一章 温かな食卓には太陽が香るオレンジを
一章 前編
ふいに俺は目覚めた。何かきっかけがあった訳ではない。ただ充分に寝たから目が覚めた、それだけだ。
体をゆっくりと起こす。
目の前のベッドに目をやって気づいた。これは俺の家ではない。
視線を横にずらす。
茶色い丸テーブルとイス。そしてその奥には湯気のたちこめるキッチンと一人の少女。
背中に真っ直ぐのびたミルクティー色の髪の一部が青い花のバレッタでとめてある。あの花は確か……ダリアか?
その時、ふいに少女の着ている淡いミントグリーンのワンピースの裾が翻った。
「あ、起きました?」
少女がこちらを振り返り、笑顔で俺に訊いた。大きな目の美少女だった。目だけではなく、透き通るような白い肌や筋の通った鼻がその容姿の端麗さを物語っている。
その少女の白い手には黒い
さっき見た夢のワンシーン、視界の端で鋭く光った何かが、一瞬頭に現れ、少女の持つペティナイフと姿がかぶった。背中を一気に悪寒が貫く。
しかし、おののく必要は無かった。少女は左手にペティナイフを持ち、右手に色鮮やかなオレンジを握っていたのだ。
軽く息をつき、尋ねる。
「あの、俺はなんでここにいるんでしょう?」
少女は少し考えるそぶりを見せると、手を叩いた。
「まあ、ご飯食べながらにしましょう」
少女はキッチンに置いてあった食事を丸テーブルに移し始める。地味な焦茶の丸テーブルは一瞬にして華やかな食卓へと様変わりした。
それを見て、やっと俺はえげつない空腹感に苛まれていることに気付く。立ち上がろうとすると、ぐらりと体が傾いた。慌ててベッドの枠を掴み、ゆっくりと丸テーブル脇のイスにつく。
丸テーブルには二人分の豆のスープにパン、ジャムにバター、おそらく羊肉のローストとクレソンのサラダ。テーブルの真ん中には、他の料理を圧倒する勢いの鮮やかなオレンジの果肉。これがあるだけで食卓のイメージはガラリと変わる。
オレンジの盛られた白い皿には金色のフォークが二つ、
少女は軽く手を合わせると、スプーンを手に持った。それを見て、俺も慌ててスプーンを握る。
料理は美味しかった。
少女の見た目がお嬢様然としていたから一抹の不安があったが、そんなことは全然なく、俺よりも上手だった。
それから少しの沈黙。俺はおずおずと切り出した。
「それで、あの……俺には何があったんですか?」
「ああ、ごめんなさい。忘れてました」
忘れてたのか……。脱力していると、少女は一つ咳ばらいをして話し始めた。
「まず最初に、私はユキハです。よろしくお願いします。あなたは?」
「俺は……利隼です」
ぼそぼそと言うと、ユキハと名乗った少女は首を傾げた。
「リハヤ?」
俺は宙に字を書いてみせる。納得したように彼女はうなずいた。
「ああ、それで利隼か」
俺は一つうなずく。彼女はまたゆっくりと話し始めた。
「この間、というか昨日ですね。アルサーラ大聖堂に行ったんです。あ、アルサーラ大聖堂はこの近所の大聖堂です。あの教会のシスターさんは私の知り合いなんですけど、昨日会いに行ったんです。
そしたら、シスターさんはいないのに、一番前で男性が倒れてたんです。それが貴方です」
なんとなく思い出した。
一週間ほど前に金欠になり、市場に出稼ぎに行った俺は、できるだけ金を集めたかったから、極限まで食事を抜いたのだ。しかし肝心の家に帰る途中に、あまりの空腹で倒れそうになり、近くにあったアルサーラ大聖堂で食料をもらおうと思ったらシスターがいなかった。そして、そのまま俺はあっけなく「神の御加護を」とか言いつつぶっ倒れた。
本当にこの一週間、俺は何をやっていたのか。我ながら情けなさ過ぎる。
彼女はまだ続ける。
「そしたら、ちょうどシスターさんが戻って来られて。話をきくと、シスターさんは三日ほど前からお出かけになられていたそうで、倒れている男性、つまり貴方のことは知らないとおっしゃってて。
明らかに飢えて倒れているように見えたので、じゃあ私が起きるまで世話しておきます、と申し出て、今この状況です」
なるほど。非常に分かりやすい説明だ。
にしても、なぜ俺が飢え死にしそうになっているときに限ってシスターがいなかったんだ。本当に死んでしまっていたかもしれないじゃないか。まあ、俺が死にかけた原因は半分、いや半分以上俺にあるのだが。
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