第496話

 わたしが俯く一方で、響希さんはおもむろに顔をあげた。

「あれ……? もしかして、この曲……栞ちゃんが作ったんじゃ……」

「まだ教えてないのに、よくわかったわね。響希」

 麗奈さんがおよそ五年前の真相を明かす。

「栞さんは児童合唱団スピカに在籍していた歌手だったの。そして歌のみならず、作曲も手掛けていた。その曲のひとつが『ソラのスピカ』なのよ」

 律夏さんは歯噛みした。

「けど、そいつが横取りして、自分の名前で発表したんだよ! 栞チャンの曲を!」

 環さんさえ怒って、吼える。

「小学生の曲を奪って、恥ずかしくないんですか? それでも音楽家ですか!」

 さすがに効いたのか、神谷はがくりとうなだれた。己の所業を大勢の前で暴かれたんだもの。平然としていられるはずがないわ。

 しかし――私を散々苦しめた下衆は、愉快そうに唸った。

「……フン。それがどうした?」

 昔の私を恫喝したのと同じ低い声が、身体中の嫌悪感を逆撫でする。鳥肌が立つ。

「所詮は小学生の書いた曲だぞ? 誰が見たって拙い曲だった。それを俺が徹底的にブラッシュアップして、名曲に仕立ててやったんだ。感謝して欲しいくらいだな」

「……ッ!」

 開きなおった犯人の言い分に、響希さんは絶句する。

 さらに神谷はまくし立てた。

「そうさ、俺のおかげだ。俺は大羽の原曲を、あくまでヒントにして、本物の『ソラのスピカ』を作曲したんだよ。だから、あれは俺の曲だ!」

 なんて……なんて自分勝手な発想なの?

 真相は暴かれたにもかかわらず、この男はまだ己の非を認めようとしない。それどころか、自分にこそ正義があると言いたげに、堂々と胸を張る。

「大羽の落書きは、俺が解釈してやってこそ、なんだよ。わかったら、どけッ!」

 罵られてるのは私なのに、響希さんが涙を噛んだ。

「落書き? 栞ちゃんが一生懸命書いた、大事な曲を……酷いよっ!」

「お前らには関係ないだろ。さあ、どけ! 怪我をしたくなかったらなあ!」

 とうとう神谷はナイフを取り出し、私たちを威嚇する。

 周囲のスタッフが動揺する中、麗奈さんは冷めた表情で呟いた。

「おしまいね。このひと」

 それが癪に障ったのか、神谷は激昂する。

「うるせえ! ぶっころ――おがッ?」

 しかし次の瞬間、神谷の手から誰も傷つけることなくナイフが落ちた。憎たらしい神谷の顔面に、強烈なストレートがめり込む。

「もう喋んなッ!」

 律夏さんだった。神谷の少ない頭髪を掴んで、また顔面に膝蹴り。

「ぐあああっ? あぐぅ、やめ……や、やめてくれえ!」

 たったの二発で神谷の顔はひしゃげ、血まみれになった。自力で立ちあがることもままならず、這い蹲った格好で、今さら許しを乞い始める。

「おぉ、俺が悪かった! もう二度と大羽には近づかない、だか、ぎゃへあっ!」

「二発や三発で済むと思うなよ? 栞チャンの痛みはまだまだ!」

 容赦なしに律夏さんは、足元のそれを蹴り飛ばした。

「こんなもんじゃないんだ!」

 もう見てられない。

 神谷が痛めつけられるのを見たって、私には何のカタルシスもないのよ。それより律夏さんの暴走を止めるほうが先決で、私は必死に、律夏さんの右腕にしがみつく。

「やめてください! もう、もういいですから……ひぐっ、こんなひとのために……律夏さんの綺麗な手を、あぅ、汚さないで……!」

「……栞チャン?」

 自分の曲を虐げられるよりも、つらいことがあった。

 友達を己の業に巻き込むこと。律夏さんが真剣に怒ってくれるからこそ、私の罪悪感はいっそう膨れあがる。

 左腕のほうにも響希さんが必死にしがみついた。

「栞ちゃんの言う通りだよ! 律夏ちゃんの気持ちは、わかったから……!」

 目の前では、神谷が土下座で命乞い。

律夏ちゃんは怒気を鎮めると、私と響希さんに『ごめん』と呟いた。

「カッとなっちゃって……栞チャンの十分の一でも、あたし、報復してやりたくってさ」

 律夏さんの自嘲めいた言葉が、、私の心の琴線に触れる。

「もう充分、れす……ひっく、ありがとぉごらいます、りぃ、律夏ひゃん……っ!」

 すぐ隣で響希さんも嗚咽を漏らしてた。

「響希チャンもごめんね? 怖い思いさせちゃって」

「ううん……律夏ちゃんが無事なら、もお、それで……うぇえ」

 麗奈さんと環さんはほっと胸を撫でおろす。

 そんなふたりの間から、一流の音楽家が歩み出てきた。

「いい加減にしないか。神谷くん」

神谷次郎を一瞥し、穏やかに言い聞かせる。だけど表情は硬い。

 響希さんのお父さんだわ。

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