第357話

 この状態で変身したら、ぬいぐるみの身体で余計に悲惨なことになりそうだった。

「参ったな。そこでシャワーでも浴びてくるか」

 『僕』は異次元ボックスを呼び出し、お風呂セットを取り出す。

 すると恋姫が躊躇いがちに呟いた。

「あ、じゃあ……レンキが背中、流してあげましょうか?」

 二度あることは三度ある――その言葉を思い出しながら、『僕』は振り返る。

「……はい?」

「だから、P君の背中です。レンキのせいで、P君はスライムまみれになったんですし……お詫びも兼ねて、お背中くらいはと」

 何かが間違っている気がした。

(プロデューサーの背中を流すの、アイドルで流行ってるの……?)

 ただ、迷惑を掛けた分のお返しというのは、優等生の恋姫らしい。今度こそおかしなことにはならないだろうと踏んで、受け入れる。

「そ、それじゃあ、恋姫ちゃんにお願いしようかな。背中だけ」

「はいっ!」

 とはいえ、さすがにシャワー室で恋姫と密着する勇気はなかった。プールの前に生徒が使うほうのシャワーを、魔法でお湯に変え、使うことにする。

(これくらいの魔法なら、人間でも……)

 あまり自信はなかったが、上手く行った。

「ここで洗うんですか?」

「う、うん。掃除のついでに……いつもじゃないんだけどさ」

 苦しい言い訳になるものの、恋姫は菜々留と同じように解釈してくれる。

「寮は女の子ばかりだから、お風呂が使いにくかったんですね? ごめんなさい……P君の事情に気付きもせず、レンキたちでお風呂を独占してしまって」

「ま、まあその……僕は別に気にし」

「レンキたちのあとで入ったら、P君、完全にヘンタイですもんね。残り香を嗅いだり、お湯を飲んだり、石鹸を舐めたりしなくても、そう思われちゃいます」

「ううっうん! そうなんだ!」

 聞けば聞くほど、恐ろしい解釈だった。

 つまり恋姫は、『僕』が人間の男の子である以上、女湯同然の寮のお風呂は使えない――とみなしている。ここで『同じお風呂に入っています』と白状するのは、自ら死刑宣告を読みあげるようなもの。

(いつもお風呂が遅いからなあ、僕……里緒奈ちゃんには見られちゃったけど)

 とにもかくにも恋姫には早く納得してもらい、解放されたかった。身体の正面でお湯を浴びながら、背後の恋姫を待つ。

 恋姫はパーカーを剥ぎ取り、スクール水着だけになったらしいのが、音でわかった。こちらは嬉しいような、恥ずかしいような気分でそわそわする。

 しかし――。

「水泳パンツは脱がないんですか? 中もぐちょぐちょですよね?」

「ええっ? こ、ここは僕が自分で……」

「あっ、当たり前です! 何考えてるんですか!」

 女子校のプールで、パンツを脱いで。

(僕は何をしてるんだろう……)

 そんな自問自答も、次の瞬間には忘れてしまった。

 恋姫が泡でたっぷりのスポンジを『僕』の背中に当て、遠慮がちに擦り出す。

「えっと……こ、これくらいですか? 痛かったら言ってください」

「ん……い、いいよ。恋姫ちゃん、上手……」

 またもアイドルに背中を流してもらえる喜びに、『僕』は耽溺した。

 いささか行き過ぎたスキンシップに抵抗があるのか、恋姫の力は弱い。その刺激がもどかしいほど、『僕』は悶々とする。

 むしろ拙いほうが、彼女の懸命さが伝わってきた。

 スライムでベトベトになったことが、いっそ誇らしい。肩の力を抜き、恋姫の健気なアプローチにすべてを委ねる。

「あとで髪も洗ってあげますね。でも前は自分でするんですよ? P君」

「わ、わかってるってば。……ありがとう、恋姫ちゃん」

 嬉しいハプニングも今夜だけのこと。


 そのはずが、土曜の夜も恋姫はプールに現れた。

「P君っ! ふふっ、また来ちゃいました」

「え? 恋姫ちゃん、どうして……」

「男の子のほうのP君に会いたくなっちゃったんです」

 艶めかしいスクール水着の恰好で、背丈が50センチの『僕』を見下ろす。

「あとでシャワーも浴びるんでしょう? 人間にならないんですか?」

「ええっと……こ、今夜は水着を忘れちゃって……」

 もちろん彼女と会う約束などしていなかったため、ぬいぐるみの『僕』は裸だった。

 にもかかわらず、恋姫は無茶を言ってのける。

「じゃあ変なところは見せないように、今すぐ変身してください」

「……どうしても?」

「はい。どうしても、です」

 洗濯中のため、異次元ボックスに水泳パンツを収納しておかなかったのが、運の尽き。『僕』は素っ裸の男子となり、股間をビート板で隠すほかなかった。

「水をまく時はぬいぐるみでもいいですよ」

「ソウデスカ……」

 残念ながらSHINYでは、プロデューサーよりアイドルのほうが立場は強い。

 スライムが浴槽の汚れを分解するのを眺めながら、『僕』たちはベンチに並んで腰を降ろした。隣の恋姫は珍しそうに『僕』の顔立ちを見詰める。

「こうやって見ると、美玖ともよく似てます……」

「そりゃ兄妹だからね」

 質問も『僕』を男子と前提にしてのものばかり。

「男の子ってどんなことに興味あるんですか? エッチなこと以外で」

「ひとによるよ。スポーツと車ってイメージはあると思うけど」

「毎日牛乳飲んだりするんですよね?」

「時々くらいには……僕は毎日じゃないよ」

 これくらいなら『僕』も冷静に答えていける。

 そもそも恋姫たちは女子校育ちのうえ、アイドル活動のために男性全般から遠ざけられていた。そんな折、プロデューサーの正体が年頃の男の子だったのだから、面白くてたまらないのだろう。

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