第407話
わたしは予備の枕やシーツを持ってきて、ベッドを整える。
「あたしは寝るの、響希チャンと一緒でも構わないよ?」
「それじゃ狭いってば」
そう答えつつ思い出した。昔は遊び疲れた麗奈ちゃんと、よく一緒に寝たっけ……。
「つれないこと言わないでよ、響希チャン。あたしは本気なのにさあ」
ところが、不意に律夏ちゃんが後ろから倒れ掛かってきたの。わたしは律夏ちゃんと一緒にベッドへ転がり、呆気に取られる。
「……律夏ちゃん?」
わたしは仰向けに、その上で律夏ちゃんは四つん這いになった。
アイドル級の美貌がわたしを間近で見詰めるものだから――どきどきする。
「いつまでも『麗奈の次』じゃ、ちょっと面白くないんだよね」
雨の音のほうが大きいはずなのに、律夏ちゃんの甘い声色はまるで耳に触れるみたいに聴こえた。唇が綻ぶたび、微かな息遣いも。
「ねえ……響希チャンはさ、あたしのこと、どう思ってんの? 好き? 嫌い?」
それでもわたしは目を逸らさず――吸い寄せられるかのように律夏ちゃんを見上げた。
「す、好きだよ? お友達だと思ってる、けど……?」
これがわたしの正直な気持ち。
律夏ちゃんがアイドルの『葛葉律夏』だから、じゃない。一緒に遅刻しそうになって、演奏で意気投合した、この同い年の女の子が大好き。
わたしの高校生活は、律夏ちゃんの存在が大きなウェイトを占めつつある。
「じゃあ、麗奈とどっちが?」
「そんなの考えたことないよ。同じくらい大事だもん。栞ちゃんも」
「そっか……栞ちゃんもライバルと来たか」
けれども律夏ちゃんはわたしの回答を一笑に付すだけで、満足はしてなかった。
これは律夏ちゃんの……焦り? 苛立ち?
でも、今の律夏ちゃんはとても綺麗に思えて――。
「ンッ?」
見惚れてたら、不意に唇を塞がれた。
わたしは瞬きも忘れ、唐突なキスに面食らう。
ほんの数秒のこと。なのに、その数秒はすべてをスローモーションに感じた。みるみる胸の鼓動が高鳴り、顔が熱くなる。
けど、抵抗なんて思いつきもしなかった。
むしろ力を抜き、女の子同士の倒錯めいたファーストキスを甘受するの。
やがて唇を離し、律夏ちゃんは勝気な照れ笑いを浮かべた。
「……なぁんて、ね? びっくりした? 響希チャン」
わたしは我に返って、今さらのように赤面する。
「も、もうっ! 律夏ちゃん? 変なイタズラしないでったら」
「ごめん、ごめん。響希チャンがあんまり可愛かったから、ついね」
ファーストキスだったのに、とは言えなかった。女の子同士のキスはカウントしないと言うけれど、このキスはきっと忘れられそうにないから。
「こっちにいるのかい? ふたりとも」
急にノックの音がして、わたしも律夏ちゃんも飛び起きた。
「う、うん! どうしたの? パパ」
「先にお風呂入っちゃいなさい。今、沸かしてるからね」
紳士のパパはレディーの部屋に踏み込んだりせず、すぐにも遠ざかっていく。
なんだかパパにすっごく悪い気がした。
「一緒に入る? お風呂」
おどける律夏ちゃんの顔面に目掛け、わたしは枕を投げつける。
「んぶっ?」
「入らないに決まってるでしょ!」
一方的にペースを乱されるの、悔しかった。
☆
翌朝、目覚まし時計が鳴るより早く目を覚ます。
「うぅ~ん……まだ六時半かあ」
昨晩は律夏ちゃんと夜更かししたはずなのにね。日曜日に限って早起きする自分の体内時計に、疑問を呈したくもなる。
昨日の雨は嘘のように晴れ、空は薄い水色に染まってた。夏の夜明けは早いなあ。
先に顔を洗い、普段着に着替えてから、律夏ちゃんを起こしに行く。
「律夏ちゃーん! 朝だよー」
お返事はなかった。ドアの隙間から覗き込むと、律夏ちゃんはまだぐっすり。
無理に起こすのも忍びないから、ひとりで一階へ。
「おはよう。響希」
「おはよぉー、パパ」
パパはとっくに起き、人数分のコーヒーを準備してくれてた。
「律夏ちゃんはまだ寝てるのかい?」
「うん。昨夜はふたりで夜更かししちゃったし」
「いけないなあ。夜更かしは美容の敵だよ」
そんなことパパに言われても、違和感しかない。
「いい天気だねえ」
「今日はお休みなんでしょ?」
天気予報でも本日は快晴とのこと。溜まった洗濯物を片付けるチャンスだね。
コーヒーが冷めた頃になって、ようやく律夏ちゃんが起きてくる。お客さんは廊下を行ったり来たりして、リビングの前を二回も素通りした。
「おひゃよぉ~」
寝惚けてるのかなあ?
「起きたら知らない場所で、びっくりしちゃったよ。……雨はやんだ?」
「やんだよ。お洗濯してくるから、律夏ちゃんはゆっくりしてて」
律夏ちゃんの分の朝ご飯を用意したら、わたしはパパと一緒に洗濯機をまわす。
「干すのは僕がやっておくよ。響希は律夏ちゃんの相手をしてあげて」
「ありがと、パパ」
そう答えながらも、自分の下着くらいは回収。さすがにパンツやブラジャーをお父さんに干してもらうのは、気が引けるもん。
それはいつものようにお部屋のベランダに干すとして。
その頃には律夏ちゃんもすっかり目覚め、真剣な顔つきで楽譜に目を通してた。
「今月中に全曲を仕上げるのは、ちょっと厳しいかもね……」
普段は『どうにでもなるよ』ってスタンスの律夏ちゃんだけど、根っこのところは意外に理論家で頼もしい。勢いだけでアイドルをやってたんじゃないだよ、多分。
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