第6話 聖女の姉、つまり召喚師は贄となる

ミレア・カルスル。

兄のミハル・カルスルの名前は知らなかったけど、アリリンの好敵手だった彼女の名前はわたしも知っていた。

アリリンと同じく生まれた時からプラチナブロンドを持つ美しい女性で、歳はわたしよりも上。

彼女が産まれたころは誰も比べる相手がいなかったから、聖女に近い扱いをされてあらゆる良い待遇を得て育ってきたという。



「久しぶりねえ、ファシリナ・ラットレイ辺境伯令嬢?相変わらずネズミラットみたいな小さい子ねえ」

「あら、あなたも相変わらずプライドと背丈が一致しているようで安心したわ」

「ハッ!あなたのその態度、大きすぎて小さいその子供体型がじゃぺしゃんこになってしまいそうね。可哀想な子、なでなでしてあげましょうか?」

「お生憎様。わたしはあなたよりずいぶんマシな『可哀想な子』なの」

「……ああ言えばこう言う、昔から憎らしい女!」



あの日の晩、部屋を出た瞬間足元が光り、気を失うまであっという間の出来事だった。

おそらくミレアが自ら遠隔で部屋の前に陣を仕組み、わざとどこかに魔術の展開させ、わたしを誘導したのだろう。

神力を利用して聖職者を買収すれば、地図の情報なんてあっという間に手に入る。

彼女の技術を考えれば、容易い罠だ。


わたしが仕組まれたことに気づかなかったのは、おそらくこの転移の魔法が神力によるものだったから。

魔力と神力は似て非なるものの、同じような術は使用でき、力を持っていなければ感知すらできない。


最も、神力は貴重だから魔力で扱える術をわざわざ使ったりしないけれど。



「……で、ここはどこなのかしら?」

「どこだって良いでしょう?あんたはもう帰れないのだからね」

「へえ、ということは、のはわたしの方かしら?」

「あはは!あんたがどこに売れるって言うのよ!笑っちゃうわ!!

ドブネズミのような不細工が!!」

「……」



誘拐の犯行予告の手紙は確かにアリリン宛てだった。

当初の狙いは間違いなかったはず。

ミハル・カルスルが捕まってから狙いを変えたのかしら。



「わたしを捕らえてどうするつもり?」

「殺す」

「あらまあ、随分物騒だこと。聖女候補だったあなたがそんなことを言うなんて、権威も地に落ちたものね」

「いつまで調子の良いことを言えるかしらね?あんたが死ねば、わたくしが聖女になれるのに」

「……どういうことかしら?」



パチン、と手のひらを叩く音がした。

ミレアの合図とともに、湿気っている部屋に入ってきたのは明らかにガラの悪いガタイの良い男が4人。


思わず背筋に冷汗が垂れた。

この状況で、召喚する時間もなければ魔法を打つには両手両足が働かない。



「知ってるわ。聖女アリリンの功績の半分以上はあなたの働きだってこと。

そして、あの女はあなたに随分と信頼と親愛がある。


今ここであなたが無残な姿を晒し、その身体があの子目の前に転移されてきたら、どう思うかしら?」


「……アリリンはそんなことで聖女を辞めたりしない」

「それはあなたの意見でしょう?なんにもわかってないおバカな子!」



あっはははは!とミレアは不快な笑い声をあげた。

あまりの気色悪さに、わたしは身震いが止まらない。



「あんたの姿を見て、ひ弱で優しいアリリンは塞ぎ込むでしょうね!

そうして聖女を辞し、困った教会はわたくしに声をかけるはず。


国は選択を誤った。でもまだやり直すチャンスはある。

教会は取り戻すのよ、聖女であるべきだったのはわたくしだと!」



ホコリの匂い漂う空間に、もう一度不快な笑い声が響く。

抵抗できない悔しさ、罠に嵌められた不甲斐なさで感情が埋め尽くされる一方、わたしは彼女に憐みの感情を向けていた。



「ミレア……あなた、まだ自分が聖女であることが正しいと信じているの?」

「当たり前でしょう?わたくしは生まれた時から聖女として扱われてきたのだから!」

「それは周りの勝手な押し付けでしょう!?」



ミレアはわたしの言葉を正しく受け取れていない様子で、鼻で笑った。

どうしてありもしない『未来』に縋るのだろう。

彼女の希望、聖女になるという未来は、もはやと言っても間違いはないのに。



「あなた、『聖女の秘密』を知らないわね?」

「……は?」



わたしの言葉に、ミレアはようやくこちらを見たような気がした。

せっかくの美しい容姿が醜く見えるほどの憎悪の表情に、わたしは無駄な後悔を感じてしまう。

もし昔に、彼女と出会った時に、このことを言えたら。

彼女の人生は変わっていたのかもしれない。



「聖女になれる人間は、膨大な『神力』を持つ者。

それだけじゃない、『魔力を持っていない純粋な神力保有者』にしかなれないのよ」

「……は?はあ!?」



わたしを誘拐した時、確かに感じた魔術の展開。

今思えばあれはミレアのものだった。

彼女は神力と魔力、どちらも使える。


だからこそ、聖女になることは万に一つも、なかったのだ。



「……信じないわよ。今更あんたの言葉なんて」

「ミレア……悪かったわ。あなたは知ってるものだと思ったの、あのころの周りの大人は、知っててあなたをわざと仕立て上げているんだと」

「やめて!!」



再度放たれた金切り声は、わたしの声をかき消してしまった。

憎悪に染まった表情は、もう今更現実を直視なんかできないのだろう。



「あたしもお父さまの道具だったっていうの!?許せない、そんなはずない。

そんなはずそんなはずそんなはずそんなはずそんなはずそんなはず」

「み、ミレア?」


「黙りなさいよ!!あんたに言われるのが一番……一番……憎らしいのよ!!!!」



彼女が力任せに振り上げた鞭がわたしの肩を直撃した。

裂けるような痛みに声を上げれば、ミレアははっとして数歩後ろに下がり、わたしをじっと見つめてくる。



「もういいわ、あんたは殺す」

「なっ、わたしを殺したって何の価値もないわよ!!あなたは何も変えられない!」

「どっちでもわたくしの未来が変わらないなら、殺しても変わらないわよ!」

「ちょ、わたしが変わるわよいい加減にしなさいよ!!

そろそろ現実を認めたらどうなの!!?」

「あんたに言われたくないわよ!!神力もないくせに、美しくもない癖に、『価値のない』バカ女!!」

「っ!」



ぞわりと悪寒がした。

図星だった。



わたしはずっとアリリンの存在に『諦めて』、自分の未来を考えず生きてきた。


容姿も悪い、性格も良くない、神力の才能すらない。


これ以上の現実を見つめたくなくて、取るに足らない自分の価値と直面するのが怖くて。


多くの人々に囲まれ慕われるアリリンの隣にいただけ。


本当は誰からも無関心な存在だと、気づきたくなかった。




自分に価値があったなら、きっと魔術の展開を感じても用心して部屋から出なかったはずだ。

自分に何かあれば、アリリンが悲しむかもしれないから。

その仮定だけでも自分の無価値さにずきりと胸が痛む。





『価値とは、自身と他者で決まるものですよ、ファシリナ』

「……っ」



ふと、エルンスト様の微笑みが蘇った。

あの人は言った、自分の価値は自分だけで決めるものじゃないと。


自分が自分自身に『価値がない』とすれば、他者にとっても『価値がない』と言えるのだろうか。


わたしが死んだとして、彼は悲しんでくれるだろう。

アリリンも、ガングルグ様も、きっと侍女の仲間たちも。

それは、きっと――――




「あんたたち、こいつを殺しなさい」



ああ、そうか。

わたし自身に価値を感じなくたって、確かにいるんだ。

価値を感じて、大切にしてくれた人が。



「……なんで、いまさら」



気づいてしまったんだろう。

わたしの『本当の価値』に。



「……たくない」

「何よ?」


「死にたくない」

「ハッ!残念だけどあんたはもうおしまい、さよならよ!」


「死んでたまるもんですかーーーーー!!」



振り下ろしてきた分厚い刃は、わたしが座っていた椅子を両断していた。

低い体勢で避けたわたしは、魔法で簡易的な風を生み出し、男の顔面へ叩き込む。

見事に吹っ飛ばされた男は飛んでいき、壁に当たって動かなくなった。



「こ、この女、自分で縄を引きちぎりやがった!」

「きゃあ!?」

「たまにはこの怪力も役立つわね!?」



雷の魔法を詠唱し、狼狽える男を感電させて無力化する。

同じように切り込んできた刃にもう一発を当てて、全身くまなくいきわたらせば一瞬で気絶した。



「や、やめっ」



残りひとりはすでに氷の魔法で足を封じている。

風魔法で顔面を殴ればあっという間に大人しくなった。



「わたし、意外と戦闘もやれるのかしら」



ぽきぽきと両手の関節を整えながら、わたしはひといきつく。

その姿を見たミレアはすっかり怯えて、金切り声をあげた。



「ま、ま、『魔法陣展開』!!

覚えておきなさいよバカ女!!」



豪奢なドレスに躓きながら、バタバタと走り去っていく滑稽なお嬢様。

追いかけることはできなかった。

なぜなら。



「……やっちゃったわね、最後になんてことを」



仕組んでいたらしい神力の魔法陣が起動したからである。

黄色い光がわたしの手足を封じ、流石に力技では抜け出せないほど強固に展開されていた。




――――――――――――――――――




「ファシリナ、ファシリナ!!」



それから少しして、すっかり疲れて横になっていたわたしは大声によって目が覚めた。

身体に感じる振動、上半身を起こしてみれば、思い浮かべていたその人がいた。



「エルンスト様……」

「ファシリナ!ご無事ですか!?ああ、肩に怪我を!?」

「遅いですわ……こっちは大変だったのよ……」

「ああ、ファシリナ、ファシリナ……!」



酷く心配した表情。以前、夜に帰宅して怒られた時よりもずっと辛い顔をしていて、胸が苦しくなる。

淡く光る魔法陣に捉えられたわたしの様子に気づいたエルンスト様は、解除を試みようと陣の文字を見始めた。



「無駄です、エルンスト様」

「なぜそのようなことをおっしゃるのですか!?」

「神力の陣は魔法陣とは違う言語で刻まれます。エルンスト様は読めませんし、わたしは読めても神力がないので解除できません」

「そんな……」



エルンスト様は悲し気な声をあげて、わたしを見た。

近づいて両手でわたしのほほを覆うと、やさしく親指でなぞる。



「あなたはこの陣が読めるのですね?」

「ええ、アリリンのために……いや、はは、きっと悔しくて腹いせで勉強しました」

「ファシリナ?」


「この陣はこの通りわたしの捕縛と、爆発、そしてガラスの生成が刻まれています」

「……ガラス?」

「ミレアったら、困りものですね。魔法陣の真上にガラスを生成し、それを爆破させてわたしを惨殺死体にしようとしたようです」

「ガラス片で突き刺すと……?なんて、残虐な」

「それほど恨んでいたのでしょう。陣を壊すか、捕縛を解除すれば発動するようになっていますわ」



わたしを開放すれば死ぬ、開放しなければわたしが衰弱して死ぬ。

よくもまああんな頭でこんなことを思いついたわね。と感心してしまう。



「……どの道、爆発は避けられないということですね?」

「ええ、そうですわ。だからエルンスト様はここから遠くに離れてください」

「どうなさるつもりですか?」

「わたしが陣を壊し、爆発させます」

「それであなたはどう助かるというんですか!?」

「……」



無言になったわたしに、エルンスト様の瞳からついに雫が落ちてしまった。

ころころ変わる表情は好きだけど、その顔だけは見たくなかった。

美しい涙を拭えない自分に腹が立つ。



「いい加減、自分の価値に気がつくべきです。ファシリナ」

「おかげさまでもう気づきましたわ、エルンスト様」



ぽろり、とわたしも彼と同じものが落ちた。

あはは、彼と同じものを落とすなんておこがま……いや、違う。



「だからこそここでお別れは少し寂しいですわね。

エルンスト様、こんなわたしを愛してくださったこと、感謝します」

「ファシリナ……!」



拭われる涙は止められないけれど、せめて最期くらいは伝えよう。

わたしの価値を見出してくれた、あなたへのお礼として。



「わたしも、その、好きです。好きでした。

あなたほど大きくも重くもないけれど、確かに、その気持ちはありましたわ。

だって、あなたに触れられると確かにドキドキして、恥ずかしかったのです」

「……っ」

「わたしのことを忘れろとはいいませんわ。好きなだけ引きずって生きてくださって結構。

けれど、もし新しい幸せを見つけることができたなら、わたしも、幸せだわ」



エルンスト様は何も言ってくれなかった。

わたしの頬に触れ、涙を拭う手を放して、すっと立ち上がってしまう。



さすがに幻滅してしまったかしら。

それはそうよね、この期に及んでこんな未練ばかりな言葉、やっぱり言わずにおくべきだったかも。


そう思いながら下を向いていると、魔法の展開を感じた。

驚いて顔を上げれば、彼もまた湿り気のない瞳でこちらを見つめていた。



「……え?」

「ファシリナ、あなたの想い。確かに受け取りました」



エルンスト様が展開した防護魔法だと気づくのに時間はかからなかった。

わたしをだけを囲うその魔法。

そして、いつのまにかエルンスト様の手には男たちが持っていた短剣が握られている。



「なおさら、あなたは死んではなりません。

僕はあなたと共に生きるのが望みであり、幸福なのですよ?」

「エルンスト様、何をするつもりですか」



エルンスト様自身を覆う防護魔法は、わたしのよりもずっと薄かった。

魔力をほとんどわたしの方につぎ込んでいるのだろう。

微笑む彼が持つ短剣の刃は下を向いている。

そのまま落ちれば陣に刺さり、展開が壊れ、爆発するだろう。



「ともに生きましょう、ファシリナ」

「なっ、ここで爆発させたらあなたも無事では済みませんわ!?」

「ご心配には及びません」

「いやあなたの防護魔法薄すぎるわ!突破されるわよ!?」


「前から言っているではありませんか」



エルンスト様はにっこりと煌びやかな笑顔で告げた。

手放された短剣は、ゆっくりと地面に落ちていく。



「あなたから受ける痛みは、僕にとってご褒美だと」



「そういう話じゃないわよ!?!?」




まばゆい光に包まれて、わたしの意識も飛んでいった。

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