第2話 逃げるファシリナ追う術師
エルンスト・シャーニール。
それがこの問題児――年上だけど――のフルネームだ。
シシア国は過去に魔法障壁で国民を守っていた時代があった経緯があるので、魔法技術が発展していて術者の人口も多い。
国軍の各部隊にも魔術師が多く、その一員となっているのが、彼だ。
聖女の護衛部隊となれば、実力は国内で上位に入る。
わたしより少し年上で若手だと言うのに、壮年のメンバーに交じって大抜擢されるほどかなり優秀。
らしい。
わたしが彼に出会ったのは聖女の侍女として教会に転がり込んだ時。
気づいたら隣に立ち、気づいたら話しかけられ、気づいたら距離を詰められる困った人。
……周りの侍女やアリリンにとっては『儚げで美人な若手魔術師』でしかないようだけれど。
「冗談はやめてください……心臓に悪いです」
「冗談ではありません。そのような悪ふざけの過ぎる人間に見えますか?」
「……見えませんけど……」
冗談自体言う人間にも見えないけど……。
その生真面目な表情で紡ぐ言葉が、全部本気だからこそわたしを悩ませている。
今も腰に肩に回っている腕だって、いつ振り払ってやろうか隙を伺っている。
「今も頭痛はあるのですか?」
「いえ!もう全く、全くありませんわ!」
「そうですか……はあ、よかった」
エルンスト様の心配ような顔に声をたたみかければ、ようやくほっとした表情を見せた。
腕の力が緩んだ時を狙ってすばやく彼の手を叩き落として逃げ出すわたし。
「ああっ」
「なんですかその残念そうな顔は」
「ファシリナ……」
エルンスト様はそれだけ言うと、片手で顔を覆いうなだれてしまった。
酷く傷ついたかのうような態度に思わずたじろぐわたし。
「エルンスト様?」
「……」
「え、エルンスト様……?」
どうしよう、そんなひどいことした?
女性に叩かれるのがそんなに嫌だった??
少しだけ近づいてみれば、懇願する顔と目が合った。
「叩くならもっと強くしてください」
「今すぐ心配した時間を返して」
「一生をかけて返します」
「やっぱりいいわ」
もおおお!心配して損したわ!!
「あなたから与えられるすべてが幸福なのです。そんなあなたに何かあったら……僕は」
「あー!はいはい何度も伺っておりますその話!」
大丈夫です!わたしは身体が強いんですから!
そう言ってキッと見上げれば、アメジストのような瞳が見開かれ、細く煌めいた。
「……そうですね」
「で?わたしにまだ何か御用ですか?」
「いいえ、目の下の隈の件と、あと、少し――あなたと少しでもお話しできたらと思っていただけです。
昨日は話せなかったので、ずっと我慢していたのですよ?」
「!」
不意打ちの言葉に赤らめそうになった顔色を気合で引っ込めた。
ずるい、綺麗な顔でそんなことを言ってくるなんて。
耐性のない一般令嬢のわたしには刺激が強すぎるのをわかっていないのかしら。
……わかっていたって確信犯に変わるだけでしょうけれど!
「は、は、はいはい!そうでしたか!じゃあ話せてよかったですわね!?
それではお先に失礼いたしますっ」
「そうですか、残念です。あなたの邪魔にはなりたくありませんから、僕も失礼します」
速足で部屋を出ていくわたしにぴったりとついてくるエルンスト様。
彼は案外あっさりと引き下がるように言って、反対方向に去っていった。
「……」
その姿をもう一度睨んで、わたしは侍女たちの集める部屋へ足を踏み出した。
平々凡々な茶髪・茶色目・低身長。
この国では男性に好かれる要素などまったくない特徴、三拍子がきれいに揃ったこのわたし。
貴族の女性として嫁ぐ素材と考えれば、とてもじゃないが上位階級の男性に選ばれる未来などない。
正直、コンプレックスである。
静まらない鼓動をすれ違った侍女たちと挨拶を交わして落ち着かせながら、わたしは今日もスカートをはためかせて庭の日陰を進む。
一方、最後に生まれた妹は真逆の容姿と才能を持っていた。
嫉妬しなかったわけではない。でも、あまりの格の違いに『諦めた』
思えば早々に覚悟を決められたのは良かったと思う。
何をしたってわたしは妹を越えることはできないし、背伸びするだけ時間の無駄。
わたしはもはや家の繁栄の足かせなのに、両親は平等に愛情を注いでいくれている。
その環境だけでもありがたいと思わなきゃいけない。
その中で自分ができることとすれば、善悪様々な人間が近寄ってくる『アリリン』を守ること。
あの子が国のため民のために存分に力を使い、いつか大切な人と巡り合い、奇跡のように子供に恵まれて、人生を生き抜いたその時まで。
彼女を守り続ける人生。
それだけ。
つまりわたしは、彼のような目立つ人物に好かれるわけにはいかない立場なのだ。
どうせなら同じく美人な妹のアリリンの方がお似合い――――いや、こんな男をわたしが許せるかというと許せない!撤回よ!
手元からバキリと痛々しい音。
思わず握っていたペンを折っていた。
「……ファシリナ様」
「あっ」
焦って振り返るとアリが困った顔をしていた。
「直しておいてくださいね?」
「は、はい……」
文字を書いていた手は、魔法の詠唱に使われることになった。
――――――――――――――――――
「民たちに顔を見せたい?」
王城へ向かう馬車に乗るための道中、わたしはアリリンの言葉をそっくりそのまま返してしまった。
困った顔を見せているはずのわたしに対して、アリリンは愛らしい笑顔を浮かべている。
「さっきガングルグ様に相談したらね、少しだけならいいって言ってたのよ」
その話、聞いてないけれど!?
思わず勢いよく後ろを振り向いて当事者を見れば、同じように笑顔を浮かべた護衛隊長がいた。
後ろには静かに微笑むエルンスト様もいる。
「今日お祈りする教会は国民に解放されていますからな、民衆に顔を出したいのも道理でしょう。打ち合わせに同席していた王太子の側近に許可をもらっているところです」
「護衛の人数は足りているのですか?あと5人は増やさないと……」
「我々4名で問題はないでしょう!ファシリナ殿もいらっしゃいますからな!」
「わたしを護衛の頭数に入れるのですか!?」
驚いた声を上げれば、野太い笑い声が廊下を響き渡って消えていく。
たまたま近くにいた侍女が驚いてタオルをふわりと揺らしていた。
「謙遜なさるなファシリナ殿、貴殿の努力と才能は皆が認めております。なあエルンスト?」
「はい。伝承が途絶えて久しい『召喚術』の技はどれも学術発表に値します。どのような魔法陣を作っていらっしゃるのか、至る過程までぜひ直接ご教授いただきたい」
「……アリリンを守る術を探しているうちにたまたま得ただけですわ。大したものではありません」
この世界の万物の姿をとり独特の魔法を扱える精霊生物。
召喚陣を用いて呼び出すことで、契約し、力を借りることができる。
自ら召喚した精霊生物にアリリンと契約してもらおうと思ったら『チョット……倫理ニハンスルネ』と言われてできなかった。
仕方ないから自分が契約しているだけである。
まあ、便利ではあるけれど。
さっきも『木の枝の精霊』に樹液でペンを直してもらったし。
眩しすぎるエルンスト様から尊敬とハートに近い何かが飛んでいるように見える。
跳ね返すようにそっぽを向けば、ガングルグ様のひときわ大きな笑い声が背中を叩いた。
「はっはっは!あいかわらずですなあ」
「お姉さま、あんまり冷たい態度はいけないと思うわ」
「冷たくないわ、適温よ、適温」
「はは!」
まったく、みんなして楽しんじゃって。こちらの気持ちも考えてほしいわ。
……アリリンが楽しそうならいいのだけれど。
――――――――――――――――――
教会の最奥へ向かったアリリンを見送り、わたしたちは国民たちに挨拶を行う教会の正門に来ていた。
王都最大のこの教会は、広い公園の一部に立っており人々の目に留まりやすいところにある。
もう10分ほどすればアリリンは聖女として登場するだろう。
いつの間にか広がっていた聖女様来訪の噂によって人だかりができていた。
「もうこんなに人が……」
「聖女様は国一番の人気者ですから、一目見たい人も多いでしょう」
影から覗いていたわたしに声をかけるエルンスト様。
いつのまに背後を取られていたのかと警戒するも、その目は会場に向けられていて、なんだか楽しそうだ。
「ところでファシリナ、もう準備は終えらたのですか?」
「ええ。アリリンを誘導していただく司祭様との調整は済んでいます。馬車も先回りして待機いただいていますし、簡易的に作っていただいた会場の作りは1時間前にお見せした図の通りです」
「さすがです。我々護衛がしやすい見通せる構造にしているだけでなく、聖女様がいらっしゃる出入口も最小限にしていらっしゃる」
エルンスト様の賛辞は聞き慣れた。今まで学んで得てきた技術はすべてアリリンのためだ。賛辞の矛先はわたしじゃない。
当たり前のように無視して小言を漏らす。
「前もって言ってれれば事前に召喚陣を仕込めたのに、まったくアリリンったら」
「召喚陣というと?」
「『子石の精霊』ですわ。万一襲撃があれば一帯ごと石の壁で覆い、襲撃者を投石で確実に仕留めます」
「聞いているだけなら可愛らしい名前なのに……恐ろしいですね……」
「ここまでしょっちゅう民に会いたいと言われてしまうとすべての教会に仕込んでおきたくなりますわね」
「どうやら恐ろしいのは召喚者の方だったようです」
歴代でここまで人前に姿を現したがる聖女はいなかった。
そもそも秘匿の存在として隔離されていた歴史の方が長い。
だからこそ聖職者の多くは聖女の活動を反対こそすれ、心配をしている。
けれど、
「ま、アリリンのお願いは聞いて当然です」
「ふふ、ファシリナは相変わらずですね」
「どういうことです?」
「いいえ、なんでも。ところで先ほどの召喚陣、試す際は僕に一報を」
「嫌よ。この前わざと当たって怪我したでしょう」
「焦って治療するファシリナを抱きしめているときにしか摂取できない栄養素というものがあるのです」
「知りませんわそんなもの」
エルンスト様の言葉を丸めて捨てるように返せば、彼は嬉しそうにしていた。
……なんでこの人こんなに顔がいいのに性格で大損しているんだろう。
ともかく、人前に立つお願いは特に優先して叶えているのは事実だ。
人に顔を覚えてもらうのは悪手ではない。
いつかわたしが守れないほど遠くにアリリンが行ってしまった時、きっと誰かが手を差し伸べてくれるはずだもの。
そうこうしているうちに、とつぜん騒ぎ出す人々。
少し顔をだして舞台を見れば、美しい女性が立っていた。
白くタイトな服装に、銀で装飾された大ぶりのマントが揺れる。
祈りを捧げる際に着用する格好のまま姿を現した聖女マリリンは、民衆に振っていた手を止めた。
途端に静かになる会場。
「みなさまにお会いできて光栄です。わたくし、聖女マリリンは、みなさまが今日も1日幸せに健やかにお過ごしになるよう、祈りを捧げます」
その直後、民衆にどよめきが響き渡った。
マリリンの神力によって、頭上から光の粒が降ってきたからだ。
あれは神力を小さく凝縮させた雪のようなもの。
人々の身体に触れるとほんのり暖かく、活性化し怪我や病が和らぐ効果『祝福』がある。
見たこともない美しい景色に、人々は歓喜の表情を浮かべていた。
たくさん集めようとする者、ただうっとり眺める者。
様子を眺めているうちに、ふと異なる表情をした男を見つけた。
「……?」
貴族らしい仕立ての良い服を着た若い男性のようだ。
喜ぶことなく、一番後ろから睨むような表情でアリリンを見つめている。
怪しい。でも何かする様子はないからこちらは手出しできない。
監視しようと男を見つめていたけれど、視界の端に映った光景に目線をずらしてしまった。
子どもだ。無理やり前列に来たのか大人たちにぎゅうぎゅうにされていて、苦しそう。
不意にバランスを崩して倒れそうになってしまった。
「危ない!」
慌てて魔法陣を展開するも遅すぎるのが目に見えている。
治療に切り替えて再展開すると――――わたしの顔の真横から手が伸びた。
ふわりと浮かび上がる幼い子供。
斜めに傾いていた体勢を整えると、ゆっくりを地面に立った。
振り向けば、小さく息を吐くエルンスト様の横顔があった。
彫刻のような姿に目を奪われるけれど、なんとか正気に戻って頭を振る。
やがて母親と父親に引っ張られ群衆の中に姿を消した子供を見送り、視界を戻せば貴族の男はいなくなっていた。
「……ありがとうございます、エルンスト様」
仕方なくお礼を言えば、彼もまた祝福を受けたような表情をした。
それから。わたしが見た怪しい男はその後アリリンの前に現れることはなかったけれど。
代わりに1通の手紙が教会に届いた。
ただのファンレターだったら、
ただのお礼の手紙だったら、どんなによかったことか。
その手紙には、『犯行予告』と綺麗な文字が書かれていた。
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