第469話
翌々日、私は環さんとふたりでオーディションへ。
会場は前にボイス収録で訪れた、マーベラス芸能プロダクション。雲雀Pの車で駐車場から入場し、セキュリティゲートをくぐる。
「月島がいねえと困るよなあ……」
「マーベラスプロで顔が利くから、ですか?」
「そうじゃなくって。お前らの送り迎えがあるから、昨夜は飲めなかったんだよ」
酒飲みの発想には呆れた。隣の環さんもげんなりとしてる。
「平日は我慢するとか、ないんですかぁ? はあ……」
「だ、だから飲まなかったって、言ってんだろ。ったく、生意気なJKめ」
「環さんはJCですけどね」
雲雀さんって女性なのに、発言がオッサ……オジサマなのよね。
「そんじゃ、終わった頃に迎えに来てやっから。頑張れよー」
雲雀Pは私たちを降ろすだけ降ろすと、早々と引き返していった。
マーベラスプロに来るのは二回目だから、私たちだけでも何とかなるかしら? 不安そうな環さんを連れ、地下の駐車場から事務所の中へ。
「あのぅ……栞先輩?」
「大丈夫ですよ。憶えてますので」
けれども内心、私は動揺に陥りつつあった。
麗奈さんほどじゃない、とはいえ……篠宮環さんも少し苦手なのよ、実は。
「一回来ただけで、もう憶えちゃったんですか? さすが栞先輩ですっ!」
「え、ええ……まあ」
特にこの『尊敬のまなざし』がツラい。
どうやら環さんは大羽栞が高二の先輩だってことで、私を美化してるみたいなのよ。
仮に私と響希さんとで同じ失敗をすると、響希さんの場合は、
『ぼーっとしてるから。栞先輩を見習いなさいよ』
逆に私の場合は、
『響希が邪魔するからでしょ。もぉー』
そのうち響希さんや律夏さんから宣戦布告されるかもしれないわ。
当然、可愛い後輩の期待には応えなくちゃいけないわけで。
「ここは任せてください」
頭の中では未成年を放ったらかしの雲雀Pに、ありったけの呪詛を唱えつつ、エントランスの受付で要件を伝える。
「VCプロの大羽様と篠宮様ですね。伺っております」
「ありがとうございます。では」
一番右のエレベーターが開いた。行き先は前回と同じ第三スタジオね。
「あ、待って!」
ところが、同じエレベーターへ誰かが早足で駆け込んできたの。
彼女の顔立ちを前にして、私も、環さんも目を見張る。
え……ええええ~っ?
口を開けても、声が声にならなかったわ。
だって――目の前にいるのは、あの『観音怜美子』なんだもの。しかもエレベーターの中だから、距離が近い。
有栖川刹那と鉢合わせになった時と違い、響希さんを盾にはできないし。
環さんの手前、わたしが前に出るしかなくなる。
「あら、あなたたちも五階なのね」
「は、はい……」
間もなく扉は閉まり、エレベーターが上昇を始めた。
しかし街を一望できても、景色どころじゃない。観音玲美子さんの存在感に気圧され、私も環さんも神妙な面持ちで口を噤む。
やがてエレベーターは五階へ到着し、自動でドアが開いた。
何事もなく切り抜けた……と、私はほっとする。
「あなたたち、何番のスタジオへ行くの?」
と思いきや、観音さんからの質問。
「えっ? あの、第三ですけど」
動揺のせいか、後ろの環さんが口を滑らせてしまった。
「候補生じゃなくって、外部の子でしょ? 案内してあげるわ」
「え……でも」
場所はわかります、と断ろうにも、観音さんのプレッシャーがそれを許さない。
「大先輩の厚意は素直に受けるものよ」
観音さんはほくそ笑むと、すたすたと歩きだした。
観音玲美子といったら『清純派アイドル』のイメージだけど……。小脇に抱えてるのはタイヤキの包みね、多分。
「ほんともう、暑くて嫌になっちゃうわね。あなたたち、まさか歩いて?」
「いいえ、プロデューサーの車で」
「そのプロデューサーはどこよ? あなたたちだけで?」
「ちょっといい加減なひとで、ええと……」
あとで環さんと、雲雀Pの悪口大会でもしようか。
「よそのタレントってことは、VCプロでしょう? 正解?」
観音さんに一発で言い当てられ、私は外来用のパスを確認する。
「わかるんですか?」
「適当に言ってみただけよ。最近、VCプロとの間で色々動きもあるみたいだから」
思い当たる節はあった。マーベラスプロ所属の玄武リカが、VCプロへ移籍したとか。もともと井上さんはマーベラスプロの社員だから、コネも生きてるはず。
「ふたりは何の仕事で来たの?」
これって情報の漏洩になるんじゃ……とは思うものの、観音さんの質問を無下にできるはずもなかった。すっかり委縮してる環さんに代わって、私が答える。
「これから声優のオーディションがあるんです」
ほんの一瞬、観音さんの表情が強張った。
「……ふぅん。第三スタジオはそっちよ、頑張って」
観音さんは無造作に前方を指差すと、タイヤキを頬張りながら踵を返した。
「まふゃね? せいゆーのたまごはん」
えぇと……『またね、声優の卵さん』って言ったのかしら。
緊迫感から解放されるや、環さんは胸を撫でおろす。
「はあ……びっくりしましたね。まさか、あの観音玲美子に出くわすなんて……」
「同感です。さすがマーベラスプロ、伊達じゃありません」
改めて、ここが業界最大手の芸能事務所だってことを実感したわ。
落ち着いたところで第三スタジオへ。そこから先はトントン拍子に進む。
「VCプロの、えーと……大羽栞さんに篠宮環さん、ね。聞いてるよー。準備ができるまで、そっちの控え室で待っててくれるかい?」
「はい。わかりました」
スタジオではすでに何人もの声優がスタンバイしてた。
私たちと同世代……でもないわね。見たところ二十代や三十代のひとが過半数を占め、私や環さんはどうしても浮く。
だから、会話はなるべく小声で。
「ほかのひとの審査も見学できるんですね」
「それが普通じゃないんですか?」
「あ、いえ……わたしも初めてなので、テキトーに言っただけでして」
やがて開始の時間になり、スタッフが点呼を取り始めた。
「しのみや……篠宮環さーん!」
「ひゃ、ひゃいっ!」
緊張が過ぎて返事を噛む、環さん。
次にスタッフは私を呼ぼうとして、目を点にした。
「それから、えぇと……あれ? 大羽さんも今日のオーディション、受けるんですか?」
「え?」
面識のないはずのスタッフが、どうして私にそんなこと……?
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