聖女の姉は暗躍希望、聖女の護衛は溺愛希望
綾乃雪乃
第1話 聖女アリリンと姉ファシリナ
金色の縁取りが施されているポットに触れた。
ふわりと熱気を放って温まり始めたのを確認して布を被せ、わたしは思わずにんまりと笑う。
今日は晴天。
わたしの1日は日の出と共に始まった。
さっさと着替えて自室を出て、
夜勤の侍女たちから引継ぎを聞きながらちょっと重めの朝食を取る。
ティーカートに一式を揃えて、
先に『とある人物』のもとへ向かった侍女たちを追って部屋に入れば、
役目を果たす時が待ちきれないとばかりに温まった紅茶が香りを放っている。
あとは待つだけ。
そこまで至れば、思わずにんまりと笑うのだ。
「……ファシリナ様、顔、顔」
「うふふ」
貴族令嬢にあるまじき、にんまりと。
ここはシシア国、地図で言うと東側に位置する広大な国。
半分は山岳地帯、半分は海岸沿いと両極端なこの国は、その広さ故に世界中にはびこる魔物たちと闘ってきた歴史がある。
専用の軍隊を組織して対処にあたったり、魔法障壁を展開して遮断していた時代もあったけれど、今は各地の教会を経由して配られる神力を使い、治安を維持している。
『神力』、この世界を管理すると言われる神が人に授ける力。
生まれに関係なく宿るとされ、国はありとあらゆる試験で『聖女』を選定し、各地へ神力の提供を続けながら世界の平和を祈る役目を与えてきた。
『アリリン』
その名が今代の聖女。
生まれた時から類まれな神力を持っていた彼女は、力を持つ者の特徴である美しい容姿と相まって国内では絶大な人気を誇っている。
「「「おはようございます。アリリン様」」」
「ふぁ……おはようございます、みなさん」
そして、今目の前に現れたこの女性こそが聖女 アリリン。
「おはようございます、ファシリナお姉さま!」
「おはよう!アリリン~~~!!」
全く似ていないが、正真正銘わたしの妹である!
絹のようなプラチナブロンドの髪は触り心地抜群で、触りすぎて母に怒られること2桁。
神力が豊富な人間の特徴である金の瞳は宝石と比べられないほど美しく、嫉妬した人々に抉られて盗まれないかと妄想しては必死に守ろうとするわたしに、弟が呆れることもうすぐ3桁。
もちもちとやわらかい頬は触らずにはいられない、けれど妹本人に怒られたのでまだ1桁。
「今日も可愛いわねアリリン!紅茶飲む?」
「飲むわ!」
「はあ、なあに今の眩しい笑顔は……尊い」
ここはララ・シシア教会。首都にある美しい建物群には、歴代の聖女様が日常をお過ごしになる居住区がある。
聖女を拝命し家を出ることになったアリリンが心配だと、無理やり家を飛び出したわたし、ファシリナは侍女として働いている。
「お姉さまは今日も元気ね。私まで元気をもらえそう」
アリリンは紅茶に口をつけると、ほんの少しだけ飲んで微笑んだ。
彼女はいつもわたしを元気だの忙しないだの言うけれど、今日はなんだか彼女の方が元気がない。
うっすらと隈が見える。
「アリリン、昨日は眠れなかった?」
「……え?」
驚いた表情をしたのはアリリンだけではなかった、周りにいた数人の侍女も同じ表情をしてわたしを見る。
気づかなかったのかしら?こんなにわかりやすいのに?
「顔見ればすぐにわかるわ」
「お姉さまだけだよ、すぐにわかるの」
「そうかしら?で、読書が止まらなかった?」
「あ、いえ、違うの。少し頭痛がして」
「頭痛!?大変じゃない!!」
わたしの大声に侍女仲間たちが一斉に走り出した。
紅茶を取り上げる者。
部屋を小走りで出ていく者。
急いで白湯を取りに行く者。
ひざ掛けを取りに行く者。
ただ慌てふためく者。
わたしはアリリンに近づいて額に手を触れた。
「もしかして熱かしら!?」
とは思ったけれど、熱はなさそうだ。いつものあたたかな体温を感じて手のひらを離せば、アリリンはむっとした顔でこちらを見た。
「もう!心配しすぎ!
昨日の夜大雨が降ったでしょう?お天気頭痛よ、きっとそう!」
「それならすぐに落ち着くだろうけれど……無理してない?」
「してないわ」
「……本当に?」
「してないわ!」
その声に数人の侍女の動きが止まった。
それならいいけれどと元の位置に戻ってくる。
部屋を出ていった侍女は今更呼び戻せないけれど、あとで伝えておこう。
わたしはもう一度アリリンを見た。
「……無理してないわよね?」
「してない!」
「それならいいわ」
むすっとしている妹に、わたしは噴き出すようにして笑った。
いつも大げさなんだからとぶつぶつお説教が始まっているが、両親に鍛えられたわたしにとっては可愛い小鳥の鳴き声も同然。
動じない。
「今日は朝食後に護衛隊を交えて午後の事前打ち合わせよ。そのあとに王城へ向かって王太子夫妻と昼食会。夕方に教会でお祈りを捧げて戻ってくる予定になるわ」
自分の朝食の時に側近の司祭から聞いた言葉を並べると、アリリンは慣れた様子で頷いた。
あの司祭、本来はここに来るはずなのに、だいたいの伝言はわたしに託してすぐに護衛隊のところへ行ってしまう。
若い男性だから朝から女性に会うのを遠慮しているのか、それともわたしを良いように使っているのか。
……まあ、あの性格からして前者ではないのはわかっているけれど。
「じゃあ、さっそく朝食の準備を始めましょう、みなさま」
「「かしこまりました」」
勝手に侍女長のようなひと声を発すれば、同僚たちがてきぱきと動き始めた。
聖女が摂る料理を管理するのはわたしの担当外、ちゃんと祈りをささげた食材を触れられるのは聖職者から許された人間のみ。
わたしは少し離れて様子を見守りつつ、予定通り進むよう時計とにらめっこを始めた。
「お時間に余裕はございますか?」
隣にいた同僚の侍女、アリがこっそりと声をかけてくる。
わたしは時計から目線を外して、小さく頷いた。
「今日は予定が少ないから大丈夫そうですわ」
「それならよかったです。
あの、ファシリナ様」
「はい」
「とても言いづらいのですが、ファシリナ様も目元の隈はできるだけ消したほうがよろしいかと」
「え」
アリはわたしがここに転がり込んで侍女になったとき、手取り足取り仕事を教えてくれた大恩人。
だからこそ、貴族階級のせいで周りが言いづらいこともはっきり言ってくれる有難い友だ。
その友が、困ったような笑ったような複雑な顔をして口を開いた。
「エルンスト様には、まだお会いしていないでしょう?」
―――――――――――――――――――――
聖女の役目はふたつ。
各地の教会に神力を行き渡らせることと、王族を中心とした宗教行事で人々に祝福を与えること。
特に王家のいる城は月に1回以上、平和への祈りをささげることに決まっている。
城までの道のりは、今しがた打ち合わせが終わった護衛隊が任されていた。
聖女を含めた高位聖職者の護衛を務める護衛隊。
この部隊を率いている人物が聖女に向かって一礼する。
姿勢を戻し、大きく引き締まった大柄の身体でアリリンを見つめたのはガングルグ総隊長だ。
「今回も安全なご移動をお約束しましょう、聖女様」
「ありがとうございます。ガングルグ様。
ところで、その……」
「なにかございましたかな?」
褐色の肌に金髪、はっきりした顔立ちの壮年のこの方は、長年教会の騎士として厳しい環境で勤めてきた傍ら、愛妻家の一面は人々に愛嬌を与えている。
最初は少し苦手そうだったアリリンも、家族のことになるととても饒舌になってしまう姿に心を開いたひとりである。
「またぬいぐるみを作ったのですがっ、ガングルグ様のお子様にぜひっ!」
「おお!なんと、よろしいのですか!?」
「今回はうさぎにしてみたのです、かわいいのはお嫌でしょうか……?」
「いえいえとんでもございません!!よろしければぜひ、我が家の家宝のひとつに加えさせてください!」
「家宝だなんて大げさですわ!よければこのあと客間に寄ってくださる?」
「もちろんでございます!!」
アリリンの趣味はぬいぐるみ作りだ。ガングルグ様の小さな小さな双子のお子様がとても気に入ったようで、作っては渡している。
今日も新作を披露するみたいだ。近くの侍女に目配せすれば、一礼してアリリンについて行ってくれた。
ガングルグ様は数人の部下を連れて部屋を出ていく。
わたしは後片付けのため、全員が出ていくのを見守る――――はずだった。
「…………」
「…………」
出ていかない人物がいる。
侍女が残った紅茶たちを撤収させて部屋を出て行っても、全く動かない男がいる。
はあ。とわたしは侍女にあるまじき盛大なため息をついた。
それでも、男は動かない。
美しい、と表現した方が形容しやすい人物だった。
すらりと高い背にまとわりついているのは銀色の長い髪。
同色の長いまつげに、透き通るアメジストの瞳。
金色の長いイヤリングが髪の隙間からきらりと光り、わたしだけを瞬きもせずじっと見つめていた。
儚げな印象を携えて、微笑みを携えて。
「……みなさま出ていかれましたよ、エルンスト様?」
ためしに声をかけてみると、笑みが深くなった。
そうしてようやく動き出したと思えば、向かう先は扉ではなくわたしの方。
やたらに長い脚は逃げる間もなく距離を詰められ、
手を伸ばしたら一瞬、わたしは顎を掴まれていた。
「ファシリナ」
耳をくすぐる声。わたしは鼓動の速さを感じながら眉間に皺を寄せた。
「その目の下の隈はいかがなさったのですか?」
アリに言われて直した化粧が全く役に立たなかったらしい。
そう考えているとあっという間にわたしの目の下に親指が走って、動揺でぶるりと震える。
「昨晩はよく眠れなかったのでしょうか?」
「そ、そんなことありませんが?」
「顔見ればすぐにわかりますよ、嘘はいけませんね」
「……ずいぶんと自信がおありなようで?じゃあどうして寝不足か当ててくださいます?」
「そうですね……読書に没頭してしまったのでしょうか?」
「残念でしたわねエルンスト様!頭痛ですわ!!」
「……頭痛?」
女性も顔負けの美しい顔から、笑みが消えた。
あ、発言を間違えた気がする。
そんなことを思ったが最後、わたしはぼふんっと音がする勢いで顔が埋まっていた。
目の前の男の胸板に。
「~~~!!は、はな、はははな」
「なんて大変な重いをなさったのでしょう……!あなたが苦しむ中、僕はのうのうと眠っていただなんて、昨晩の自分があまりにも許せません!
今も痛むのですか!?どこが、どのように!?」
「もう治ってます!治ってますから離してください!?」
「辛いときはちゃんとご連絡をくださいとお伝えしたではありませんか!?」
確かに言ってたけど言うわけないでしょうが!!
そう叫びたい気持ちを抑えつつ胸板を押し返して、わたしはなぜか息を粗くしながら『護衛隊専属の国家魔術師様』を睨みつけた。
「あなたに言うつもりはありません!」
「そんなっ……ああ、僕がその痛みを引き受けられたらよかったのに……」
「もしそんなことができたとしても渡しませんわ!人に押し付けて楽するなんて嫌です」
「あなたから受ける痛みならむしろご褒美です!」
「喜ばないでこの変態!!」
「……そんなに拒否されると、僕は悲しいです」
彼は胸に手を当てて、わざとらしく悲しい顔をした。
ひとつまばたきをすれば、その瞳が水の中に落ちたように潤っていく。
「あなたを、こんなにも愛しているのに」
「ひっひゃあああああああ!」
誰にも届かない、
というか、
届いていたとしても庭の鳥が鳴いている程度の扱いをされるわたしの悲鳴が
今日も教会に響いていった。
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