをちぎり続けていた俺は、急にナイフを首につきつけられたような衝撃を感じた。


 うなされていたのか、俺はあの夢に。


 俺が見知らぬ少女になり、山小屋に監禁されている夢。

 あの夢はたまたま見た夢ではない。俺の記憶という方が正しい。記憶が夢となって現れているのだ。

 起きているときにふいに頭に現れる場合もあれば、夢に現れるときもある。というより、夢に関しては毎日現れる。

 しかし、俺は女ではないし、山小屋に監禁されたことなどない。つまり俺の記憶であるが、俺の物ではない。


 俺の記憶ではない証拠はいくらでもあるのだから、わざわざ「俺の記憶である」なんて言わなくても良いのではないかと思うかもしれない。が、この記憶が俺の物だという根拠も存在しているのだ。


 それは、体に感覚が染みついているということだ。

 背中ににじむ汗の不快感も、縄がこすれる痛みも、ぬるい陽光も全部全部覚えている。もちろん、あの恐怖もだ。俺が五感で全て感じとったのだ。


 だから、あの記憶は俺の物でもある。

 簡潔に説明するのであれば、山小屋に監禁された覚えなどないが、あの記憶の中における感覚は全て俺が保有しているということだ。


 たまたまどこかで幼い少女が監禁されているようなシチュエーションを見た訳ではない。第一に俺が犯罪に関わっていないのであれば、そんなシチュエーション、見る機会すらない。


 この謎の記憶はある日、大体五年程前に突然俺の頭に入り込み、脳裏にちらつくようになった。


 俺は怪しまれないように曖昧にうなずく。

「ああ、あれね……」

 気まずい沈黙。

「とりあえず……大丈夫!」


 元気で押し切ってしまった。

 こっそり彼女の顔を窺うと、「本当に?」と言わんばかりの表情が浮かんでいたが、少しすると「そうですか」と呟き、食事に戻った。



 食事は30分とたたずになくなった。

 少女は食器を片付け始め、俺はイスに背中を預け、ゆっくりと力を抜く。


「お金の袋はそっちの棚の上で、リュートは玄関脇に置いてますからね」

 のんびりとした調子で告げる少女の言葉で、俺はやっと金とリュートのことについて思い出した。


 少女が指す方向に順に首を巡らせる。すると、棚の上には地味な麻袋、玄関脇には古びた茶色い革袋につつまれたリュートがたてかけてある。しおれたような黒い紐が綺麗な蝶結びにされているのを見ると、少女が結び直したらしかった。


「あの、そろそろ帰りますか? 失礼かもしれませんが……そもそも家、ありますか?」

「ありますよ」

 あまりに真顔で言われたので、できるだけ丁寧に答えた。


 そういえば、俺が倒れたいきさつを話していない気がする。言わないのはちょいと不親切だと思う。だから俺は、俺が売れない吟遊詩人であることや、ここ数日俺が考え、行動したことを伝えた。


「あー、はははっ」

 乾いた苦笑いを聞き流し、俺は立ち上がる。

「ありがとうございました。この礼はまたどこかでいつかします」

 深く頭を下げ、棚の上の麻袋をポケットにつっこむ。ジャラッという音が重く聴こえた。


 麻袋をポケットの中でもてあそびながら、玄関のはしにそろえられた丈の短いブーツに足をねじ込む。玄関のノブに一度は手をかけたが、俺は思い直して、部屋の方に向き直った。

「ありがとうございました」


 深々と頭を下げた俺に、少女は温かくほほえんだ。俺はそれを見ると、ドアをあけた。


 外は明るく晴れていて、陽はかなり高かった。

 あまりの明るさに目を細める。

 腕を頭の後ろで組むと、俺は情けない猫背のまま家路を辿った。

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