第356話

「あてて……でもこれなら、練習すれば……」

「……え」

 ところが、そんな『僕』の背後を誰かが取った。今夜ここに来るはずの女の子を思い出し、『僕』は真っ青になる。

「も、もしかして……恋姫ちゃん?」

 恐る恐る振り向くと、スクール水着にパーカーを羽織った格好の恋姫と目が合った。

 プール掃除のため、スクール水着を着てきたのはわかる。今夜は約束していたため、ここにいるのもわかる。

 一拍の間を置き、恋姫はプールに悲鳴を反響させた。

「だだっだ、だっ、誰ですか! ここは女子校ですよッ!」

「ちちちっち、違う! 僕だってば、僕!」

 大慌てで『僕』は身体の向きを変え、お尻であとずさる。

 水泳パンツが足に引っ掛かって、動きづらいのがいけなかった。動揺していたのもいけなかった。パオーンが彼女の視線を釘付けにする。

「きゃあああああーーーッ!」

 夜のプールでよかった。

 やっとのことで『僕』はぬいぐるみに変身し、説明を果たす。

「――というわけなんだ」

「ま、まさか人間の男の子だったなんて……驚かさないでください? もう……」

 恋姫はずっと赤面しっ放しだった。

 『僕』の正体を知るだけならまだしも、男性の裸を見てしまったのが、ショックだったらしい。『僕』のほうも恥ずかしくて、ぬいぐるみの身体を小さくする。

「だから水泳パンツがP君のお部屋にあったんですね」

「え? ……知ってたの?」

 恋姫の言葉に少しどきりとした。

「いつもプールでは裸で泳いでるのに、変だなあと思ったんです。ちゃんと穿けるのか、とか……あ、ごめんなさい。勝手にお部屋に入ったりして」

「ううん、いいよ。何か用事があったんでしょ」

「でも男の子に変身できるなら、水泳パンツがあっても納得です」

「そっちが本当の姿なんだけどね」

 水泳パンツがベッドから机に移動していたのは、気のせいではなかった。

 恋姫は水泳パンツに理由を認め、納得してくれている。ただし理解はそこまでで、ここから先は笑顔で眉を吊りあげた。

「つ・ま・り……女子校の水泳部で顧問をやってるのも、レンキたちにお仕事でスクール水着を着せたがるのも、そうですか……ふぅーん?」

「うぐっ。それは……その」

「大問題ですっ!」

 恋姫の人差し指が『僕』のオデコを陥没させる。

 もはや『僕』に弁解の余地などなかった。水泳部の顧問は認識阻害の都合だと、世界制服は予知の結果だと説明したところで、火に油を注ぐだけ。

「な、何でもするから、許してぇ~!」

「……言いましたね?」

 許しを乞うと、恋姫は不敵に微笑む。

「じゃあもう一回、男の子になってください。さっきはよく見れませんでしたので」

「え……僕のパオーンを?」

「顔ですっ!」

 もちろん今夜の『僕』に拒否権はなかった。不可抗力とはいえ、先ほどの丸出しを侘びたい気持ちもある。

「わっ、わざと見せましたね? ヘンタイ!」

「違うってば! 変身でずれちゃうんだよ、ほんと!」

 また変身時にパンツが脱げてしまったが。

 改めて水泳パンツを穿きなおし、恋姫と対面する。

「ど……どうかな? 僕の……」

 恋姫は瞳を大きく開け、男の子の『僕』をまじまじと物色した。

「これがP君……P君にしては、色々と盛りすぎな気がしますけど……」

「そ、そんなこと言われても……えぇと」

 そこまで逞しいわけでもない身体つきが、少々恥ずかしい。

「ほんとにレンキより年上だったんですね。背も高いし、それに顔つきも……」

 耐えきれずにそっぽを向いても、恋姫は興味津々にまわり込んできた。

「そっ、それより……恋姫ちゃん? 掃除しないと」

「あ、そうですね。先に済ませちゃいましょう」

 やっと尋問じみた視線から解放され、プールの清掃に取り掛かる。

 その頃にはスライムたちが汚れの分解を終えていた。あとは水をまく程度で済む。

「なんですか? あのブヨブヨの……」

「――あっ? 近づいちゃだめだよ、恋姫ちゃん!」

 ところが恋姫が不用意にプールを覗き込んでしまった。スライムたちはまだお風呂に入っていないらしい恋姫の身体を感知し、跳ねるように襲い掛かる。

「きゃあああっ?」

「危ない!」

 間一髪、『僕』は恋姫ちゃんの前に割って入った。

 さらにパオーンを出せば、スライムはより不浄なモノに反応する。つまり。

「うわっ……うわぁあ~っ!」

 スライムの沼へ沈む、全裸の『僕』――そして自主規制。


 やっとのことでスライムの召喚を解除したのは、スライムの群れに身体を散々しゃぶり尽くされたあとだった。頬を一筋の涙が零れる。

 おずおずと恋姫が戻ってきて、心配そうに『僕』に声を掛けた。

「あ、あの……大丈夫ですか? P君」

「まあなんとか。スライムにねぶられただけ、だし……恋姫ちゃんは?」

「レンキは無事です。P君が庇ってくれましたから」

 彼女を巻き込まずに済んだことに、心の底から安堵する。もしスライムが彼女を蹂躙していたら、恋姫の怒りは最高潮に達し、『僕』の命は確実になかっただろう。

 スライムは還せたものの、全身がベトベトで気持ち悪い。新品の水泳パンツもどろどろで、引っ張りあげると、股間の一帯に不快感が滞留する。

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