第470話

 あっつ~い!

 詠ちゃんに誘われ、みんなで秋葉原へ出てきたはいいものの。八月の過酷な日差しに晒され、律夏ちゃんのHPも消耗の一途を辿ってた。

「早くどっか入ってさあ、涼まなぁい?」

「この暑さだもの。無理もないわ」

 麗奈ちゃんも額に汗を浮かべつつ、恨めしそうに真夏の太陽を仰いだ。

 どうにか目的のビルへ辿り着き、冷房の風で息を吹き返す。

「ふう~っ。水筒を持ってきて、正解だったよ」

「パパさんが持たせてくれたんでしょ? あたしはジュース買ってくるから」

「待って、律夏。私も」

 ミュージック・フェスタの大一番を経て、律夏ちゃんと麗奈ちゃんも打ち解けてた。環ちゃんとも少しずつ距離が縮まってるし、大丈夫だよね。

「お待たせ。で……詠ちゃんはどこって?」

「八階のイベントスペース、だって」

 このビルの七階は、フロアが丸ごとCDショップになってた。でね、アーティストがサイン会なんかを開催するのが、八階のイベント用フロアらしいの。

「あたしたちもCD出したら、ここでサイン会しちゃおっか」

「できるの? そんなこと」

「ありうる話だよ? 本格的にデビューしたら、サイン会のひとつくらい」

 アイドルの経験があるだけに、律夏ちゃんは平然と言ってのけた。でも私や麗奈ちゃんはまだ実感できず、一緒に首を傾げる。

「サイン会……ね。それより練習するべきじゃないの?」

「サインの?」

「ライブの練習に決まってるでしょ」

「どうかなあ? 井上さんも一昨日、音楽以外の仕事も必要だって言ってたし」

 そんなわたしたちを律夏ちゃんが軽く窘めた。

「そーいうことは、もっとファンが増えてから考えなよ、ふたりとも」

「律夏の言う通りね」

 ANGEが売れるか売れないかなんて、まだ誰にもわからない。秋からのバンド活動も成功するとは限らないもんね。

 実際、わたしはフェスタで一度やらかしてるから、前ほど楽天的にはなれなかった。

 みんなの力を借りたうえでステージに立つんだから、わたしには責任がある。ただ、その責任に飲まれないように――あの失敗で学んだことは、肝に銘じてるよ。

「響希、詠さんに掛けてみたら?」

「そうだね」

 わたしはケータイで詠ちゃんを呼び出す。

『あっ、響希っち? 整理券渡すから、先に七階に寄ってくれる?』

「うん。わかったー」

 エレベーターで七階へ上がるや、大音量のBGMに迎えられた。

 CDショップのパワーレコード、通称『パワレコ』だね。ポップスを中心にメジャー、インディーズともに幅広く揃ってて、わたしも別の店舗をよく利用してる。

「麗奈ちゃんもパワレコで買ったりするの?」

「ええ。試聴もできるし」

 新曲のコーナーには観音玲美子の最新アルバムが積まれてあった。

 清純派アイドルにして抜群の歌唱力を誇る、観音玲美子さん。ビジュアル性も完璧で、アルバムのポスターは眩しいほどに輝いてる。

「みねみーだよ、みねみー!」

「観音……玲美子さんのこと? そう呼ぶの?」

 観音さんの歌はパパもすっごく褒めてた。観音玲美子が主演のドラマを録画するくらいだから、歌以外もお気に入りのようで。

「ねえ、律夏ちゃんも――」

 そうやって、わたしと麗奈ちゃんで盛りあがる一方で、律夏ちゃんは隣のコーナーを前に立ち竦んでいた。

 CDの販促ポスターを飾ってるのは、三人組の女の子。

 小学生でデビューしてから五周年を迎えた、CLOVERの面々だったの。

 律夏ちゃんは空笑いで誤魔化そうとする。

「アハハ……頑張ってんじゃん、あいつら。一枚、買ってこうかな」

 そう言いながらも、律夏ちゃんの手がCLOVERの新曲に伸びることはなかった。

 寂しげな後ろ姿にわたしは声を掛けようとするも、律夏ちゃんがかぶりを振る。

(今はそっとしておいてあげましょう。響希)

(う、うん……)

 葛葉律夏は中一の時、暴力沙汰でCLOVERを脱退していた。バラエティー番組の収録中にメンバーを殴ったって、報道もされてる。

 だけど、本当に?

 お調子者でも友達想いの、あの律夏ちゃんが……どうして?

「おっ、響希っち! りっつぅ~!」

 そこへ詠ちゃんがやってきて、沈痛な雰囲気は霧散した。

「……あれ? お姉ちゃんは?」

「環ちゃんと一緒にお仕事だよ。お昼から合流するって」

「なーんだ。……っと、これが整理券ね」

 説明もなしにひとりずつ整理券を手渡され、わたしたちはきょとんとする。 

「上で何が始まるの?」

「それは来てからのお楽しみっ」

 八階で今日催されるのが、ロボットアニメのイベントだってことは知ってた。会場のスケジュールを調べたところ、そう書いてあったの。

 なんでも『GREATESS』ってグループが、挨拶に来るんだとか?

 だけど、わたしも麗奈ちゃんもロボットアニメなんて知らないから、今日のイベントもさほど興味はなかったんだよね。詠ちゃんには悪いけど。

 むしろ今は『プリズムキュート』を観なくちゃって思ってる。

「詠さんの推しなの? GREATESSって」

「どーかなぁー?」

「にしても詠チャン、今日は決まってるね」

 詠ちゃんはカットソーとロングパンツで爽やか系のボーイッシュを演じてた。栞ちゃんと同じ顔つきでも、コーディネイトの方向性は全然、違うんだなあ。

「でっしょー? スカートだと、男子の目も気になるし」

 詠ちゃんがふふんと鼻を高くする。

 わたしと律夏ちゃんは麗奈ちゃんを壁にしつつ、声を潜めた。

「出たよ、リア充発言。……どうする? 響希チャン」

「あのプロフィールの件も追及しないとね。おしおきの内容は栞ちゃんが考えて……」

「あとで私も手伝ってあげるから。行くわよ? ふたりとも」

「何コソコソやってんのぉ? 早く来てよね」

 能天気なターゲットは矛先を向けられてるとも知らず、一足先にエスカレーターで上の階へ。あとを追って、わたしたちも八階へ辿り着く。

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