第5話 チュチュ作戦
それから、宿の一室を借りたわたしたちは遮音魔法がかかった空間の中で、光の玉から響く叫び声を聞いていた。
『きゃああああ!!ネズミよ!!』
『はあ?ネズミなんて珍しいものでもなんでも……うわあ、でけええ!!!』
バリン、と皿が割れる音。戸惑う人々の声が近づいたり離れたりする混乱の様相をわたしたちは神妙な顔つきで見守っている。
わたしが召喚したのは『ネズミ姿の精霊生物』
カルスル家が自ら運営する宿屋に侵入してもらい、走り回ってもらっている。
「あえて宿屋にネズミを入れるとは、さすがですねファシリナ」
長い髪を優雅に揺らして、エルンスト様はにこりと笑い、わたしを見下ろしながら頭を撫でようと手を近づけてきた。
何度目かわからないそれを払い落として、わたしはネズミたちから収音される音に集中する。
『ミハル様をお呼びしろ!!』
「来たわ」
ミハル・カルスル。それがあの怪しい青年の名前らしい。
エルンスト様に教えていただいた背格好とわたしが見た姿と一致したから、間違いない。
この男がアリリンに犯行予告を……。
許せない!どうしてやろうかしら!!
そんなことを思いながら、わたしは今回の作戦をもう一度脳裏に巡らせていた。
指紋、筆跡、魔力の痕跡、すべてを一度に手に入れる方法、それは『サインした書類』
書類に記名することは大口の取引から手紙からいろいろあるけれど、わたしは『カルスル家が宿泊事業に出資、運営』していることに目をつけた。
「宿泊施設において『清潔な環境』は顧客の信頼につながる重要な要素。そんなところにネズミが出れば、やることはひとつよ」
『ミハル様!厨房に大きなネズミが3匹も現れました!』
『なんだと!?ちくしょう、はやくネズミ駆除の奴らを連れてこい!!』
「よろしく頼むよ」
その言葉を聞いてエルンスト様は背後にいた人間に声をかけた。
見たこともない普通の中年の男性、けれどぴんと伸びた背筋からは只者ではない気配をなんとなく感じる。
侯爵家もいろいろとあってね、とエルンスト様は言っていたので、これ以上考えることはやめた。
男性がネズミ駆除の用具を握り締めて出ていくのを見送り、わたしは隣のエルンスト様を見上げた。
「あと15分で精霊生物全員を還しますわ」
「ああ、予定通りでお願いします」
「……助かりました。まさかこんなに早く偽物のネズミ駆除業者の変装が用意できるなんて」
「ファシリナのためならなんでもできます」
「ま、またそんなことをおっしゃって……わたしはそのような価値などありませんのに」
ぽん、と自分の頭に手が乗った。
しまった、見過ごした。
不満を彼にぶつけるものの、ひとかけらも伝わらず微笑みが返ってくるだけだった。
「価値とは、自身と他者で決まるものですよ、ファシリナ」
「……わかりませんわ」
「ゆっくり知っていけばいいのです。まずは僕の気持ちを受け止めていただくことからどうでしょう?」
「わ、わたしに、そのようなおこがましいことは……」
首を振るとあっさりと手のひらのぬくもりが離れていった。
妹が生まれてからは、なにひとつ選ばれたことのない人生。
今までもこれからもそうだと腹をくくって教会に足を踏み入れたのに、重い感情を向けられ出鼻を挫かれ――――いや砕かれてしまうとは思わず、いまだに戸惑ってばかりだ。
『初めまして、エルンスト様。ファシリナと申します』
『お会いできて大変光栄です。ファシリナ様。
僕はエルンスト・シャーニール。どうかエルンストとお呼びください』
『エルンスト様!なんですかこの花束は!?ここはわたしの部屋ですよ、アリリンの部屋は別棟の』
『これはあなたに渡したい花束です。ファシリナ。
気が
ただ、ようやくつかんだチャンスを逃したくはないのです。
どうかこの先、僕と共に歩む未来を考えてはいただけませんか?』
「……」
心がむず痒くなる思い出が、脳裏に浮かび上がって消えていった。
ネズミたちにお礼を言って還ってもらいながら、わたしはそのせいで悶々と良い知らせを待つ羽目になった。
それから1時間以上が経過したころ、わたしたちは安堵して机の上にあるものを眺めていた。
それは『ネズミ駆除の契約書』
急いで判断しなければいけない時ほど人間はボロが出る。
思った以上に筆跡が崩れていたので判別は難しくとも、より確実な指紋と魔力の
丁寧に保管された契約書は、エルンスト様が呼んだ男性によって教会に運ばれていった。
「これであとは照合結果を待つのみですね」
「ええ、そうですわね。一致すると良いのですが」
「おそらく間違いはないでしょう。僕たちも暗くなる前に教会へ帰りましょうか」
「そうしましょう」
すでに教会から騎士団には秘密裏に照合の依頼をしてある。
無事に渡すことができれば、2~3日で結果が出るだろう。
もし一致すればその場でミハル・カルスルは騎士団に連行されることになり、アリリンの犯行予告事件は幕を閉じる。
終わりが見えてきたせいか、どっと疲れを感じる。
帰りの馬車、魔法によってあまり揺れないようになっていたせいもあり、わたしは道中でうたた寝をしてしまった。
「……ん?」
心地よい揺れに目を覚ませば、馬車の窓から草原が見える。
座っていたはずなのに窓が正面にあるのは、どうしてもおかしい。
なんとなく膝元を見てみれば、自分のではない太い腕が置かれいた。
まさか、と思って顔を上げる。
じっとこちらを眺める端正な顔を、ばっちり目があった。
「!!」
「駄目ですよファシリナ、ここで暴れては怪我をしてしまいます」
飛びのこうとしたわたしの上半身をがっちりと抱きしめてくるエルンスト様。
力が強い。胸板に押しつけられた額が飾りに当たってしまう。
壊さないように必死に心を落ち着けると、わたしはもう一度彼を見上げた。
「すみませんエルンスト様、わたしは眠ってしまったようで……」
「いえ、おかげさまで幸せな時間でした」
「またそんなことを……」
横抱きにされているままできる限り距離を取る。
何の関係もない男女がこの体勢をしていて良いわけがない。
ぽんぽんとあやすように背中を叩かれて、わたしは仕方なく居直りため息をついた。
「どのくらい眠ってしまっていたのですか?」
「15分ほどでしょうか」
「そうですか……」
会話が止まる。
思えば、彼とは話をする機会は多いけれど雑談をすることはなかった。
いつもは彼の言葉を否定するばかりで、仕事の話しかしなかったから。
気まずい。そういえば、わたしは彼自身のことをあんまり知らない。
甘党であることすら今日初めて知ったくらいなのに、何を話せば彼にとって利益になるのかわからない。
「もう少し眠りますか?」
「い、いえ、これ以上迷惑をかけるわけには!」
「迷惑なんて思っていません。むしろ愛おしく思います」
「ええ……」
「初めて眠るあなたを見ましたが、」
エルンスト様は突然言葉を切った。
どうしたのかと思い顔をじろじろと眺めてみれば、眉間に皺を寄せて悲しい表情を見せる。
「こんなに小さい身体をお持ちとは思いませんでした」
「……それはわたしに対する侮辱で?」
「まさか!閉じ込めてしまいたくなるほど気持ちが膨らんでしまいました」
「……変なところ触らないでくださいね」
「そんなことはしません。あ、僕はどうしていただいても構いません、むしろ歓迎です。どうぞ」
「聞いてません」
今度は顔を赤らめてきた。ころころ変わって、次はどんな表情をするのか想像してしまう。
なんだか不思議な人だ。
「ともかく!もうすぐ教会ですよね。そろそろ離れます」
「そうですか……」
「こんなところ見られたら困るのはあなたでしょう、エルンスト様」
「え?別に困りませんが」
「ああ……確かにそうでしょうね。あなたのことだから、別にわたしと何があったところで噂になってご迷惑をおかけすることはありませんわね」
「…………」
わたしの見た目がまあまあよかったならまだしも、仕事上の都合でふたりきりで移動するのは違和感がない。
彼を狙うご令嬢たちの嫉妬の対象にはならないわね。
遅くなっていく外の景色と見慣れた教会を眺めながら、わたしの気持ちはあっという間にアリリンへ向いていた。
――――――――――――――――――
それから4日が経った。
アリリン宛てに騎士団からの使いが来ると聞いて、わたしは聖女との謁見の場を準備した。
直接声をかけた護衛隊のガングルグ様、エルンスト様、司祭オーフェンにも同席をお願いし、集まっていただいている。
第一騎士団から来た若い騎士は、綺麗な所作で一礼した後にわたしたちへ告げたのは、ミハル・カルスルの捕縛だった。
「私に犯行予告の手紙を送ったのはカルスル家の者だったのですね」
「さようでございます。ただし、正しい表現をするならば『ミハル』という若者でございました」
「……なるほど」
アリリンは引っかかる表現を察してちらりとわたしを見た。
わたしは彼女に頷いてその考えを肯定する。
カルスル家はミハルが捕縛される前に追い出した。
カルスル伯爵が息子を犠牲にして自らの一族を存続させることを選んだということは、この犯行予告はミハルの単独犯ではないことを物語っている。
エルンスト様の予測。聖女アリリンを失脚させて娘を就かせようとした可能性はかなり高くなってきた。
それとも聖女候補本人の差し金か。
「カルスル家の身辺調査をしたところ、誘拐のための人間を雇った形跡はなく、おそらく手紙のみで不穏な噂を利用しようとしただけのようでございます。
実際に誘拐を試みた痕跡は見つからなかったため、騎士団はミハルを裁き解決とする所存です」
「わかりました。第一騎士団長へ協力の感謝をお伝えください」
「はっ!」
騎士が謁見室から去るのを確認し、わたしは慰労を込めて聖女へ一礼した。
「謁見、大変お疲れ様でございました」
「ありがとう。無事に解決できてよかった……。
お姉さまとエルンスト様のおかげです。ありがとうございました」
「あなたの役に立てて本当に良かった、アリリン」
エルンスト様が一礼するのを視界の端に捉えながら、わたしは安堵の気持ちをいっぱいにしてアリリンに笑顔を向ける。
彼女はなぜかわたしの顔を見て苦笑した。
「役に立つだなんて、お姉さま、堅苦しいにもほどがあるわ」
「そう?」
「ええ、私が聖女に就いてから、お姉さまは私以上に大活躍しているの自覚ない?」
「……ないわね?わたしがすることはすべてアリリンのためよ」
「聖職者の汚職を密告しては退職に追い込んで一掃」
急に呪文のように唱えだしたアリリンに、わたしは戸惑いの目を向けた。
「確かにそれっぽいことはしたけどひとりだけよ」
「そうよ、芋づる式に追い込むには一番効果的な人を狙ったからでしょう。
あとは500年行方不明だった秘宝 クヴェレの
「アリリンの神力で何万人もの国民が救われたわね、さすが我が妹だわ」
「見つけたのはファシリナお姉さまでしょう……」
何度言っても認めないんだから。とアリリンはそっぽを向いて立ち上がった。
わたしはすぐさま後ろに立ち、地面を見つめて追いかけていく。
「精霊生物たちは万物を知る。それを操る召喚師はこの世でもっとも優れた魔法使いを呼ばれているのよ。
自分の価値を自覚してよね、お姉さま」
アリリンはわたしに振り返って、笑顔でそう言った。
――――――――――――――――――
妹の言葉を、こんな形で思い出すなんて考えもしなかった。
それから何日経ったのか、わたしにはわからない。
覚えているのは、あの日の晩。
魔術の展開を察知して部屋を出た時のこと。
ふいに大量の水の音が耳を覆った。
冷えていく服、冷えていく身体。
あまりに冷たいそれに勢いよく瞼を開けてみれば、見慣れぬ暗い部屋。
全身が椅子に縛られたまま顔を上げれば、見知った女性がそこにいた。
「起きなさいよ!!」
馴染みのある神力の気配。けれど、その残滓は全く知らない。
アリリンではない強い神力を操れるのは、この国においてあとひとりだけ。
「ミレア・カルスル……!」
過去、アリリンに敗れ聖女となれなかった女性だ。
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