第497話

 神谷は恐る恐る顔を上げ、目を見開いた。

「な、長瀬くん? なぜ君がこんなところに……」

「君に会えるかもしれないと踏んでね」

 長瀬宗太郎のまさかの登場には、私も唖然とする。

 宗太郎さんは眉ひとつ動かさずに、神谷にあることを打ち明けた。

「神谷くん。どうして音楽業界で君が立場を失ったか、まだわからないのかい? 業界のみんなは当時から気付いてたんだよ。『ソラのスピカ』は君の作品ではないことに」

 その事実には私のみならず、響希さんや麗奈さんも驚愕。

「パ、パパは知ってたの?」

「僕だけじゃない。少なくともプロは全員、知ってたさ。それまで神谷くんが作曲してたものと『ソラのスピカ』は、まったくの別物だったからね」

 私と神谷の『嘘』は最初から見抜かれていたのね。

「だけど、児童合唱団スピカの先生が手掛けたということで、マスコミが注目したんだ。そこから先の顛末は、わかるだろう?」

 マスコミが欲するのは名曲そのものじゃなく、あくまでセンセーション。神谷の吹聴もあって、私の『ソラのスピカ』は評価だけが独り歩きを始めた――と。

「まあマスコミの中には真相に勘付いて、僕に質問に来る記者もいたけど」

 麗奈さんは冷静に相槌を打つ。

「下手に関わったところで、マスコミが今度は長瀬宗太郎の名前を前面に出して、盗作だ何だと騒ぎ立てる……と、判断されたんですね」

「ああ。音楽仲間たちとも相談してね。本当の作曲者には申し訳ないが、静観を決め込むことにしたんだ。だが、それが栞ちゃんを苦しめることになるとは」

「――嘘だっ!」

 悲鳴のような声で、神谷は宗太郎さんの話に割り込んだ。

「君やほかの連中が知ってたうえで、黙ってたなんて……そ、そんなことが……」

 しかし反論は続かず、語気は尻すぼみに消えていく。

 今まさに理解したんでしょうね。自分が業界の誰からも相手にされなくなった理由を。盗作は周知の事実だったことを。

 宗太郎さんの言葉に全員が耳を傾ける。

「売名ばかりを考え、パワハラ紛いの方法で小学生の曲を奪った。本来は生徒を応援すべき歌の先生が、だよ。こうなっては残念だが……君に音楽をやる資格はない」

 それきり神谷は頭を垂れ、動かなくなった。

 宗太郎さんは慌てたように律夏ちゃんのもとへ駆け寄る。

「そんなことより律夏ちゃん、怪我はないかい? 無茶が過ぎるよ、刃物を持ってるような相手に……僕がもう少し早く出ていれば」

 律夏さんは苦笑い。

「パパさんもごめん……キレちゃったの、マジで反省してるから」

「まあ、無事で何よりさ。栞ちゃんも」

 やがて通報を受け、警察の一団が駆けつけた。リーダーらしい婦警さんが、蛇のような目つきで指揮を執る。

「凶器は確保したな。ただちに指紋の検出に当たれ」

 神谷は現行犯で逮捕。抵抗せず、呆然自失とした様子で連行されていった。

 それだけ真相がショックだったのよ。盗作は当時からバレていた、そのために業界で居場所をなくし、追い詰められて……。

 環さんがぽつりと漏らす。

「あんなふうには、なりたくありませんね」

「ならないよ。わたしたちは」

 断言したのは響希さん。

 誰とて道を間違えることはあるかもしれない。でも、私たちには仲間がいるから。宗太郎さんも見守ってくれているから、きっと間違えずに済むわ。

 その後、私たちは事件の当事者として粛々と取り調べを受けることに。

 若手の警官が困惑の色を浮かべる。

「ちょっとマズいですね。凶器を持った犯人を、逆に暴行してしまうとは……」

 律夏さんの顔が強張った。

 響希さんと宗太郎さんは何とか律夏さんを庇おうと、前のめりになる。

「り、律夏ちゃんは栞ちゃんのために……だから、その」

「彼女は未成年です。その件は僕の管理不行き届きという形で」

「だめだってば、パパさん! パパさんは何も」

 負けじと律夏さんも声を荒らげ、お巡りさんはますます困った表情に。お巡りさんのほうも律夏ちゃんに非はないと思ってくれてるから、対応を躊躇ってる。

「ど、どうしましょう? 神宮寺さん」

「やれやれ……。昨日は高須賀がやってくれたと思えば、今度は」

 婦警の神宮寺さんは私たちをぎろっと睨むと、面倒くさそうに吐き捨てた。

「供述を聞いてなかったのか? 貴様。やつは逃げようとして、エスカレーターから転げ落ちたんだろうが」

「……え?」

 私たちは一様に目を点にする。

 さらに神宮寺さんは律夏さんを一瞥し、

「本件とは関係のない話だが、まあ……殴りたくなったら、ボクシングジムへ行け」

 部下のお巡りさんはすっきりした顔で敬礼した。

「昇りのエスカレーターから降りようとするとは、馬鹿なやつです」

「小悪党の末路なんぞ、そんなものだ。引きあげるぞ」

 あの婦警さん、律夏さんをお咎めなしで済ませてくれたんだわ。神谷がひとりで転んだのなら、誰の責任にもならない。

 肩透かしでも食ったように宗太郎さんが笑み崩れた。

「参ったねえ……色々とグレーな気もするけど」

 警察が撤収してから、改めて私はANGEのメンバーと対面する。

 響希さんと、律夏さんと、麗奈さんと、環さんと。少し離れたところで、GREATESSのメンバーも見守ってる。

「ご心配をお掛けしたみたいで……本当にごめんなさい」

「そんな……栞ちゃんが謝ることなんて、全然」

 響希さんは庇ってくれるものの、私がANGEに危機を招いたのは事実よ。ANGEがこれからという時期に、いきなり辞めるなんて言い出したんだもの。

 だけど今日、決着がついたわ。

 私の音楽を蝕み続けていた『呪い』は消え、やっと自由を取り戻せたのだから。

 だから――私は響希さんの手を取り、また泣きそうになる。

「それで、あの……辞めるって言ったの、撤回して、またみなさんと一緒に……や、演りたいんですけど。だめ……でしょうか?」

 でも大事なことだから、途中で泣いたりせずに言えたわ。

 律夏さんがウインクを決める。

「浮き沈みの激しいのが、栞チャンだもんね」

「そこまで沈みっ放しじゃないわよ? 栞先輩は」

 うぐ……環さんのフォローは手厳しい。

 麗奈さんは響希さんの背中を押しながら、柔らかな笑みを浮かべた。

「私も異論ないわよ。あとはリーダー次第じゃないかしら」

「え、ええっと……」

 響希さんは頬を染め、私の手をしっかりと包み込む。

「おかえりなさい、栞ちゃん!」

「……はいっ!」

 居場所がある――そんな当たり前のことが、無性に嬉しかった。

でも一部始終を見ていた妹の詠が、ニヤリとやにさがるのが、無性に腹立つ。

「もう入れ替わりできそーにないよねぇ、お姉ちゃん。この友情は真似できないもん」

「今すぐ記憶を消して」

 妹にすべてを知られたのは、一生の不覚。

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