第427話

 ようやく栞ちゃんは顔をあげるも、ありありと死相を浮かべていた。

「なぜ……」

 その唇が辞世の句を口ずさむ。

「なぜ、水泳大会なんて過酷な行事が、あるんでしょうか……」

 わたしと律夏ちゃんは鏡写しのように顔を見合わせた。

「……夏だから?」

「だよね。プールだってあるんだしさ」

 しかし栞ちゃんは納得せず、反論を続ける。

「生徒数が千人以上のマンモス校だと、プールに入りきらないため、水泳の授業自体がなかったりもするんですよ? つまり水泳は高校の必修科目じゃないんです」

「はあ……それで?」

「ですから、水泳大会などという行事も要らないと、私は声高に主張する所存でして」

 でも栞ちゃんのことだもん、聞くまでもなかった。大体の想像はつく。

 今日は二年生の水泳大会が開催されたはずだから。

「リレーに出場させられちゃった、とか?」

「その通りです。はあ……」

 わたしと律夏ちゃんはもう一度、顔を見合わせる。

「撮影係になったから、出場は少なくて済むって、言ってなかったっけ?」

「だから、かえってリレーに出る羽目になったんじゃない?」

 栞ちゃんは再びデスクに突っ伏し、ぼやいた。

「授業中に好タイムを出してしまったのが、迂闊でした……課題は早く済ませようと思ったのが、仇になったんです」

「栞チャン、もしかして自慢してる?」

「そういうつもりでは……撮影係でほっとしたのも、失敗でした」

 春の球技大会でも栞ちゃんが燃え尽きてたのを思い出す。

 この先輩はプレッシャーに弱いんだよね。とりわけ団体競技が苦手で、我が身の不甲斐なさを認めたうえで、競技そのものの意義に疑問を呈したりするの。

「しかも巡り巡って、優勝が懸かった大一番になったりするんですよ? 案の定、私の番で大きく離されてしまいまして……クラスメートの気遣いがまた、ぶつぶつ……」

 この沼に嵌まってる栞ちゃんのためにできることなんて、ひとつもなかった。わたしと律夏ちゃんは早々と匙を投げ、不毛な自問自答が終わるのを待つことに。

「明日の水泳大会、一組には球技大会の借りを返さないとね」

「ねー。わたしもリレーの第三走者、頑張るぞ~」

 やがて隣の音楽室から吹奏楽部のオーケストラが聴こえてきた。

 大半の部活は夏に大会を控えてるから、試験明けの本日からエンジン全開。しかしブラスバンド部は至って平常運転、今日も部室にいる『部員』は栞ちゃんだけ。

「アンタレスは夏、忙しいの?」

 何気なしに尋ねると、今度こそ栞ちゃんが起きあがった。

「あちこちのライブハウスをまわるそうです。やることは私たちと変わりませんね」

「フェスタには来るわけ?」

「出場の予定は聞いてませんが、おそらく」

 律夏ちゃんは神妙な面持ちで腕を組む。

「栞ちゃんだけフェスタに出場することになって、なんか言われたりしてない?」

「……いいえ? 特には。応援はいただきましたけど」

 栞ちゃんとともにわたしも一度は首を傾げるも、律夏ちゃんの言葉にはっとした。

 S女子学園のブラスバンド部ことアンタレスからすれば、栞ちゃんはひとりだけプロデビューの切符を手にしてるってことだもんね。

 けど、わたしはアンタレスのこと、そこまで否定する気にはなれなかった。同じライブハウスで活動する『仲間』として、信じたいって気持ちのほうが強い。

「考えすぎだよ、律夏ちゃん」

「ごめん、ごめん。アンタレスを貶すつもりはなかったんだ」

 律夏ちゃんはばつが悪そうに苦笑を交えた。

「まあ、あたしもスフィンクスの勧誘を蹴って、こっちに来たからさ。これで無様なステージ見せちゃったら、顔向けできないなあって……」

 水泳大会の虚無感から持ちなおしたはずの栞ちゃんが、またも青ざめる。

「顔向けできない……そんなこと、考えてもみませんでした……」

 この先輩はほんとプレッシャーに弱い。

 でも作曲のセンスは井上さんのお墨付きだし、ベースの技術だって申し分なかった。これまでのライブでも、演奏のほうはしっかりとこなしてる。

 要するにプレッシャーには弱くても、本番には強い?

 いつぞやの詠ちゃんの台詞が脳裏をよぎった。

『お姉ちゃんもほんとは、すっごい上手なんだけどさあ。歌うの』

 話の続きは聞きそびれちゃったなあ……。

 ケータイを立ちあげると、麗奈ちゃんからのメールが届いてた。

「L女は明日まで試験なんだって」

「あっちは水泳大会、終わってんのかな」

「んーと……」

 お返事ついでに聞いてみるものの、回答はなし。麗奈ちゃんはケータイへの依存率が低いから、返事は遅い傾向にあるの。

 ケータイを片手にわたしはガッツポーズで意気込んだ。

「麗奈ちゃんのほうが落ち着いたら、合宿だね!」

 律夏ちゃんが相槌を打つ。

「ライブハウスの遠征がまだ残ってるのも、忘れないでよ? 響希チャン」

「あ、そっか」

「衣装の合わせにも行かないといけませんね」

 ミュージック・フェスタに向け、日に日に忙しくなってきた。

 つい欲が出て、わたしは願望を口にする。

「で……環ちゃんはどうしよっか? 今度の合宿」

 それを栞ちゃんは淡々と否定した。

「さすがに今からでは間に合いませんし、フェスタには『4名で』と申請したはずです。それに、環さんには演劇部の活動もあるでしょうから」

「フェスタが最後ってわけでもないんだしさ。響希ちゃんも気楽に行こうよ」

 最後じゃない――その言葉がわたしをいくらか安堵させる。

「そうだよね、フェスタが終わっても……」

 けど、頭の片隅には引っ掛かるものがあった。

 ミュージック・フェスタのあともわたしは律夏ちゃん、栞ちゃんと一緒にライブができる……かもしれない。

 でもフェスタで失敗したら、栞ちゃんの曲の評価は?

 麗奈ちゃんのプロデビューは?

 ANGEを結成したのはほかでもない、わたし。律夏ちゃんもわたしの誘いに応じてくれたわけで、ANGEのリーダーはわたし、天城響希ってことになってた。

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