第358話

(まあいっか。別に悪いことしてるわけじゃないし……)

 と安心したのも束の間、恋姫が言い放った。

「ちょっと楽しいです。里緒奈や菜々留も知らないP君を、独り占めしてるなんて」

 『僕』は青ざめ、泡を噛む。

(独り占めじゃないよ? もうみんな知ってるよ!)

 里緒奈も、菜々留も、恋姫も、自分だけが『僕』の正体を知っている、と思い込んでいるようだった。

「そ、それはないと思う……よ? 美玖は知ってるからさ」

「そうなんですか? 残念……あの子、P君が人間の男の子だなんて一度も言ったことありませんから、妹でも知らないのかと」

 妹の口の堅さ(兄への関心の薄さ)に感謝する。

(三人には内緒でって、釘刺しといたほうがいいかもな……ぞぞぞっ)

 一方で恋姫はどんどんテンションを上げ、『僕』に際どい質問も投げかけてきた。

「じゃあ、その……好きな女の子のタイプ……とか、教えてもらえると……い、色々参考に? なるんですけど……」

 『僕』の脳裏に三人のアイドルが浮かぶ。

「特別な意味で好きかどうかは、別にして……やっぱりSHINYのみんな、かな」

 意外そうに恋姫は目を丸くする。

「レンキたち、ですか?」

「うん。里緒奈ちゃんと、菜々留ちゃんと、もちろん恋姫ちゃんも。プロデューサーとして、今は三人のことが好きでいたいんだ」

 これが『僕』の正直な気持ちだった。

 プロデュースに私情を持ち込んではいけない、と『僕』は思わない。プロデューサーはむしろファンの第一人者であるべきと、日頃から自分に言い聞かせている。

 逆に『感情移入しすぎるとビジネスが成り立たない』と主張する人間は、まずもって成功しない。このパターンは偏屈・短気・視野狭窄と相場が決まっていた。そうならないためにも、『僕』は担当のアイドルをいつも全力で応援する。

「だから好みのタイプには恋姫ちゃんも入ってるよ。……なーんて、ハハッ、裸で言っても締まらないか」

 苦笑いで締め括るも、恋姫の返事はなかった。

 唇を半開きにしたまま、どこか陶然とした表情で『僕』を見ている。

「……恋姫ちゃん?」

「あ――いえ! ごめんなさい、ぼーっとしちゃって……」

「今日も忙しかったもんね」

 そして『ばか……』と小さく呟くと、再び上目遣いで『僕』を見上げた。

「じゃあ今夜もレンキが背中、流してあげますね」

「えええっ? な、なんでそうなるわけ?」

「なるんです」

 SHINYのプロデューサーは今夜も罪を重ねる。



 そして一週間ぶりの日曜を迎える。

「そろそろ行きましょう、P君」

「あっ、うん」

「いってらっしゃ~い」

「気をつけてね、ふたりとも」

 今日は恋姫が『僕』とお姫様デートする番だった。ぬいぐるみの『僕』を抱え、さもこの姿のプロデューサーとお出掛けするように、寮を出る。

 しかし今回、『僕』は自分の部屋へ戻らなかった。

(もう三回目だし……)

 里緒奈の時も、菜々留の時も、同じ方法を使っている。もしふたりが恋姫と『僕』の関係に勘付き、部屋を見張っていたら――その懸念があるために。

「それじゃ、僕は変身してくるよ」

「わかりました。レンキは改札の前で待ってます」

 『僕』はコンビニの化粧室を借り、手短に変身と着替えを済ませる。

「恋姫ちゃーん!」

 駅前で改めて合流すると、恋姫は可愛い笑みを咲かせた。

「P君? ……わあぁ」

 瞳をきらきらと輝かせて、人間の『僕』のお出掛けスタイルを吟味する。

「どうしたの?」

「だって、レンキ、裸のP君しか見たことありませんから……」

 ところが咳払いを挟むとともに、急に眉をひそめた。

「だめですよ? P君。レンキ以外の女の子の前で、その姿になったら」

「き……気を付けるよ。ハハハ……」

 今から楽しいデートのはずなのに、行き先は処刑場の気がする。

 それでも三回目となると、『僕』のほうにはいくらかの余裕があった。忘れずに今日の彼女の、気合に入ったファッションもチェック。

 恋姫は淡い色合いのブラウスで春らしく爽やかに決めていた。フレアスカートは生地が薄く、風が吹くたびに優美な波を打つ。

 ミュールやバッグにも抜かりなく、一流のアイドルとして充分な説得力があった。

 もちろん認識阻害の魔法が働いているため、誰も彼女を『SHINYの恋姫』とは認識できない。独り占めできるのは『僕』だけ。

(なんだか、すごく贅沢な気分だよ。……よし! 今日はこっちから)

 『僕』はそっと手を伸ばし、恋姫の肩を抱き寄せる。

 途端に恋姫は顔を赤らめた。

「ちょ、ちょっと、P君? いいっ、いきなり何するんですか!」

「少しはデートらしくしようと思ってさ。恋姫ちゃんが嫌なら、離れるよ」

 しかし『僕』が紳士然としているせいか、少し悔しそうに身体を預けてくる。

「き……今日だけですよ? 調子に乗らないでくださいね」

「わかったよ。じゃあ行こうか」

 小生意気な彼女を屈服させたことで、『僕』は胸を躍らせていた。ふたりで繁華街の大通りを歩きながら、五月になったばかりの青空を仰ぐ。

「散歩もいいけど、どこか入ろうか」

「そうですね。あ、でも買い物は荷物になりますから、午後で……」

 世間はゴールデンウィークの真っ只中だった。その日曜日となると、さすがにどこも朝から混んでいる。

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