第406話

 まさか普段着でステージに立つわけにはいかないもんね。スフィンクスにしたって、ライブの際はばっちり決めてたはず。

「律夏ちゃんはスフィンクスでドラムやってた時、着てなかった?」

「あれは衣装ってほどのものじゃないよ。ドラムで隠れがちだから、テキトーだし」

 わたしたちは三方向から思案げな表情を向かいあわせる。

「フェスタも制服で演る……のは、ちょっとね……」

「出身校は確実にバレますね、その場合」

「却下、却下! JKバンドって揶揄されるのが、目に浮かぶってば」

 この春からJKの一員となった律夏ちゃんが、先輩JKに探りを入れる。

「井上さんにもアテはないわけ? 事務所に転がってたりとか」

「あるにはある、そうなんですけど」

 栞ちゃんは視線を泳がせながら口ごもった。

「その……野菜が頭になってる全身タイツなら、貸し出せると……」

 わたしの脳裏に珍妙なイメージが浮かぶ。

『ニンジン星からやってきた、天城響希でーす! 今日は仲間のピーマンやジャガイモと一緒に、お野菜ソングを熱唱しちゃうぞ。レッツ・イート・ベジタブルゥ~!』

 ニンジンのわたしと、ピーマンの律夏ちゃんと、ジャガイモの栞ちゃんと。

 これは絶対に違う――と、それだけは確信できた。

 似たような想像に行き着いたらしい律夏ちゃんも、げんなりとする。

「自分の足で調達するしかないね……」

「費用は全額ではないにしても、経費として計上できるそうです」

「これで自腹切れって言われたら、ストライキものだって」

 フェスタの当日までにステージ衣装を確保かあ……。なんだか、フェスタの出場がどんどん遠ざかっていくように感じた。

「とにかく今は練習あるのみだね。ご飯を食べたら、さっきの続きやろっ」

「オッケー。栞チャン、もうちょっと待っててよ」

「ごゆっくりどうぞ」

 お昼ご飯のあとも三人で練習、練習。


 やがて三時を過ぎ、一足先に栞ちゃんが帰り支度を始める。

「明日も来ますから、ベースは置いていってもいいですか? 響希さん」

「いいよ。まだ降ってるもんね」

 今も雨は降り続いてた。でも、雨足は少し弱まった感じ。この間に栞ちゃんは天城邸をあとにして、そそくさと帰路に着いた。

「練習だけで帰っちゃうなんて……ねえ? 響希チャン」

「作曲のお仕事も進めたいんじゃない? お家のパソコンでしかできないんでしょ」

 律夏ちゃんは残り、わたしと一緒に気ままに寛ぐ。

 その手が一枚のブルーレイディスクに触れた。

「去年のフェスタの鑑賞会、忘れてたね」

「麗奈ちゃんもいなかったし。明日はみんなで見よっか」

 不意に雨が屋根をばたばたと叩き出す。

「うわあ……また強くなってきたね」

 本日の土砂降りはいよいよピークに差し掛かってた。風も相当強いのか、窓の外では雨が横殴りの有様になってる。

 そんな中、パパが車で帰ってきた。いつもより時間を掛け、車庫に入れるの。

「ふう~! すごい雨だよ、ほんと……ただいま」

 車で帰ってきたはずなのに、肩が濡れてた。ズボンも律夏ちゃんのジーンズと同じように、くるぶしの高さまで水を吸い、変色してる。

「おかえりなさい、パパ」

「おや? ああ、律夏ちゃんもいたんだね」

「お邪魔してまーす」

 パパは一旦、自分の部屋へ引き返すと、着替えるなり戻ってきた。

「どうやら雨のせいで、電車も止まってるみたいだねえ」

 わたしと律夏ちゃんは今さらのようにテレビを点け、ニュースに耳を傾ける。

 大雨は今夜いっぱい続く見通しとのこと。電車は本当に止まっちゃってた。時刻は現在五時半、運行が復旧してからとなると、律夏ちゃんの帰宅は何時になることやら……。

「あっちゃあ……あたしも栞チャンと一緒に出るべきだったか」

「こういう時の栞ちゃんは勘がいいよね」

 事情を察して、パパは和やかにはにかんだ。

「電車は当分動かないだろうし、律夏ちゃん、今夜は泊まっていったらどうだい?」

 律夏ちゃんは瞳を輝かせる。

「いいのっ? じゃあ、そうさせてもらおっかな」

「親御さんへは僕から電話しようか?」

 さらにパパはマダムキラーの本領を発揮。ケータイ越しに、律夏ちゃんのお母さんを舞いあがらせるの。

「今夜は律夏ちゃんをお預かりしようかと……いいえ、迷惑だなんて。はい、はい……律夏ちゃん、きみのお母さんが代わって欲しいってさ」

「うん。もしもし? ……ん、わかってるってば。わかってまぁーす」

 外泊の許可は難なく降りた。

 電話を終え、律夏ちゃんは開放感たっぷりに伸びをする。

「ん~っ! 友達の家に泊まるのなんて初めてだよ。よろしくね、響希チャン」

「遠慮しないでね。えへへ」

 外は大雨なのに、わたしも楽しくなってきちゃった。

 律夏ちゃんのお母さんはね、律夏ちゃんが中学にも行かずにライブハウスを出入りしてたこと、心配してたみたい。実際、補導を受けたこともあるんだとか。

 でも今はちゃんと高校に通ってるし、あの長瀬宗太郎の家なら安心なんだって。

「響希、律夏ちゃんをお部屋に案内してあげなよ」

「お部屋? ……あっ、そうだね」

 お夕飯の支度はパパに任せて、わたしは律夏ちゃんと二階へ。

「お布団だけ貸してくれたら、ソファーでもいいよ?」

「大丈夫。お客さん用に一応、空けてるから」

 わたしのお部屋の隣にあるのは、お母さんのお部屋だった。ベッドのほか、クローゼットやドレッサーも綺麗な状態で残ってる。

「時々パパが掃除してるんだよ」

「綺麗な部屋だね。ほんとに使っちゃっていいの?」

「うんっ」

 雨のせいで窓を開けられないのが、少し息苦しかった。でも律夏ちゃんには気に入ってもらえたみたいで、楽しそうにドレッサーの鏡を覗き込む。

「これもママさんの?」

「多分……あんまり憶えてないんだ、わたし」

 この部屋にお母さんがいた――それは漠然と記憶の中にあった。

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