第405話

「響希チャン? どーかしたの?」

「あ……えっと。カップ麺って、ほんとにお湯で作るのかなあって……」

 正直に疑問を口にすると、栞ちゃんは驚く。

「食べたことがないんですか?」

「うん。パパが『インスタントは癖になるから』って」

 昔からわたしのパパは食生活に厳しいんだよね。カップラーメンのみならず、コンビニのお弁当にも否定的で、わたしの前では一度も食べたことがないくらいなの。

 パパがそうする理由は、わたしだって薄々勘付いてた。

 栞ちゃんは感心したように何度も頷く。

「男手ひとつで娘を育てる立場ですから、意識してるんですよ、きっと」

「なるほどねー。奥さんの写真の前で、カップラーメンをずるずるとはできないか」

 そう、娘のわたしのために。

 パパがお母さんの命日以外はお酒を飲まないのも、本当は知ってた。わたしのために楽することを我慢して、生活のすべてに配慮してくれてるの。

「基本は自炊なんだよ、うちは。だから雨でも買いに行かなくっちゃ」

「一流の音楽家となれば、私生活もきっちりしてるんですね。尊敬します」

「そんな、尊敬するほどのパパじゃ……」

 わたしと栞ちゃんはこの場にいない素敵なパパを労いつつ、律夏ちゃんのカップラーメンに注目する。

「……や、やっぱ、あたしもスーパー行こうかな……?」

 プレッシャーを掛けたつもりはないんだけどなあ。


 律夏ちゃんと一緒にスーパーへ行き、夕飯の材料のついでにお昼ご飯を調達。

 お家に帰ると、栞ちゃんはリビングで至高のオーケストラに聴き入ってた。普段はパパが座ってるソファーを独り占めして、王様みたいに。

「お帰りなさい、響希さん。誠に勝手ながら楽しませてもらってます」

「こっちはびしょ濡れなんだけどぉ? 栞チャン……」

 その間にも雨足が強くなり、わたしと律夏ちゃんは濡れに濡れてしまった。律夏ちゃんのジーンズは膝から下が変色してるほど。

「ごめん、響希チャン。下だけでも着替え、貸してくんないかな」

「ちょっと待ってて」

 律夏ちゃんはジーンズをホットパンツに、ついでにわたしも適当に着替えてから、お昼ご飯をいただきます。

「響希チャン、こーいうのも持ってるんだ?」

「家の中でしか穿かないけどね。ルームウェアっていうの?」

「ルームウェアはもっとダサいのが一般的でしょう」

 重厚なサウンドでオーケストラを聴きながら、理想のルームウェアについて討論する。

「……じゃなくて。こんな調子で、ほんとにフェスタに出場できるのかなあ?」

 わたしが不安を吐露すると、栞ちゃんも少しばかり顔色を曇らせた。

「問題はいくつかありますね」

「ここいらでハッキリさせとこっか。問題って?」

 わたしと律夏ちゃんは真剣な面持ちで押し黙り、頭脳明晰な栞ちゃんの分析を待つ。

「まず、麗奈さんとの音合わせがなかなか捗らないという点です。今日はしょうがありませんが、ひとりだけL女ですし、L女の寮には門限もありますので……」

 同じことは昨日も律夏ちゃんがぼやいてた。

「自主練はしてるんだろーけど。家の事情もあるからね」

 また麗奈ちゃんは今のところ、お婆さんには音楽活動の件を隠してる。しかし仮に寮の門限を破ろうものなら、実家に情報が流れて発覚――なんて恐れもあった。だから、麗奈ちゃんはギタリスト業と並行して、模範的な優等生でいなくちゃいけないの。

 さらに栞ちゃんは神妙なトーンで付け加える。

「麗奈さんの問題は、麗奈さんだけの問題ではありません。もし麗奈さんがギターを取り上げられるような事態になったら、ANGEは貴重なギタリストを失うんです」

 わたしの言葉は声にならなかった。

 麗奈ちゃんが……また、いなくなっちゃう……?

 律夏ちゃんは腕組みを深め、眉を顰めた。

「こんなこと、響希チャンの前では言いたくないけどさ。あたしたちにとってはリスキーな話だよね、やっぱ。確かにギターは上手いし、頼りにはなるんだけど」

「フェスタの一週間前に離脱……なんてことになったら、目も当てられませんね」

 もしかしたら、律夏ちゃんと栞ちゃんはまだ麗奈ちゃんの参入に納得してないのかもしれない。それを別にしても、リスクが高いのは本当のこと。

 わたしが麗奈ちゃんのために言えることなんて、そう多くはなかった。わたしは麗奈ちゃんが大切な『幼馴染み』だから迎え入れた――それだけなの。

「麗奈ちゃんもわかってるんじゃないかな……」

「まーね」

 律夏ちゃんや栞ちゃんにも麗奈ちゃんを受け入れて欲しい。けど、ふたりにとって麗奈ちゃんは幼馴染みでも親友でもないんだ。

 麗奈ちゃんの力になりたい、と思うのはわたしだけ――。

「問題はほかにもありますよ。ボーカルです」

 栞ちゃんのお話の途中だったことを思い出し、我に返る。

「ボーカルって……歌なら、わたしと律夏ちゃんでちゃんと歌ってるよ?」

「でもキーボードを弾きながらでは、限界もあるでしょう」

 律夏ちゃんは栞ちゃんのほうに口を揃えた。

「ドラムは若干、厳しいとこあるかもね。息が切れたりもするからさ」

 バンドによっては、ボーカルだけを担当するメンバーがいたりもするんだよね。ボーカルはマイクの真ん前に立って、声を張りあげるのがお仕事。

 でもANGEは人数が少ないこともあって、わたしと律夏ちゃんで歌ってた。

「響希ちゃんはどう? 演奏しながら歌うっていうの」

「わたしは大丈夫だよ。でも練習はまだまだ足らないかな……」

 無理じゃないにしても、演奏は少し乱れる。

「ですから、ボーカル担当がひとりいてもいいのでは、と」

 栞ちゃんの言う通り、ボーカル担当が欲しい気もした。

「それを……今から探すの?」

「まあ、さすがに現実味のない話でしたね」

 でもミュージック・フェスタまであと二ヶ月だから、仮に新メンバーを迎えても、練習する時間がない。あと、井上さんの許可が降りるかどうかも不透明だった。

「それから三つめの問題です。これは曲の提出のついでに、井上さんとも少しお話したんですが……『あるもの』が足らないんですよ。私たちには」

 わたしと律夏ちゃんは固唾を飲む。

「あるものって?」

 あの井上さんも必要と考えるくらいだから……えーと、なんだろ?

「衣装です」

 三秒後、わたしの口から『あ』と漏れた。

「ライブ用の衣装かあ……」

「なーんも考えてなかったね。それ」

 前回はやむを得ず『制服』で演奏したんだっけ。

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