第430話

 その二日後、わたしたちは隣のスポーツジムへ。

 井上さんが日課のついでに集めた優待券で、プールへ入場する。

 でもジムのプールはレジャー向けじゃなくて、あくまでフィットネス用だった。屋内にあって、学校のと同じ長方形の水面を揺らめかせてる。

 プールサイドには自販機があるだけ。

 また曜日と時間帯によって、利用者は男子と女子に分けられていた。本日の午後は女子限定で、夏休みのせいか、そこそこの客入りで賑わってる。

 わたしと律夏ちゃん、栞ちゃんのS女子トリオは、スクール水着でプールサイドに集合した。準備体操がてら四肢を適度にほぐす。

 L女の麗奈ちゃんは少し遅れて、やってきた。

「着替えるのが早いったら、あなたたち」

「スタジオから目と鼻の先だよ? 麗奈ちゃんも着てくればよか……」

 と言いかけ、わたしは目を丸くする。

 ストレッチの最中のポーズで、律夏ちゃんと栞ちゃんの動きも一時停止した。

「麗奈……あんたさあ」

「そんなに楽しみだったんですか? プール」

 それもそのはず、麗奈ちゃんだけ艶めかしいビキニのスタイルだったの。おまけに小脇に浮き輪を抱え、遊ぶ気満々なのは誰の目にも明らか。

 麗奈ちゃんの顔が真っ赤に染まる。

「ちちっ、ちょっと? あなたたちこそ、どうしてスクール水着なんかで……」

「いや、だから……遊園地のプールじゃないんだし。ねえ? 栞チャン」

 どうやらS女子の面子と麗奈ちゃんの間で、本日のプールについて認識のズレがあったみたい。浮き輪にしても、このプールにはビート板があるわけで。

 麗奈ちゃんはその場で蹲り、両手で頭を抱え込んだ。

「あ~~~、もうっ! またプールで失敗? 一度ならず二度までもっ!」

 栞ちゃんは呆れ、律夏ちゃんは笑いを堪える。

「一度目は何をやったんですか……?」

「うくくっ! 学校のプールで下着を忘れた、とかじゃない?」

 小学生の頃、そんなこともあったなあ。わたしじゃなくて麗奈ちゃんが。



 余所のライブハウスへの遠征も、今日で最後だね。

 今回はミュージック・フェスタに先駆け、ステージ衣装で演奏することに。ステージに楽器を搬入してから、わたしたちは楽屋で着替えを済ませる。

 麗奈ちゃんは恥ずかしそうに頬を赤らめた。

「こ、これで演るのね……」

 わたしと律夏ちゃんは一緒に頷く。

「うんうん! 似合ってるよ、麗奈ちゃん。昨日の水着くらい可愛い」

「えー? 昨日のほうが可愛くなかった? プールでひとりだけビキニでさあ~」

 麗奈ちゃんの脳天から湯気が噴いた。

「もう忘れなさいってば! ……じゃなくて、忘れさせてっ!」

 でもゴスロリ風のスタイルで怒ったところで、説得力はないよね。

 わたしも麗奈ちゃんと似たような恰好でターンを決めた。スカートが翻るとともに、背中のリボンが尻尾みたいに波を打つ。

「すっごく可愛いよね、これ。わたしなんかが着ちゃって、いいのかなあ」

「謙遜することないよ、響希チャン。可愛い、可愛い」

 律夏ちゃんはさすが元アイドルだけあって、ばっちり決まってた。白銀のアクセがスタイリッシュな印象を引き締める。

 どれも咲哉さんのおかげだよ。限られた予算の中で、洋服を集め、人数分のコーディネイトをしてくれたの。それぞれ細部は異なるものの、統一感は保たれてる。

 これならライブも盛りあがるよね、きっと。

 ただ……ひとりだけ、この可憐なドレスに気後れしまくってるメンバーがいた。栞ちゃんは壁に両手をつき、真っ青になってうなだれる。

「こんな恰好で人前に……死にます。恥ずかしすぎて、しっ、死にます……!」

 大袈裟だなあ。

 わたしと律夏ちゃんは栞ちゃんを挟んで、発破を掛けた。

「大丈夫だよ、栞ちゃん。昨日の麗奈ちゃんよりは恥ずかしくないから」

「そーそー。ひとりだけ浮き輪持ってるわけでもないし……ねっ」

 栞ちゃんはおもむろに顔を上げ、同じゴスロリ姿の麗奈ちゃんを一瞥する。

「麗奈さんよりは……あぁ、なるほど」

「納得しないでっ!」

 メンバー間であわや一触即発、というタイミングでノックの音がした。

 応援に駆けつけてくれたのは、ボーカル候補の環ちゃん。

「きゃあああ~っ! 速見坂先輩、素敵ですぅ!」

 麗奈ちゃんの恰好を目の当たりにするや、環ちゃんは爛々と瞳を輝かせた。感慨深そうに見惚れながら、まくし立てるの。

「もぉ最高です、速見坂先輩! ANGEの名に相応しい天使そのもので……今日のライブで、きっとファンも増えちゃいますよ。ライバルが増えるのは複雑ですけどぉ」

 さっきまで怒ってた麗奈ちゃんが、ありありと照れる。

「そ、そうかしら……? でも天使だなんて持ちあげすぎよ、篠宮さん」

「いいえっ! 速見坂先輩はANGEのヒロインですから!」

 さらに麗奈ちゃんをヨイショしつつ、環ちゃんはしれっとわたしに視線を投げた。

「今日はしっかり速見坂先輩を引き立てるのよ? 響希」

「あれ? 環ちゃん、わたしの分の応援は?」

 この愛らしい後輩に慕われる日は、来るのかなあ……はあ。

 マネージャーの月島さんが楽屋へ様子を見に来る。

「みなさん、準備はできましたか? ライブハウスでの実演はひとまず今日で最後となりますので、頑張ってくださいね」

「はいっ!」

 元気に返事をしないのは、栞ちゃんだけ。

「もう逃げたいんですが……」

「そんなカッコで、どこへ? 栞チャン」

「なら、せめて心の準備を……二分、いえ、三分ください」

 ステージ衣装のせいか、わたしも少し緊張しちゃった。

 月島さんは環ちゃんを連れ、楽屋を出ていく。

「ではまた、のちほど」

「いっちばん前で観てますから! 速見坂先輩っ」

 それから三分が経ち、わたしたちも腰をあげた。往生際の悪い栞ちゃんを宥めつつ、ライブハウスのステージへ臨む。

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