第482話
いよいよレコーディングの当日がやってくる。
さすがに昨夜はなかなか寝付けなくて、少し眠い。だから濃いめのコーヒーを飲んで、レコーディングの一時間前には眠気を払拭しておいた。
ついでにPVも撮影することになったから、衣装に着替える。
「おかしくない? ほんっとーに変じゃない? 響希ぃ」
「どうかなあ? 律夏ちゃん」
「そうだね。リボンはもう少し……」
環さんは往生際の悪い抵抗を続け、響希さんと律夏さんは彼女のスタイルアップに熱中してた。今日がファーストシングルの収録だろうと平常運転なのは、頼もしいわ。
「先に行ってますよ」
「はぁーい」
私は一足先にスタジオ入りして、念入りにベースを調整。
と思いきや、麗奈さんもあとを追ってきた。
「もしかして、栞さんも?」
「はい」
気が気じゃないのは同じみたいね。
でも、私はまた別の理由で気疲れする羽目になった。だって……麗奈さんとふたりきりだなんて、何を話せばいいのやら。
「栞さんはベース、長いんでしょう? 何年くらい?」
「4、5年は触ってますね」
かろうじて質問に答えることはできるものの、こっちは話題が浮かばない。
何しろ私は麗奈さんに初めて会った時、喧嘩を売ってるんだもの。ほら、麗奈さんが響希さんを拒絶して、揉めた時のことよ。
和解は成立した、とはいえ……私と麗奈さんの距離はそれほど近くなかった。いつもは間に響希さんや律夏さんが入ってくれるから、同じバンドのメンバーでいられる感じ。
それは麗奈さんのほうも感じてるのか、素振りが少しぎこちなかった。
「その……栞さんはどう? 作曲の件で急かされりしてないかしら」
「そのことでしたら、雲雀さんから少々。新曲の提出が途切れていたもので……」
間が持たない分は、ベースの調整に耽ってるフリで誤魔化す。
麗奈さんはアンニュイな溜息を漏らした。
「実は私もなのよ。チャンスなんだからガンガン書け、って」
雲雀Pは麗奈さんをギタリストとしてのみならず、作曲家としても使いたがってる。それはプロ志望の麗奈さんにとって僥倖のはずよね。
しかし麗奈さんは曲を書こうとせず、ギターに集中していた。
同じ作曲家の端くれとして、私は慎重に問いただす。
「どうして書かないんですか?」
「そうね……」
麗奈さんの瞳が遠い虚空を見詰めた。
「自分でも不思議なのよ。曲を見てもらえるんだから、もっと書けばいいのに……って。けど、別に曲の出来を否定されるのが、怖いわけでもなくって……」
懺悔じみた物言いが、自然と私を納得させる。
「責任、ですか」
「……ええ」
新曲を提出して、雲雀Pのお眼鏡に適ったらゴール――じゃないのよ。その曲はANGEのみんなで練習し、ANGEの楽曲として、世に出すことになるから。
「下手な曲を演奏させて、ANGEの評判を落とすわけにはいかないもの。って……そう考えたら、自分の書く曲に疑問を感じるようになっちゃってね」
私と同じ悩みだった。実際このプレッシャーに耐えきれず、私は麗奈さんの曲も同等に採用して欲しい、と考えてしまったんだもの。
「私の曲がANGEのバランスを、おかしな方向に傾けるかもしれない。それでも自分の音楽は押し通したいだなんて、身勝手な話でしょう?」
だから『責任』なの。ANGEのメンバー、ひいてはVCプロのスタッフを巻き込むことになるからこそ、作曲家には背負うべき責任と、果たすべき義務がある。
奇しくも、それは先日の雲雀さんの言葉にもあった。
『大羽の場合はずっと個人でやってたわけだしな。私に楽曲を弄りまわされたり、パートデュエットを押しつけられたりで、フラストレーションも溜まってんだろ』
個人的な嗜好に過ぎないものを『音楽性』と体よく言い換えながら、我を通す。
でも、それじゃ粗暴な連中と同じよ。
『この業界で手柄を欲しがるやつほど、そうやって、ひとの作ったもんを平気でないがしろにする。俺のほうがわかってる、売るための戦略だなんて、偉そうに言ってなぁ。私もスターライトプロでそんな現場を、嫌ってほど見た』
だから――私たちは本当に楽曲のためになる善意と、楽曲を食い散らかす悪意とを見極めなければならなかった。
それが『自分のキャリアと自分の作品を守る』ことにも繋がるんだわ。
「まあ響希はそこまで考えてないでしょうけど」
「そこが響希さんのいいところですよ」
「ふふっ。確かに」
麗奈さんは穏やかな笑みを綻ばせると、付け加えた。
「あ、勘違いしないで? 何も曲を書きたくないって話じゃないのよ。今は無暗に書くより、気持ちを整理したい、というべきかしら」
「じゃあ整理がついたら、どんどん書いてくれるんですね」
「ええ、きっと。それまで焦らずに行こうと思うわ」
道理で……麗奈さんのギター、最近は余裕が出てきたわけね。
「今日はお互い頑張りましょう。麗奈さん」
「もちろんよ。栞さん」
麗奈さんと少し歩み寄れた気がした。
やがて響希さんたちと、レコーディングのスタッフも集合。雲雀Pと月島さんも駆けつけ、レコーディングが始まる。
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